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  ファティマの謎の太陽円盤 7つの謎と奇跡 より

第4章 郡長の迫害と、強烈な信念
 

ファティマにおける子供たちの不思議な幻影とのコンタクト事件は、この頃、ポルトガル全土に鳴り響き、各地から多数の旅行者がこの"奇跡の地"を訪れた。

そして子供たちに面会を求めて両家を訪問し、コバ・ダ・イリアへ行ってはヒイラギの木のもとにたたずんだり歩き回ったりするので、コバ一帯の畑は荒らされて、畑の持ち主からの苦情の絶え間がなく、このためにルシアの母親マリア・ローザはますますヒステリックになっていった。

娘が有名になればなるほど母親の心痛は増大する。しかも反宗教的な新聞はいっせいにこの事件を非難し、一方的な記事を書きたてた。教会の権威を復活させようとした神父の策略だとか、ファティマでひと儲けをたくらんだ利権屋の陰謀に草供たちがひっかかっている等々、こうした敵対勢力の台頼もルールドの場合とおそろしくよく似ている。

この"敵"のなかに恐るべき人物が1人いた。ファティマを行政区画内においているウィラ・ノワ・デ・ウレム郡の郡長アルトウール・デ・オリベイラ・サントスである。この男はポルトガルが1910年の草命によりドン・マヌエル2世を廃して共和国になったときから自由主義者の過激派として反宗教運動の先頭に立ち、しかも郡の実権を握ってワンマンぶりを発揮していた。いわば当時の一種の"アカ″であり(ただし共産主義者ではない)、旧体制くさいものを根こそぎ払拭しようとして横暴をきわめていたのである。

▲1971年8月19日に貴婦人が出現したヴァリーニョスのコンタクト地点。現在は小さな堂の中にマリア像が立っている。
▲1971年8月19日に貴婦人が出現したヴァリーニョスのコンタクト地点。現在は小さな堂の中にマリア像が立っている。

当然、ファティマの事件も彼の耳に入り、これによりカトリックが勢いを盛り返すことをおそれて、一挙に粉砕しようと計画した。

彼は3人の子供とその両親に郡役所へ出頭することを命じた。そこでアントニオはルシアをラバの背に乗せて、約12キロ離れたウレムへつれて行ったが、マルトは子供たちが小さいからという理由で家に残して自分だけで出頭することにした。

郡役所では"やかましいブリキ屋"というあだ名のサントス郡長が、徹底的におどしをかけてルシアに「私の体験はすべてウソでした」と告白させようとしたが、10歳のルシアはあくまでも真実であると主張して、郡長の言葉に従わない。業をにやした"ブリキ屋"はマルトに向かって、フランシスコとジャシンタの2人をつれて来なかったことで怒り始めた。

腹を立てたのはマルーである。彼は2人の子供を弁護し、猛烈に反論して子供たちの体験の真実性を唱えた。こうして"ブリキ屋"の訊問は失敗に終わり、一同は解放された。

その後"ブリキ屋"が3人の子供を殺すかもしれないという噂が広がったけれども、3人はむしろ殺されることを喜んでいた。天国に行って聖母に会えると信じていたからだ。

一方、8月13日がやって来た。この日、数万の群集がコバの盆地に集合して子供たちを待った。

3人が現れた。人々はなだれを打ってとり囲み、聖母さまに願い事を伝えてくれと口々に話しかける。3人はもみくちゃにされて、なす術もない。大騒ぎが続いているうちに、3人の子供は即刻帰宅せよという郡長の命令が伝えられた。"ブリキ屋"が自身でマルト家に来ていたのだ。

ここで郡長は奸計をたくらんだ。言葉巧みに3人の子供を馬者に乗せて、大群集の待つコバ・ダ・イリアへ行くとみせかけてウレムへ連行したのである。そのために貴婦人の出現の時刻が過ぎてしまった。3人は約束を破ったということから、良心の呵責にかられて大いに悲しんだが、どうしようもない。

一方、コバ・ダ・イリアでは2万人近い群集が待機し、帰宅した子供たちが再び来るのを待ちわびたが、正午になっても姿を見せない。そのうちに、子供たちは部長の手で監禁されたという噂が広がったために、群集は怒りだした。口々に"ブリキ屋"をやっつけろと叫ぶ。

しかしここで不思議な現象が発生した。快晴の空に突如雷鳴がとどろいて閃光がきらめいたあと、美しいひとかたまりの雪が降下して、例のヒイラギの木の上にとまり、10分間ほど後に上昇したのである。やはり聖母が降臨したのだと、人々は歓声をあげて祝福の言葉を叫び合った。

一方、郡長は3人の子供を牢に入れて3日間責めまくったが、どうしても前言をひるがえさない。しぶといやつらだというので、大釜に油を満たして煮え立たせ、白状しなければ3人ともこのなかに放り込んで油揚げにしてしまうぞと恐ろしい形相で怒鳴り続けた。だが、だめだった。絶対に、といってよいほど3人は偽証をしないのだ。呆れ果てた郡長は、ついにネをあげて、あきらめてしまい、3人を釈放し、ファティマへ帰してしまった。

以上の経過からわかるように、この3人の子供たちは常人ではなかったのである。高度な宗教的感性と熱烈な信仰を持ち、あらゆる迫害や嘲笑にもめげず自分たちの体験の真実性を訴え続けたその鉄のような信念は、どうみても10歳かそこらの子供のそれではない。これは歴史的事実であって、誇張ではない。ファティマの事件自体が全くの神秘と謎に包まれてわるけれども、この3人の子供たちの言動も驚異的である。

4回目の出現 母に通じた体験

さて、"ブリキ屋″の拷問から解放されてファティマへ帰ったルシアは、4日後の8月19日、フランシスコと兄のヨハネと共にワリンホスの草原で羊の番をしていた。正午頃―。

突然、空中に閃光がきらめいた。ハッとしたルシアは思いあたることがあって、家にいるジャシンタを呼んで来るようにと兄に頼んだ。ジャシンタがやって来るとすぐに、あの貴婦人の幻が出現した!

ここでも彼女はヒイラギの木の上に立って、微笑しながら話しかけた。

「可哀そうに、大変な目にあって―。13日にコパ・ダ・イタアへ行けなくてお気の毒でした。悪い人たちの妨害がありましたから、10月に行うと約束した奇跡はたいしたことにならないかもしれません。でも過激派の人たちを憎まないで、改心するように祈ってあげなさい。苦行を実行しなさい。罪人のために祈りなさい。沢山の祈りを行い、犠牲を捧げなさい。多くの霊魂が地獄に落ちて行くのは、その人たちのために身を犠牲にする者がいないからです」

貴婦人は去って行った。ヨハネにはその姿は見えなかったが、ルシアのコンタクト中に太陽の光が変化したし、貴婦人が上昇したときに空中で爆弾が破裂するような音を聞いた。

帰りぎわにルシアはヒイラギの枝を折り取って、家へ持ち帰り、ジャシンタがそれをマリア・ローザに見せて、きょうも聖母と対面し、その御足がこの枝の上に立っておられたのだと話しながら差し出した。とたんにその枝から、なんともいえぬ芳香が流れ出るのに気づいてマリア・ローザは不思議がった。そして、それ以来、彼女は娘の体験が真実であったのぞど思うようになった。 

こうしてサントスとマルトの両家にやっと平安が訪れるかにみえたが、事件はこれだけでは終わらなかった。続いて9月に驚異の奇跡が発生し、更に10月には7万人の大群集の眼前で一大異変が 空中に起こり、世界のミステリー史上で名高い神秘の現象が発生して国中を驚倒させたのである。

第5章へ続く

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