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新アダムスキー全集

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中央アート出版社
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  ルールドの奇跡 久保田 八郎
 

第3章3部 "私は尊敬されたくない″

養護院に入院中、彼女は自由に学校へ通うことができた。しかし16歳というのに勉強しても頭に入らない。国語や数学は苦手で、フランス語の文章を書かせればつづりはまちがいだらけである。

ベルナデットの書いた手記はいまも数多く残っているが、まともな文章はまったくといってよいほどない。それでもまじめに勉強したとみえて、ペン字の練習の跡を示すノートがバルトレスの教会に残っているのを筆者は見た。性格をあらわすようにていねいに書かれていた。

ベルナデットは裁縫や刺しゅうのような実技になると巧みであった。また、かなりおてんば娘でもあり、よく年下の子どもたちと活発に動きまわって遊んでいた。

ベルナデットにも長所もあれば短所もある。ときにはひどく頑固になるのが大きな短所だったらしい。年上のシスターがスジの通らぬことを言うと、反抗的態度を示すこともあった。

彼女は、聖母マリアとの対面者だといって周囲から特別扱いされることをひどく嫌い、外来者が彼女を聖女として尊敬するような態度を示すと、明らかに不快な顔をした。

「私は神様ではないのに、なぜそんなに私にさわりたがるの?」と、よく言っていた。彼女は、敬わねばならぬのは人間ではなくてイエスと聖母なのだという考えに徹していた。

したがって、自分を尊敬されたくないと同時に、地位の高い人にもさほどの尊敬の念をもたかったらしい。質問されると、ありのままを率直に答えるだけで、お世辞めいたことばを口にしたことはない。ここに田舎娘ベルナデットの面目躍如たるものがある。

大理石のマリア像を建立

マッサビエユの洞窟が全国的に有名になるにつれて、この聖地にマリア像を建立しようという動きが出てきた。発起人はリヨンの大金持、ラクール姉妹である。この2人はルールドに異常な関心をもち、洞窟に威厳をつけるために、それまでほら穴に飾ってあった小さなマリア像のかわりに、本格的な大理石のりっぱな像を寄進する計画をたてた。そして、ルールドのぺラマール司教の同意のもとに、彫刻家としてリヨンの美術アカデミー会員で美術学校教授のジョゼフ・ファピッシュに白羽の矢を立てたのである。これには7000フランというぼう大な予算を要したけれども、ラクール姉妹は惜しげもなく大金を投じた。

▲ルールドの大聖堂前広場のたいまつの列。
▲ルールドの大聖堂前広場のたいまつの列。

1863年3月17日にファピッシュ教授がルールドに来て、ベルナデットから聖母の姿を徹底的に聞いたうえ、たくさんの下絵を描いて準備し、それらをベルナデットに見せて意見を求めてから、イタリア産の有名なカラール大理石で純白のマリア像を彫刻した。これは彼が制作した彫刻作品を代表する大作となっている。

作品がルールドに届いたのは翌年の3月30日である。これを見たベルナデットはさびしそうな顔をして言った。

「たいへんりっばにできていますが、私が見た聖母さまとはちがいます」

どうやらベルナデットが18回も目撃した美女は、こんな大人びた体ではなく、もっと背が低くて子どもっぽく、着ている服もひだのないものだったらしい。 そして5日後、除幕式が行われたが、ベルナデットは病気で出席できなかった。

この大理石像は120年後のいまも洞窟の入口の右上のほら穴に安置してあり、無数の巡礼者の目をひいている。そして台石の正面にはルールドの方言で「私は無垢の受胎です」と彫りこんである。この像の位置に美女が出現したのであり、下の洞窟の入口ではない。

大聖堂の建立

マリア像が建てられる前の1860年12月7日に、ベルナデットはタルブ市のローランス司教のもとへ呼び出され、カトリックの手による最終的な調査を受けた。長時間にわたる尋問にもベルナデットは少しも憶することなく 、記憶しているままに正直に答えた。とくに聖母が「無垢の受胎」と告げたときの仕草を再現したときは、司教もたいへんに感動したという。

その後、長い審議を経た結果、62年1月18日に司教は、ベルナデットが聖母マリアのまばろしと対面したできごとを事実と認めると教書で発表した。

同時にローランス司教は聖母のみこころにそうために、洞窟のそばに大聖堂を建立する計画をたてた。まず洞窟の周辺の土地を入手して大幅な整備が行われた。川すじを変えて洞窟の前に広場を作り、泉の水は洞窟に向かって左側の石壁にたくさんの蛇口をとり付け、そこでだれでも飲めるようにした。

また聖泉とよばれるようになった泉に体をつける人のために、岩壁にそって浴室を設けた。これは男子用と女子用とに分かれており、希望者は無料で入浴することができる。この聖水に体をつけた難病患者が奇跡的に治った例は無数にある。

▲ルールドの主任司祭ぺラマール神父。大聖堂の建立に尽力した。
▲ルールドの主任司祭ぺラマール神父。大聖堂の建立に尽力した。

2万人の祝列

洞窟の祝列は1864年4月4日にローランス司教の手で行われて、参列者は2万人を超えた。だが、この日ベルナデットは病気で寝ていて参加できなかった。ぺラマール神父も病床に伏していた。

1866年5月9日には待望の地下大聖堂が洞窟の手前の広場の地下に建造された。22歳のベルナデットは白い修道服を着て参列することができた。

5年後の年7月2日には洞窟の上にゴシック式の大聖堂が建立された。これはいまも壮麗な大建築として威容を示している。しかし、献堂式にべルナデットは姿を見せなかった。すでにフランス中部のヌベールにある愛徳会修道院に移っていたからである。

聖母マリアの出現100周年記念として、1958年には大聖堂広場の地下聖堂は2万人を収容できる巨大なものに改築された。以来、ルールドでは行列による祭事が行われる習慣が生じた。これは「行列をつくって参詣せよ」という聖母の要望にこたえるためである。 

1864年4月4日、最初の行列が行われた。前述の洞窟の祝列の日である。いまでもルールドの大聖堂前広場では毎日午後になると聖体行列が行われるし、夜は数千人の人びとが燃えるロウソクを手にして行列する。この壮観な光景はいまやルールドを象徴する光景の一つとなっている。

第4章1部へ続く

血や涙を流すマリア像

イタリアのテレサ・テスコという女性は、体に"聖痕″をもち、聖母マリアからファチマ第三の予言を含む数多くの告知を受けとった。そして1974年夏、彼女の家でさらに新たな奇跡が起こった。ある日、壁にかけてあった聖母マリアの写真から血の涙が流れたのである。それはファチマにある聖母像を掃った白黒写真であった。

涙ははじめ、聖母の両眼に小さな水滴となって現れ、しだいに赤味を増してふくれあがると、真っ赤な血の涙となって流れ落ち聖母の心臓のあたりにたまるのだった。

▲イタリアのホルト・サン・ステファノのエンゾ・アッチ家のマリア像。
▲イタリアのホルト・サン・ステファノのエンゾ・アッチ家のマリア像。

こうして血の涙は800日近くも流れた。多くの人がこのふしぎな現象を見、そのようすは写真にも撮られた。聖母の写真を入れた額の中に何かしかけがあるのではないかと疑いをもつ者もいたが、額にはしかけがないどころか、現に涙が流れているにもかかわらず写真の裏側は完全に乾いていたのである。

聖母が血や涙を流すという事例は古くからあり、20世紀の今もその種の報告はあとをたたない。1968年にはブラジルの港町ポルト・ダス・カイシャスにある、300年前のキリストの木像から血が流れ出した。血は木像に描かれた傷口から周期的に流れ出し、信者がその血をとって自分の体の傷につけたところ、傷は驚くほど早く治ったという。また1975年には、アメリカ・ペンシルバニア州エディンストーンにある聖ルカ教会で、高さ70センチのキリストの石膏像の両手から、赤い血が流れ出した。このようにキリスト像の場合、キリストが処刑されたときに受けた額や両手、胸の"傷″から出血し、聖母マリア像では両眼から血や涙を流すというのが特徴である。

1953年、シシリー島シラキュースのマリア像が涙を流し、涙は8日間止まらなかった。その成分を調べてみると人間の涙と同じであることがわかった。また1960年にも、ニューヨークのアイランド・パークに住む夫人が、自宅でマリアの肖像画に祈りをささげていたところ、マリアがまぷたを上げ大粒の涙をこぼすのを見た。これは教会の牧師も確認している。

そして日本にも涙を流す聖母マリア像がある。秋田市湯沢台のカトリック修道院にある、高さ1メートルほどのマリア像がそれだ。どことなく日本人のような顔つきのこのマリア像は、10年前に日本人彫刻家が桂の木に彫刻したものである。1973年、マリア像の両眼から突然、涙があふれ出した。マリアの右手に十字架の形で血がにじみ出したこともある。さらにふしぎなことには、このマリア像を写真に撮ると、なぜか写ったり写らなかったりするという。秋田大学医学部でこの血や涙を鑑定したところ、どちらも人間と同質の成分で、血液型はB型と判明した。

聖母マリアがその血と涙で表した悲しみとはいったい何なのであろうか。それを人びとは理解しているのであろうか。

 

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