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[2227] 聖大ヤコボ
  ヤコボ兄弟は主から”雷の子”と呼ばれるだけあって、性質が激しく純情いちずにキリストを敬愛しました。主もまたこの兄弟をペテロと共に最も信任しました。そこで、ヤイロの娘を復活させられた時も、タボル山上のときも、ゲッセマニの園で血の汗を流された時にもこの3人だけをお連れになったのでした。
しかし、ヤコボには激情かにつきものの、短気な面がありました。サマリアのある町で、主が一夜の宿を断られた時、ヤコボ兄弟はかっとなり、「彼らを殺してはいかがですか」といきまきました。彼らは限りなく人の過失を許すべく福音的愛徳と忍耐をまだ飲み込んでいなかったらしいのです。「あなたたちは自分がどんな精神の持ち主かが分かっていない。人の子が来たのは、他魂を滅ぼすためではなく、救うためではなかったのか」と主は厳しくお叱りになりました。
ご死亡の3か月前主は使徒たちにご受難の迫ったことを話しました。使徒たちは前にも2度ほどこの話を聞いていたにもかかわらず御言葉の真意が十分にわかりませんでした。
  [2018/10/08/10:41]
児島 由美| |


[2226] 聖大ヤコボ
  ある日ヤコボとヨハネの兄弟は父と共に、小型漁船の上で網を繕っていました。そこにイエスが2、3人の弟子を連れておいでになり「私に従いなさい」と言って、2人を召されました。すると2人はただちに船と父を置いて、これに従いました。
  [2018/10/04/16:55]
児島 由美| |


[2225] 聖大ヤコボ
  12使徒はみな庶民の出で、聖霊降臨前までは自分たちのうちで誰が一番偉いかと論議したり、主のご受難の時に逃げ隠れするような欠点の多い者でした。
その一人、大ヤコボもはじめは上席をねらう野心家でしたが、ひとたび聖霊を受けると、命を捧げるまでに大胆に人々の救霊のために働きました。
ヤコボはキリストの時代、ガリラヤ湖畔の貧しい漁師の子として生まれました。父はゼベデオと言い、母のサロメは聖母のいとこにあたり後に主や弟子たちの身辺の世話をした敬虔な婦人でした。福音史家聖ヨハネはヤコボの弟です。
  [2018/10/04/16:47]
児島 由美| |


[2224] 神を知るように務める
  テレサは神がどのようなお方であるかという事実を知ることなしには、「私」という存在の事実の姿も知ることはできないということを、自らの経験によってよく知っています。そして、この正しい自己認識の上に立っていれば、神との真の友情の交わりである本物の「祈り」はあり得ないということも、つまり誰に祈っているのか、そして自分は誰なのかということが、一番の基本としてあるわけですから。
自分自身の現実を知ることは何よりも大切です。しかし、これは神との出会いなしには獲得できない宝です。祈りの道は、一つのレールともう一つのレール、一つは神を知ること、もう一つは自分を知ることこのレールの上を進んでいくのです。すなわちこの2つのレールに綱に乗って進む必要があるのです。(カルメル会〉
  [2018/10/03/15:27]
児島 由美| |


[2223] 神を知るように務める
  神を知るように務めない限り、私達は決して自分を良く知るようにはなりません。神の偉大さを眺めれば、自分の卑しさが良く見えて謙遜を思う時、自分がいかにそれから遠いかが分かるでしょう。
もし、私たちが自分のみじめさの泥から少しも抜け出ずにいるなら。その考えを謙遜などと思ってしまいます。それは私達まだ自分自身を知らないところから来るのです。自己認識がゆがんでいるのです。
もし、自分自身の考察から一歩も出ずにいるならば、こうした結果は少しも驚くにあたりません。それだからこそ、私は目を私たちの宝イエス・キリストに注いでいかなければならないというのです。そのもとでこそ真の謙遜(本当の自己認識)が学べるでしょう。(霊魂の城第一の住居)。
  [2018/10/02/12:25]
児島 由美| |


[2222] 謙遜は真理のうちに歩むこと
  真理=本当のこと、正しい想念。
「謙遜は真理のうちに歩むこと」
「・・主の賜物に富まされていることが分かれば分かる程、霊魂はとりわけ真の謙遜に進歩し、神に対して、ますます大きな負い目のあるものとして振る舞い、一層の熱心を持って主に仕えるため勇気を起こします。(聖テレサ霊魂の城、自叙伝 より)
  [2018/09/26/20:17]
児島 由美| |


[2221] 訂正、お詫び
  医大を偉大に訂正、お詫び致します。
  [2018/09/26/18:58]
児島 由美| |


[2220] 謙遜は真理のうちに歩むこと
  ・・真理のうちに歩むとは神が見ておられる見方で自分自身を見ること、神の真実と私の真実というこの真理の発見なには、本当の祈り、神と私との真実の触れ合いはあり得ないからです。
私たちがたびたび謙遜だと思っている「私にはできません」と言ってすべてを避けようとする態度は、すなわち神から離れていく偽りの謙遜です。医大な神と出会うなら、自分自身の小ささは、神のためにどんなことでも引き受ける用意がある聖なる大胆さに常に開かれていくでしょう。これこそ常に真理そのものである神と共に生きている謙遜な人です。
このことを美しく表現した、近代の若い福者アラビア人カルメリットの次の言葉を紹介しましょう。「謙遜には神の味があります」
  [2018/09/26/18:55]
児島 由美| |


[2219] 勝五郎の生まれ変わり
  『仙境異聞・勝五郎再生記聞』(平田篤胤あつたね)より
  [2018/09/22/16:51]
児島 由美| |


[2218] 勝五郎の生まれ変わり
  その後、祖母に詳しく言った。「オイラは病気で死んだ。山へ葬られて行く時は白い布で覆われた厨子に乗っていた。桶が穴へ落された時、衝撃を感じた。お坊さんがお経を読んでもオイラには何の慰めにもならなかったので、家へ帰って、家にいた人に声をかけた。でも気づかなかった。その時、白い髪を垂らして黒い着物を着たおじいさんが現れて『こっちへおいで』と誘うので、ついて行くと、だんだん高いところに上って行った先にきれいな草原が広がっていた。花がたくさん咲いていたので、枝を折ろうとしたら、鳥が出てきて驚いた。
草原では、家で自分のことを話す親たちの声が聞こえた。供え物をしてくれたのも分かった。温かい供え物は湯気の香りが甘いと感じ、嬉しかった。しばらく草原で遊んでいたら、おじいさんが『こっちの家の中へ入ってまれなさい』と言われた。ほどなくして、お母さんのお腹に入った」
その後両親が元の家へ尋ねたらすべて真実であった。
  [2018/09/22/16:43]
児島 由美| |


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