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車輪のついたUFO UFOはまだ各地に現れる・・・

日本GAPニューズレター No.35 昭和42年10月25日発行 より

今年3月末から4月初旬にかけて私はオハイオ渓谷を広範囲に歩きまわったが ここにあげるのは目撃者や"沈黙している"コンタクティーたちとインタヴューして得た事件でUFOの地上活動に関して更に光を投げかけているもののなかの一つである。
ジョン・A・キール

消えた建築物

 1966年10月下旬の或る日(目撃者は正確な日付を記憶していない)、オハイオ州ダンカンフォールスのレオナード・エルモアー氏(72)が午前4時頃散歩中に一個の不恩義な"建物″に出会ってひどく恐れたという。多くの老人と同様にエルモアー氏もよく眠れないので深夜長い散歩に出かける習慣があった。この異常な夜も彼は家から2マイル離れた路上を歩いていたとき、広い野原のまんなかにすわっている奇妙な"トタン小屋のように見えるL字型の建物″を見たのである。それまでこんな小屋など見たことがないので、もっとよく見ようと近寄った。するとその物体の何かが彼をびっくりさせたので - なぜそれで恐れたかはあとでハッキリと説明できないという − 一目散に逃げ出した。暗かったけれどもその小屋には窓もドアーもないことがわかったが、中から普通の男の声が響いてくるのをはっきり聞いた。

「逃げるな…逃げるな」とその声は呼びかけた。「わしは逃げたのではない。大急ぎで歩いただけじゃ」とエルモアー氏は言う。

 彼は急いで家に帰り、ライフルを取り出して現場へ引き返した。驚いたことに"小屋″はなくなっていた。この事件ですっかり気が転倒したために、妻の話によればそのあと本人は数日間神経障害にかかったという。彼は翌日保安官を呼んで目撃した物を報告することにきめた。保安官は出かけて調査しようと約束したが、ついに実行しなかった。エルモアー氏はハッタリやぐずぐず考え込んだりする様子もなく率直な態度で話してくれた。彼は如何なる種類の空飛ぶ円盤を見たのではないと主張する。それは何かの"小屋″にすぎなかった・・・・。つまりちょっとのあいだそこにいて数分後にはなくなってしまった何物かなのだ。

 筆者は彼がこの物体を見たと称する畑を注意深く調べたが、それは新しく建てられたダンカンフォールス小学校のまうしろにある広い野原であった。

 ダンカンフォールスはオハイオ州ロズヴィルから約20マイルのところにある。その町でゼーンズヴィルの雇われ理髪人ラルフ・ディダー氏も1966年11月に低空で飛んだ円型の物体を撮影したことがあり、同じ頃近隣の町々で多数のVFO目撃が発生している。

ニワトリ小屋のあいだで

 1967年1月10日、退職教師の老人ウォリー・バーネット(77)が一個のUFOから推定60フィート以内に近寄った。ウエストヴァージニア州ポイントプレズントから12マイル離れた国道2号線沿いの農場に住んでいるバーネット氏は、その夜10時30分頃に犬がほえているのを聞いて調べてみようと外へ出た。

▲車輪のついたUFOのスケッチ図。

  彼は片方の耳がつんぼで杖をついて歩くけれども、精神は正常で、目撃した物をはっきり説明することができる。エルモアー氏と同様に彼も正直で率直な目撃者であるという印象を受ける。しかしエルモアー氏と違ってバーネットは目撃直後に大ざっぱな見取り図とノートを作っている。

 バーネットの家の背後にはきわめてけわしい丘がそびえている。そこには木があまりなく、細い谷が丘の斜面を下に伸びていて、バーネット氏が数匹の犬を飼っている犬小屋から数フィートの所で谷がつきている。彼が最初に物体を目撃したとき、それは丘の頂上で非常に大きな光のように見えた。見つめていると、それは丘へ降下してゆっくりと谷の方へ動いた。

 「フォルクスワーゲンの大きさくらいだった。窓(複数)があるようで、それらは明るく輝いていた。地面に近づいたとき燈火は消えた。物体の前部に2個の4インチばかりの赤色光があって、それはともったままだった」とバーネット氏は言う。

 物体がなおも近くへ動いて来るにつれてバーネッイ氏は多くの小さな白色光を認めたが、その光は物体から飛び出てはまた帰ってゆくように思われた。

「まるでスクウェアーダンスをやってるようだったな」

 物体は周囲に小さな光を回転させながらゆっくりと無音のまま谷に沿ってやって来た。それはバーネット氏の位置から60フィート以内に来てとまり、ニワトリ小屋のうしろヘスッと入って見えなくなったので、バーネッtト氏はもっとよく見ようとその小屋をまわって行ってみたが、うしろ側へまわったときはいなくなっていた。べつに空中へ上昇したわけではないのに(上昇したとすれば見えたはずだ)簡単に消えてしまったのだ。彼は恐れはしなかった。首をひねっただけだった。

 家族の者や友人たちは本人の正直さを保証した。「ウォリーが見たというのなら、たしかに見たのだ!」本人はそのことを新聞社や警察へ報告しなかった。空軍へ手紙を出そうかと考えたが結局出さなかった。

 数日後、一人の地方牧師と説教会の会員全員がウォリーの農場から約2マイルの所にある教会をヒューッと音をたてながら大きな赤い火の球が通過するのを見た。この物地上を進行し、突然消えてしまった。

目撃者脅迫される

 1967年1月19日の朝9時5分、ウェストヴァージニア州ダンパーのタド・ジョーンズ氏(38)がチャールストン郊外約10マイルのあたりの州間連絡ハイウェイ64号線をドライゲ中、路上約4フィートの空中に停止している大きな金属製球体に遭遇した。

 白昼でもあり、また約2分間見えていたので、ジョーンズ氏はその物体をきわめて詳細に説明できた。球休は径約20フィートで、くすんだアルミニウムのような色を放っていた。4本の脚が突き出ていて、各脚の底部には脚車のような車輪がついていた。また径約9インチの小窓も見えたし、物体の底部にはプロペラ″があったが、氏が見たときは空転していた。まもなくこのブロベラが急速に回転を始め、物体は浮かび上がって空中に消えて行った。

 ウェストヴァージニア州クロスレインズで機械器具店の経営者であるジョーンズ氏は、筆者の調査旅行中に会った最も印象的な目撃者の一人である。彼は言語の明析な高い教育を受けた人で、酒をやらず、教会や市民の行事のリーダーでもある。彼との数度にわたる会見の一つで他にもう一人の記者が同席したが、同じような印象を受けたということだ。

 われわれは目撃の正確な地点を訪れたが(事件発生後3カ月目)その物体は地下を通っている大ガス管の真上の空間に停止していたことがわかった。しかも道路のそばの泥の中に一連の非常に奇妙な足跡が残っているのを見つけたのである。その足跡のなかの一群は昨年12月にポイントプレズントの北方にある強力火薬庫で見つけたのと同じであった。それは巨大な犬の足跡のように見えたが、犬ではなく、きわめて深い跡なのでその動物は200ないし400ポンドの重量があるにちがいなかった。足跡をあれこれさぐってみたが、チャールストンの動物に関する権威者のだれ一人として正体をつきとめるととはできなかった。加うるに異常に大きなサイズの(入間の素足であると思われる片方の足跡が一個あった。また波紋状のカカトのついたクツをはいた人間の足跡が数個残っていた。これらの足跡の間隔は最も奇妙なものであった。

  それにどこから来たのか、どこへ行ったのかもわからない。ハイウェイのこのあたりは(4車線のスーパー・ハイウェイ)全く淋しい場所で、木はまばらにしか生えていないため、ハンターがそんな足跡を残したとは考えられないことである。

 質問を続けてゆくうち、ジョーンズ氏は別な2件の出来事を思い出した。事件当時はそれについてあまり深い考えを起こさなかったのである。最初の目撃後一週間ほどしてからジョーンズ氏は朝の同じ時刻に同じハイウェイをドライヴしていた。店へ行く途中である。そのとき例のUFOのいた現場の路傍に一人の男が立っているのを見た。たぶんヒッチハイクをやっていて、この人気のない場所で立往生したのだろうと思い、氏はトラックをゆるめて乗れと言った。男は答えないで手を振って「行け」と合図しただけだった。翌朝この男が同じ場所にいたけれども今度は氏は車をゆるめなかった。男は青い服と眉庇のついた青い帽子を身につけていた。顔は普通だが、日焼けしたような赤ら顔に見えた。片方の手に奇妙な時計のような道具を持っている。その表面には大きなダイヤルがあり、それから針金が一本出て別な手がそれをにぎっていた。

 この話を開いた筆者はただちに土地のガス会社へ連絡して、現場地域へガス管調査に係員を出していたか、またそういう道具を用いるかどうか照会したが、答はノウだった。

 1月19日の彼の目撃の翌日、紙片がダンパーのジョーンズ氏のドアの下へそっと入れられた。普通のノートブック用紙一枚に鉛筆で書かれた走り書きには次のように記してあった。

「あなたが何を見たかはわかっているし、あなたがしゃべったこともわかっている。黙っているほうがいいぞ」

 この文句はれいれいしく活字体で書かれていたが、北方60マイルのオハイオ州ミドクルポートの別な目撃者のドアーの下へ投げ入れられた紙片の走り書きと同じ字体である。数日後に別な紙片がジョーンズ氏のドアーの下に入れられたが、今度はボール紙に書かれており、「もう、注意はしない」とあった。ジョーンズ氏はこれらをイタズラと考えていた。

(終わり)

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