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 UFOの秘密 第1話

日本GAPニューズレター 第54号 より

本号よりフランク・スカリーのBehind THe Flying Saucersを『UFOの秘密』と題して連載することにしました。これは実に今を去る24年前の1950年に出版された米国UFO研究界の裏面史ですが、一般から猛烈な批判と攻撃を受け、ねつ造記事のらく印を押されて研究界から完全に抹殺されて以来絶版になっている幻の書です。しかるに編者が海外から入手した信頼すべき情報によれば、この事は事実の記録であり、円盤研究史上貴重な文献であるということです。いかなる事情のもとに葬り去られたのかはさだかでありませんが、UFOの知られざる一面を公にした稀こう本として一読にあたいすると考え、ここに訳出を試みました。本邦初公開と思われるこの驚くべきドキュメントが会員諸兄姉にひ益するところあれは幸いです。
Behind The Flying Saucers by フランク・スカリー

今日(注:1940年代のこと)一般大衆と政府間には2重の道徳基準がある。科学から縁遠いもの、すなわち機密という線にそって、治安よりも恐怖を生み出すものは、文句なしに軍事防衛の枠内に入れられてしまった。われわれが何か異常な物、空中にさえも異常な物を見ると、人民執行委員(注:ン連の大臣に相当)を見ロシヤの農民みたいに口を閉じるか、または氏名・住所・職業・証言などを、名を明かさぬ情報将校に告げて調べられねばならない。

多くの人から恐怖の念をもってみられているこの名を明かさぬ”生物”は、こちらのいうことを否定したり嘲笑したり、ときにはーこういう国がふえているのだが-こちらのいうことをネタにして投獄したりする。こちらの発言のタイミングがその問題に対する彼らの公式声明の出された時点と合わない場合は特にそうである。

共産主義者が自分らの神を作り上げたように、われわれも自国の姿なきスポークスマンを神聖視し始めている。このいずれも言論の抑圧者であるから自由人は闘わねばならない。

このことは今あまり追求しないが、とにかくこれはすべて既成宗教の信仰の喪失にもつながっていて、そのため人々は新理想化運動に走るようになったのである。

自由人が、個人の自由な研究に対するこうした侵害と闘う唯一の方法は、前もって次のようにいうことだ。「私が話すことは否定されるだろう」または「これは真実なのだが、今そんなことをいう者は夢想家のらく印を押されるか、それともしつこく主張すればウンつきにされるだろう」

大衆の権利をうばってしまった検閲官という敵チームが自分らに都合のよいレフェリーによって、こちらが広い競技場で存分に走りまわっているとみるや、防衛戦でラビットパンチ(注=ボクシング用語。後頭部のえり首への短く鋭い打撃)をあびせかけて不具にしたり、こちらがほぼ確実にフィールドゴール(注:フットボール用語。フィールドからのキックによる得点)を入れかけたとみると、空中高く上がったボールを機関銃で撃ったりするならば、アメリカのスポーツマンシップの基準は完全に破壊されるのである。

このような機構のもとで、やることが1つだけある。相手の策略を暴露することだ。この世界がぼんやりと考えているよりももっと多くの攻撃が防衛≠フ名のもとで行なわれていることを示してやることだ。こちらのいうことが全くの真実で、相手のいうことが全くの真実でないことを主張し続けるのだ。

これはわれわれの肉親、すなわち戦争用に訓練されてきて平和時にはスパイや逆スパイなどの役割を与えられた息子たちと話し合う場合、恐ろしいやり方に思えるかもしれない。しかし制服を着た息子たちは大衆に報告しないで中央情報部へ報告するからには(われわれの知る限り、情報部はだれにも知らせないし、だれにも答えない)、現下の発見事を一体どうやって友人たちに知らせればよいのか。

科学者は他のいかなる階層よりも戦後の忠誠ノイローゼで苦しめられてきた。しかし文筆家といえども科学者のずっとうしろに隠れることはできない。米国の歴史をつらぬいている狭量″という糸は、今やわれわれを縛り首にする輪ナワほどに太くなっている。このような状況下で「嘲笑されるだろう」と意識するばかりでなく、「だれが嘲笑するか」を知りながら、しかも逆襲を覚悟の上で書物を書くことは、考えられないほど困難なことである。

われわれは狂人なのだというはっきりとした内部意識によって本当の狂人になってしまうよりもむしろ先頭に進み出て、米国のあらゆる官僚は無能な日より見主義者であり、公務員の給料にしがみついていて、やがて年金をもらうか、私企業の、もったいぶっているがくだらぬ人間のするような仕事にありつく(この私企業には個人の寄付などで成り立っている大学も当然含まれる)連中であり、おまけに真実″の刈り込み人なのだといってやる方がよほどスマートである。

この失われた自由を取り返すためには「くたばれ、上下両院!」と叫び、「極秘」 「機密」 「専用」 「治安上公開せず」などとスポークスマンがいう言葉の真にひそむ絶えまのない策略でごまかされないようにしなくてはならぬ。

このようなごまかしのあとには大抵いつも別な軍事部門から声明が出される。いわく「われわれが隠している物事は実際には隠すにあたいしないものだ」 「われわれは古い時代遅れの軍備で守られているのだ」そして最後には「新式の軍備をするために十億ドルの追加予算を認めないと、われわれは死んだアヒルになる。円盤どころではない!」とくる。

プロパガンダ(注:主義主張の宣伝)というものは真実でもあったしウソでもあった。実際、もしスポークスマンが情報部のために尽くしているとすれば、もはや彼の内部に真実はないといってよいだろう。スパイは単なる熟練でもってウソを売買することはできない。もしできるとすれば、なぜスパイは世界中で逮捕されたり、大抵15年の判決を受けたりするのか。それは国際的レベルで公正取引の策略行為になったのか。 この陰気な壁紙模様の例を2、3あげれば読者にはもっと明瞭になるだ

l947年6月24日、自家用機で飛んだアイダホ州ボイスの実業家ケネス・アーノルドは、ワシントン州レイエア山地帯で数個の空飛ぶ円盤を見たと初めて報告した。そしてこのあと別な目撃報告が続くようになる。

ところが8月9日に第4航空師団の副官ドナルド・スプリンガー中佐は、このナンセンスな報告類をやめさせることにしたのである。しかし彼の命令にもかかわらずモーリー島に落下したといわれる溶けた金属に関して、どうしようもない不可解なナゾが残っていたし、しかも詳細な調査をするためにその金属を輸送していた2名の軍パイロットが死んだにもかかわらず、「タコマ地域だろうがどこだろうが°飛ぶ円盤を信ずべき根拠はない」と中佐は言明したのである。

各新聞はこれを何かの暗示と解釈して、この問題に関しては沈黙してしまった。その結果はどうなったか?1948年1月までに、すなわちスプリンガー中佐の緘口令から6カ月後、ペンタゴン(注:米国防省)はそれまでに寄せられていた数百の目撃報告を調査するためにプロジェクト・ソーサー(注:円盤調査機関名)″を設立した。フェート誌は第1号のほぼ半分を円盤問題の記事にして、「私は空飛ぶ円盤を見た」と題するケネス・アーノルドの手記を巻頭に飾った。

プロジェクト・ソーサーは予備報告を出すまでの1年半のあいだ、冷静な態度で仕事を進めていった。サンデー・イーヴニング・ポスト誌は、どうやらその報告が否定的な内容になりそうだということを知っていたので、空軍の報告とほとんど同時にシドニー・シャレットに2つの円盤記事を書かせたのである。ところが結局その記事は各種円盤事件の要点のくどくどしいくり返しとなり、それを読んだ一般人は、円盤の存在を信ずる者はバカだという印象を受けたのだ。

シャレットの最初の記事は4月30日号のポスト誌に載り、2度目のは5月7日号に載っている。4月30日号はもちろん同日よりも数日前に店頭に出た。実際は空軍が4月27日に予備報告を出したときに発売されたので点る。空軍の報告はポスト誌を妨害したのだ。これは前述のように同じ問題を扱う執筆者をバカにしてかかるやり方に沿っている。

しかしその公式報告はスプリンガー中佐やポスト誌の言い分には何も触れないで、結局円盤ストーリーには何かがあると判断していた。しかも円盤は別な惑星から来るのかもしれないという考え方すら含んでいた。

そして多くの円盤事件を不可解なままに残した上、後日これらの事件にもっと光をあてようと約束したのである。

こうしてポスト誌を否定的な方向への尖兵≠ノなるようにおびき寄せた空軍は、自分たちこそ肯定的であるかのように目立たせ続けていった。このことは当然のことながら1つの新しい傾向を見たライバル編集者たちにドアーが開かれた。トゥルー誌はポスト誌の面目失墜を金で買えると考えた。同誌の編集陣はフェート誌やポスト誌が持っていた資料を集めて、またその問題をとり上げたのである。ただし空飛ぶ円盤の信者すべてに疑惑を投げかけるかわりに、トゥルー誌は1948年の春フェート誌が確立した古い境界線に従って、1949年12月に「空飛ぶ円盤は実在する」と宣言した。ところがー

トゥルー誌が書店に現われるや否や空軍は同誌の見解を徹頭徹尾否定した。同年12月27日に空軍のスポークスマンはプロジェクト・ソーサーは中止されたと声明し、円盤の信者を狂人か山師ときめつけた。 そしてトゥルー誌や他の者を逃げられないようにしたのである。

円盤に対する空軍の見解に同調した、または反対した人々を、宇頂天にさせたり意気消沈させたりするこの権謀術数的やり方はその後も続き、かりに真実のすべてが現われても、このやり方は変えられそうにもなかった。その常套手段は 「われわれとボール投げをして遊ばないか。そうすれば両眼のあいだに球を打ち込んでやる」にあるらしい。

本書に関して軍部が何をいうか、いわないかは、私にはほとんど関心はないが、読者には私の見解を理解していただきたい。私はまだ全然空飛ぶ円盤を見たことはないし、見たという幻覚を起こしたこともなければ、円盤問題に関する大衆の騒ぎに加わったこともない。また私の知識と信念による限り、円盤に関するインチキ行為に加わったこともない。

しかし円盤を見たのみならずそれを研究しているという科学者たちに話したことはある。そして彼らの話に欠点を見出そうと精一杯の努力をした。だが今日まで空軍のしいた3つのカテゴリーのいずれにも彼らを入れることはできなかった。

科学者はこの問題で軍と闘うつもりはない。彼らは研究用の重要な資料を得なければならないのだ。しかし国防省の一部は、同調しようとしない科学者が重要な資料を見つけるのを困難にさせるかもしれない。科学者たちは自分の主張を他人に理解させることができるだろうか? よって、軍の公式声明なるものを風に吹き飛ばされる新聞紙と同じほどに無視せよと私が読者に忠告してもおかしくはない。

実際のところ面目を失った人々が「問題は新聞である」とか「新聞ではなくて円盤のカケラである」といったところで信じられることにはならないだろう。それは、われわれ大衆が、住所氏名を持ち、信念のこもった勇気を持つわれわれが、円盤のような物体は存在すると発言して初めてそれは真実となるのである。しかも長いあいだそのように発言してきたのだ。

さあ、気楽に本書を読まれたい。そしてこれから先に出されるペンタゴンの否定のすべてを無視″という火の中に投げ込まれたい。

1950年 戦没将兵記念日に  フランク・スカリー


●第−章 デンバー大学のミステリー

20世紀の後半にはいったとき、3つの出来事が異常なニュースとして脚光をあびるようになった。その内の2つはニューヨークタイムズ紙の目を引かなかったが、当時ほとんどだれの関心の的にならなかった3番目が、他のすべての新聞と同様にこの大新聞の数カ月にわたるトップ記事となったのである。

ニューヨークタイムズにとってニュース価値のなかった2つとは、米本土中に空飛ぶ円盤が出現するという多数の報告と、イングリッド・バーグマンの赤ん坊がイタリアで生まれたというニュースである(注:バーグマンはスエーデン生まれの往年のハリウッド大女優。「カサブランカ」「誰がために鐘は鳴る」等で有名)。

3番目の事件というのは、まだ恐るべき魔物として立証されていなかった。実現させるようにと期待されていた科学者の多くは、それが完成しても作動するかどうかに確信がもてなかった。これこそ水素爆弾なのである。だが例外なしに新聞にとっては、この変形爆弾は既成事実だった。

1950年の春に生きていたあらゆる人々にとって、この水爆という怪物がすでに実在していたと信ずることはむつかしいが、一方、大衆にとっては地上のものにせよ別な所から来るものにせよ、空飛ぶ円盤には夢があった。

ヒロシマに投下された原爆の50倍もの人間を殺すと考えられるこの爆弾は、製造中からもちろんニュースだねとなっていた。しかし1950年には、大気中に出現したり、たぶん地上に着陸するとも思われる円盤に関する多くの話ほどには現実味がなくなったのである。

こうした円盤事件の話がもし真実となれば、この世界の創造以来かつてないほどの大事件の1つといってよいだろう。もし選択をする必要があった場合、超過支出または他国に対する武器貸与、または国民の汗で切り抜けている国の政府ならば、この世界に対する人間の知識や理解に何ら新しい貢献をしない爆弾の製造に同じ額の金をついやすよりも、宇宙船の建造に数百万ドルの予算を組むよう決定するだろう。

しかるにこうした選択が与えられた少なくともある一国の政府は、控え目の予算で2年間の調査をやったあげく、プロジェクト・ソーサーを解散させて、その空軍はUFOのほとんどの報告を次の3つのどれかにしてしまったのである。

 1 地上の種々の物体の誤認
 2 群集ヒステリーの弱い形
 3 インチキ

空軍の正体不明″のスポークスマンは、プロジェクトが2年前にオハイオ州デイトンのライトパターンン空軍基地に設立されていたと簡単に説明した。ここは空軍資材司令部である。

「そのとき(1948年1月)以来、375例が報告され調査された」とレポートは結んでいる。「補助特別調査員は大学や政府関係の科学コンサルタント(複数)であった」 この調査員やコンサルタント、大学などの名はあげていない。実際、その短期間での解散と6カ月に及ぶかなり長いレポートとのあいだには375例の内、34例が未解決のままになっていたが、その34例のミステリーは全然何の説明もつけられずに閉店≠ニなったのである。かりに何らかの解決があったとしても、それらは軍部以外のすべての人には極秘にされたことだろう。

しかるにプロジェクト・ソーサーの最後の発表が公開されるや否や、円盤に関する一連の報告が西側世界のあらゆる場所から新聞を目標にし始めた。政府のプロジェクトが中止されたとき、こうした報告の配達人≠ヘ地方の新聞以外に行く所がなかったのである。

新聞社と、2年にわたる空軍の公式調査機関中に円盤事件を無視した国防省のあいだには和親協定があった。しかし空軍が手を引いたとき、水門が開いたのである。新聞社によっては円盤問題をクズカゴの中に投げ込み続けたのもあったし、また読者の報告や関心のしつこい弾幕のもとで屈したのもあった。復活祭の頃までにはあらゆるラジオ解説者、あらゆるコメディアン、あらゆる議員などが、そしてニューヨークタイムズまでがいいたいことをいった。

ウォルター・ウインチェル(注:当時の高名な新聞記者)が最初に口火を切って、UFOはソ連から来ると確言した。ヘンリー・J・テーラー(注:ジャーナリストで駐スイス大使)は2度も発言して、彼の解釈によれば円盤はアメリカのものでソ連のものではないという。彼はラジオに出演して、自分が今やっている円盤の確実性に関する念入りな解説は円盤問題の半分しか述べておらす、あとは空軍から発表されれば今夜のいいニュースになるだろうといった。デービッド・ローレンスは自分が出しているUSニューズ・アンド・ワールド・レポートのあらゆる威信を円盤実在信者のうしろへかくして、「円盤はヘリコプターと急スピードのジェット機の組み合わせによる革命的なタイプの飛行機だ」と述べたのである。大統領でさえも円盤問題を吹き払うためにキーウエストの避暑地から引き上げねばならぬ始末であった。エリノア・ルーズベルト(注:ルーズベルト大統領夫人)はシカゴ・アンド・サザン・エアラインズのべテランパイロット、ジャック・アダムズ機長とG・W・アンダーソン1等操縦士にインタビューしていた。この2人は自分たちがアーカンソー上空で見た円盤のことを報告したのだが、それは他の惑星から来るのではなく、秘密のテスト機で、ジェット推進機でもないと主張した。フルトン・ルイス2世(注:ニュース解説者)も円盤について自分の見解を発表した。ボブ・ホープ、レッド・スケルトン、フィバー・マギー・アンド・モリー、エドガー・バーゲン、チャーリー・マッカーサー、アモス・アンド・アンディー、それにもちろんジャック・ペニーも円盤問題を嘲笑のタネにした。ジミー・ドゥーラントを含むあらゆる人が行動にはいったのである。(注:以上の人名は1940年代に米国で活躍したコメディアンやラジオ・エンタティナーたちである)

しかし真実の内幕は彼らすべてによって失われていたのだ。

謎の講演者

それは1950年3月8日にコロラド州デンバーで発生した。その日の午後12時30分にデンバー大学の350名の学生は、昼食を抜かして或る内密の科学講演を聴いたのである。この講演は後に新聞が「正体不明の中年の講師」と述べた人によって行なわれたのだ。

この男はガリレオが「それは動いている!」といって以来、この地球または他の惑星に関して最もセンセーショナルなと思われる講演をやってのけたのである。彼は話している場所から500マイル以内に着陸したという1機の円盤の真相についてすべてを語り、しかもその宇宙船と乗員についてきわめて詳細に話したため、学生や職員たちは頭をひねりながら教室を出て行った。

しかし人間のゆがめられた好奇心は大きいので、その講演者がだれであるかということが講演の内容よりも大きな関心の的になり始めた。この人間は学生たちによって最初に解決されねばならないミステリーとなってしまった。

数時間後に、この講演者はコロラド州デンバー市に住むジョージ・T・キーラーというロッキー山ラジオ局の1員に付き添われていたことが一同の頭に浮かんできた。その局のコールレターはKMYRである。講清に出席した教職員の話によると、キーラーは講演者の名前をだれにも全然紹介しなかったという。しかし講演者があとで私に説明したところによると、講演者の匿名を守る役目の教授はたしかに本人の氏名を知っていたそうである。

その講演の本顔が始まる前に話し手は説明して、ある氏名、日付、場所などは省略する必要があること、またそれらについて質問してはならないことなどを述べた。これは科学者のなかには治安計画に参加している人があり、そのため個人的に調査が行なわれている円盤問題について話せる自由がないからだという。その言葉とともに教授連もノートブックを取り出した。

講演者は用意周到な言葉を用い、時間のとり工合を心得ている教授みたいな話し方をしたので、なぐり書きしていた学生たちも最初の貢のめくりで落伍するようなことはなかった。彼は意外な事実を一定の間隔をおいて話したので、講演の終わったときは大多数の人が「驚異的なことだ」 「センセーショナルだ」 「ロもきけないほどだ」 「まったく感動した」といい、「バカらしい」 「信じられない」といったのは少数であった。

講演した科学者は誰?

50分ほどかかったその講演については、実数で約40パーセントの聴講者が不思議がっていた。もともとこの講演は世間に公表しないという条件で科学の基礎クラスの学生のために準備されたものである。だが最初は90名だったものが、次第にうわさが広がって教室一杯になってゆき、天文学や工学の教授・学生がつめ込んだため、立すいの余地もなくなったのである。

教職員側と講演者の事前の交渉は数カ月続いている。これは講演者が高く評価されることを望まず、むしろ科学クラスの学生たちが講演を聴くことに100パーセント同意したために、本人が承諾したのである。この学生たちの内80パーセントは講演が終わったあとで「非常に感動した」といっている。手を上げさせることによって、60パーセントはその講演者の話が真実で、まったくありそうなことだが他の惑星から来てこの地球に着陸した宇宙船を調査している科学者の一団−と彼が述べたーの1人であるらしいと答えたのである。しかも学生たちはこの正体不明の科学者が空飛ぶ円盤の推進力の秘密に対して最上の解答をもっており、それは内燃機関でも噴射推進機関でもないと信じたのだ。

更に後に行なわれたアンケートでは、この驚くべき講演の学生信者が60パーセントから50パーセントにへったことを示した。それでもこの数字は円盤に対する全国的な信者の数よりもかなり高いのだ。ユナイテッドプレス社が行なった全国的な調査によれば、4人の内1人は円盤が宇宙船だと信じている(注:ただしこれは11950年の上半期に行なわれた調査である)。たしかに米国民の26パーセットは円盤は宇宙船だと信じていたし、8パーセントはよくわからないと答えていた。それ以外の者は円盤は幻覚、大衆ヒステリー、インチキだという空軍のスポークスマンに同調していた。これら回答者の中には、あの講演者の話は少なくとも非常に立派だったと考えているデンバー大学の教授陣も含まれていようし、また、1大学の名声を利用して行なわれたインチキではないかと考えている人も含まれるだろう。しかしその正体不明の講演者は、アインシュタイン、オッペンハイマー、ブッシュらが同じような懐疑的な聴衆に同じようなセンセーショナルな事実を伝える立場におかれたとすれば、おそらく同じように話したと思われるほどに巧みに、控え目に、科学的に話したのである。

この不思議な科学者が15分問質問攻めにあったあと、ジョージ・キーラーは叫んだ。「偉大なスコット! われわれはもうここから出なくちゃいけない。飛行機に乗るまでにあと20分しかありませんよ!」 この声を聞いた講演者とキーラーの2人は急いで建物から出て馬力のある車に乗り込み、走り去った。

宇宙旅行に関する講演は大変な連鎖反応を起こしたので、1時間以内には教授団、学生、新聞記者、ラジオ解説者たちのあいだで上を下への大騒ぎとなり、2時間以内には今度は彼らが空軍情報部係官から質問されることになった。

この係官たちが最初に知りたがったのは「講演した人の名は何というのか」である。しかしだれも全然知らない。1人の1年生が、講演者とキーラーが去って行く直前に「偉大なスコット」と呼ばれたことを思い出した。1人の教授は講演者が「シアーズさん」と紹介されて本人から訂正されたことを思い出したが、教授は男が自分の名を何といったかは記憶していない。

「あの人は”ニュートン”または”ニュートンの友達”といったと思います」「デンバー市長のことかね?」「いいえ、デンバー市長でないことはみんなが確信していました」「あんたは一体1人の男が名前を全燃知られないでデンバー大学で講演できるというのですかい?」と軍人が尋ねる。

教授はまったくそんなつもりでいったのではない。当然のことながら国家に対する忠誠、反国家主義者狩り、大学の自由をうばおうとしている治安上のタブーなどを前にしてそんなことがいえるわけはなく、むしろあの男がキーラーに護衛されていて、結局男は人類が数百年間考えてきた空想的な問題について人に害を与えることなく話したにすぎないといったのである。

「害を与えることなく?」と軍人はくり返して「そんな問題が害を与えないことをどうして知っているのかね? だれか彼の車のナンバーを覚えているかい? それともどこのホテルへ行くのか立ち聞きした者がいるか?」

すると1人の聴講者が、講演者は20分したら飛行機に乗らねばならないとキーラーがいったことを思い出した。

「彼はどこかへ行くといったのか?」 「いいえ、でもキーラーは知っていたのでしょう」 「おお、キーラー!」と係官は顔をしかめて叫んだ。

なぜ顔をしかめたか? どうやら数カ月間空軍情報部ばかりか編集者までがー大見出しで「空飛ぶ円盤は実在する」と声明したために危険なフチに立つことになったトゥルー誌の発行人ケン・バーディーから、キャンザス・シティータイムズの無名記者に至るまでー円盤に関する詳細な点についてキーラーを質問攻めにしていたからである。ところが実際のところキーラーは直仕入れの情報を何も持っていないと彼らに語ったのだ。バーディーはドナルド・キーホー(注:退役軍人で著名な円盤研究家)をワシントンからデンバーへ急行させて、事の真相をつかませようとした。金は問題ではない。だがキーラーはやはり直仕入れの情報を持たないという。そこで怒った一同は本を彼に投げつけた。それまでキーラーに会ったことのないキャンザス・シティーの記者は彼を「スキの刃」とののしった上、みんなインチキだといった。やはりキーラーに会ったことのないAPの1記者も失敗をくり返した。キーホーもどたばたしながら彼を捕らえたが、やはりだめだった。キーラーはこの場にふさわしくない名前を用いて彼らを呼んだ。これは現代の小説ではないからだ。

だれも彼を信じようとはせず、特に空軍情報部はまったく相手にしなかった。かつては情報部負たちが、キーラーはアメリカの大砂漠のどこかに着陸したといわれる円盤のキャビンにパイプラインを突込んでいる(注:キーラーがコンタクティーであるの意)と信じ切っているかのように行動したし、その円盤たるや土産物探し屋の軍部によって追い払われたともいわれていたのだ。軍部は情報を探していたのか、それとも軍部が持っているのと同じ情報を持っている人のすべてを押さえつけようとしていたのか。軍部自体が行なっていた宇宙船の実験が洩れるのを恐れたのか。それとも円盤はクレムリンの裏面からブーメランのように投げ返されていたのか?

一大学という湯わかしの中のこのアラシが起こる数カ月前に空軍は、1948年1月にオハイオ州デイトンにあるライト基地で設立されたプロジェクト・ソーサーは1949年末までに閉鎖を命じられていたと声明した。しかも、1949年4月に公表された予備報告は、アイダホ州ボイスのl実業家が(注:ケネス・アーノルド)l947年の夏に自家用機で飛んでいたとき9個の円盤型物体が推定できぬほどの速度で空中を飛んでいたと報告して以来、375の目撃例の内、341例をボツにしてしまったことを忘れてはならない。

残る34例についても空軍の係官は満足すべき解答を見出せなかった。表面上彼らはこの34例をインチキ、幻覚、新聞の見出しに自分の名前を出したがっている人の策略などのせいだとはいえなかった。それにもかかわらず、この未解決のミステリーに対して空軍は1949年の12月末にプロジェクトが解散して、調査員たちによれば円盤は神話であり、それを信ずるのは群集ヒステリーの1つであると言明したのである。

このすさまじいスピードで空中を飛ぶ不思議な円盤型物体について空軍はファイルに入れなかったにもかかわらず、見なれない物体を新聞社へ報告した人々は、その後結局軍部のスパイのワナにかかっていたことに気づいた。事情を知っている新聞記者や他の人々はプロジェクト・ソーサーが解散したという説をあざ笑ったのである。なかには公然とその嘲笑ぶりを新聞にのせたのもある。ペンタゴンは円盤調査が地下活動に変わり、別な名称でまだ行なわれていることを否定しなかった。

キーラーという人はある逆スパイ組織と小ぜり合いをしていた多くの一般市民の1人だったのである。しかしラジオの売れ行きを助ける側にはいる以前の彼はシカゴ・ベアーズのプロ・フットボール選手であったことから、逆パンチを与えることなしに引き下がるような人ではない。

円盤関係の資料を集めるために1人の陸軍調査官がKMYR局へやって釆たとき、キーラーは2人の会話をひそかに録音しようときめたのである。

その後に別な調査官がハッシュハッシュ・オペレーション(注:沈黙作戦)≠行なうために訪れたときーこの作戦はプロジェクト・ソーサーに取ってかわったものらしい−ただちに降伏せよと命令されたキーラーは驚いた。「われわれはあんたがこのインタビューをこっそり録音していることを知っているんだ。テープを渡しなさい」ト調査官がいう。

スキをつかれたキーラーは、会社の所有物を他人に渡すにはまず経営者に相談しなければならないと答えた。

「どうしても治安上のー治安とはマジック・ワードだー理由でというのなら」と社長は同意した。

キーラーは相談の席を離れてから、技師にテープを巻きもどさせねばならぬと説明した。政府官吏のでたらめな話をうまく処理する方法を心得ているキーラーは録音室の方へ行き、軍人の方に背を向けて技師にウインクしてから命じた。「この紳士のために録音テープをととのえなさい(Fix Up)。」

技師はととのえた。しかもスプールを巻きもどしながら録音された会話を全部消去したのである。(注:フィックス・アップという言葉には別に計略をたくらむ≠ニいう意味がある。ここではその意味も含ませた) まるで黒板に書かれたチョークの跡をぬれたスポンジでふき消したように消してしまったのだ。こうして大喜びしたスパイ将校があとで再生してみると、何も音は出てこなかった。要するにデンバー大学で講演したあの不思議な科学者を追跡中に空軍情報部員が「おお、キーラー!」と叫んだのは、実際は「あいつの首をしめてやる!」という意味だったのである。

空軍情報部、正体つかめず

さて情報部がやったのは、3月8日1時30分からデンバー市外へ出発した旅客機の乗客名簿をかたっぱしから調べることだった。彼らはこれを実施し、かつてプロジェクト・ソーサーに関係して浮かび上がったことのある科学者で非公式の命令に違反した者はいないかと調査したのである。だがこのマンハントは何の効果もなかった。あの正体不明の科学者はその日デンバーから飛行機で町を出ていなかったのだ。

空軍情報部が見失った容疑者からにがい丸薬を飲まされたとたんに、空飛ぶ円盤はアーク灯の周囲に群がるガの8月の祭典みたいに空中を乱舞し始めた。

その週にはメキシコ市、ロサンゼルス、コロラド州ドゥーランゴ、マザトラン、デイトン、ネブラスカ州ゲーリング、サウスカロライナ州オレンジバーグ、ペルーのリマなどで円盤が出現し、チリー海軍までが空中の円盤型物体について報告した。これらの目撃談のほとんどは1日だけの、1晩だけのニュースとなり、翌日は消えて単なるうわさとなったが、あちこちで物語は驚くほどの持続力を示した。

また驚くべきことは、こうした事件の報告の際に要求されるニ種の証言である。円盤を見たと思う一般人のだれも自分の氏名と目撃場所ばかりか、目撃の前後1週間内に酒を飲んだかどうかについて確かなレポートを持ち込まねばならなかったのである。しかし2年間の調査で空軍はほとんどその実態をつかめなかった。

デンバー大学の講演の場合でも空軍は講演者が匿名を用いるのを許そうとはしなかったのだ。教授団と学生たちは講演内容を公開しないように、そしてそれが科学の学生たる彼らに何の価値があるかを考えるようにと誓わされた。しかし講演者は自分が話すことをすべて忘れてくれと聴講者にいったのであり、そのために彼は名前や肩書などを洩らさなかったのである。

講演者が語った話の1つに次のようなのがある。この地上で最初に発見された円盤は、デンバーから500マイル以内のある地点で彼の同僚たちが見つけた円盤だというのだ。だが学生たちは探しに出かけようとはしなかった。数名が新聞社へ行き、あとの者は芝生に寝ころんで空を見つめながら午後をすごした。翌日までには空を見つめる学生がほぼ1000人近くにふえていた。

この煙の元となったのは空軍の公式な頑固な考え方を押し通そうとする火″ではない。ただし空軍係官たちはスコットランドの肩掛けにとまったカメレオンみたいに非公式に飛びまわっていた。表面的には空軍は1949年のクリスマス・シーズン中超然たる態度をとり、l950年の復活祭中は平静を保っていた。だが科学の電磁気部門の高い地位にある人々から、空中の奇妙な物体は数年聞知られていて、1月、2月、3月にはその数が最大にふえたと警告されたのである。新聞の報道記事の増加から判断して、科学者たちはその推定が正しくて空軍側が間違っていると確信していた。

デンバー大学事件の第2段階は、モスコウから来たスパイかもしれない講演者の名を探り出すか、またはその事件を非難するカモ″を見つけ出すことにあった。ところがこれが行なわれていたあいだに、チリーのサンチャゴから1通の報告がはいってきた。チリー南極基地の隊長アウグスト・パルス・オルレゴの言葉を引用して、彼の指揮下にある数名の隊員が円盤の写真を撮影したというのである。隊長はレンズのゴースト・イメージの可能性を否定した。その写真は目撃された物体を確証したというのである。この連続写真はチリー海軍の上司の意見次第では公開されるかもしれないとユナイテッドプレス社に語ったが、いまだに公開されていない。

この報告が明るみに出るや否や今度は同国の気象台から別な報告が出たが、それによるとダ円体の天体(これは円盤を意味する天文学上の俗語である)″が推定1万8千フィートの高度で目撃されたという。それは空中を東から西へ飛んだらしい。海軍の天文専門家によれば、それは午前10時から午後1時まで空中に停滞し、それから消えたが、数千人の人に見られたという。

チリーは米空軍情報部の管轄圏外にあるので、ペンタゴンからは回答が引き出せない。デンバー事件はといえば、調査員たちはあの不思議な科学者を追跡するのに忙しくて、チリー海軍から出たうわさなどを気にしているひまはなかった。

ところが、論議の否定的な側にいる人にとって工合のわるいことに、同じ日にメキシコのトナンチントラ天文台の台長が1機の円盤を撮影したと報告したのである。この写真はあまり鮮明なものではないが、それでもエクセルシアー紙は掲載した。天文台長ルイス・エンリケ・エルロが3月2日、奇妙な丸い物体がメキシコの上空を飛んだのを写したのだ。

すると3月9日にロサンゼルスのアバグチ製粉会社の営業部長ロイ・L・ディミックーこの人はいかなる陪審員にも好意をもたれるようなタイプの人だがーが決定的な円盤騒ぎをひき起こしてしまった。彼はメキシコ市の近くで円盤の残骸が発見され、その中にパイロットの死体があったと報告したのである。その円盤は径約14メートル、.パイロットの身長は約57センチだったという!

>>Part2へ続く


 UFOの秘密 第1話

日本GAPニューズレター 第54号 より

本号よりフランク・スカリーのBehind THe Flying Saucersを『UFOの秘密』と題して連載することにしました。これは実に今を去る24年前の1950年に出版された米国UFO研究界の裏面史ですが、一般から猛烈な批判と攻撃を受け、ねつ造記事のらく印を押されて研究界から完全に抹殺されて以来絶版になっている幻の書です。しかるに編者が海外から入手した信頼すべき情報によれば、この事は事実の記録であり、円盤研究史上貴重な文献であるということです。いかなる事情のもとに葬り去られたのかはさだかでありませんが、UFOの知られざる一面を公にした稀こう本として一読にあたいすると考え、ここに訳出を試みました。本邦初公開と思われるこの驚くべきドキュメントが会員諸兄姉にひ益するところあれは幸いです。
Behind The Flying Saucers by フランク・スカリー

今日(注:1940年代のこと)一般大衆と政府間には2重の道徳基準がある。科学から縁遠いもの、すなわち機密という線にそって、治安よりも恐怖を生み出すものは、文句なしに軍事防衛の枠内に入れられてしまった。われわれが何か異常な物、空中にさえも異常な物を見ると、人民執行委員(注:ン連の大臣に相当)を見ロシヤの農民みたいに口を閉じるか、または氏名・住所・職業・証言などを、名を明かさぬ情報将校に告げて調べられねばならない。

多くの人から恐怖の念をもってみられているこの名を明かさぬ”生物”は、こちらのいうことを否定したり嘲笑したり、ときにはーこういう国がふえているのだが-こちらのいうことをネタにして投獄したりする。こちらの発言のタイミングがその問題に対する彼らの公式声明の出された時点と合わない場合は特にそうである。

共産主義者が自分らの神を作り上げたように、われわれも自国の姿なきスポークスマンを神聖視し始めている。このいずれも言論の抑圧者であるから自由人は闘わねばならない。

このことは今あまり追求しないが、とにかくこれはすべて既成宗教の信仰の喪失にもつながっていて、そのため人々は新理想化運動に走るようになったのである。

自由人が、個人の自由な研究に対するこうした侵害と闘う唯一の方法は、前もって次のようにいうことだ。「私が話すことは否定されるだろう」または「これは真実なのだが、今そんなことをいう者は夢想家のらく印を押されるか、それともしつこく主張すればウンつきにされるだろう」

大衆の権利をうばってしまった検閲官という敵チームが自分らに都合のよいレフェリーによって、こちらが広い競技場で存分に走りまわっているとみるや、防衛戦でラビットパンチ(注=ボクシング用語。後頭部のえり首への短く鋭い打撃)をあびせかけて不具にしたり、こちらがほぼ確実にフィールドゴール(注:フットボール用語。フィールドからのキックによる得点)を入れかけたとみると、空中高く上がったボールを機関銃で撃ったりするならば、アメリカのスポーツマンシップの基準は完全に破壊されるのである。

このような機構のもとで、やることが1つだけある。相手の策略を暴露することだ。この世界がぼんやりと考えているよりももっと多くの攻撃が防衛≠フ名のもとで行なわれていることを示してやることだ。こちらのいうことが全くの真実で、相手のいうことが全くの真実でないことを主張し続けるのだ。

これはわれわれの肉親、すなわち戦争用に訓練されてきて平和時にはスパイや逆スパイなどの役割を与えられた息子たちと話し合う場合、恐ろしいやり方に思えるかもしれない。しかし制服を着た息子たちは大衆に報告しないで中央情報部へ報告するからには(われわれの知る限り、情報部はだれにも知らせないし、だれにも答えない)、現下の発見事を一体どうやって友人たちに知らせればよいのか。

科学者は他のいかなる階層よりも戦後の忠誠ノイローゼで苦しめられてきた。しかし文筆家といえども科学者のずっとうしろに隠れることはできない。米国の歴史をつらぬいている狭量″という糸は、今やわれわれを縛り首にする輪ナワほどに太くなっている。このような状況下で「嘲笑されるだろう」と意識するばかりでなく、「だれが嘲笑するか」を知りながら、しかも逆襲を覚悟の上で書物を書くことは、考えられないほど困難なことである。

われわれは狂人なのだというはっきりとした内部意識によって本当の狂人になってしまうよりもむしろ先頭に進み出て、米国のあらゆる官僚は無能な日より見主義者であり、公務員の給料にしがみついていて、やがて年金をもらうか、私企業の、もったいぶっているがくだらぬ人間のするような仕事にありつく(この私企業には個人の寄付などで成り立っている大学も当然含まれる)連中であり、おまけに真実″の刈り込み人なのだといってやる方がよほどスマートである。

この失われた自由を取り返すためには「くたばれ、上下両院!」と叫び、「極秘」 「機密」 「専用」 「治安上公開せず」などとスポークスマンがいう言葉の真にひそむ絶えまのない策略でごまかされないようにしなくてはならぬ。

このようなごまかしのあとには大抵いつも別な軍事部門から声明が出される。いわく「われわれが隠している物事は実際には隠すにあたいしないものだ」 「われわれは古い時代遅れの軍備で守られているのだ」そして最後には「新式の軍備をするために十億ドルの追加予算を認めないと、われわれは死んだアヒルになる。円盤どころではない!」とくる。

プロパガンダ(注:主義主張の宣伝)というものは真実でもあったしウソでもあった。実際、もしスポークスマンが情報部のために尽くしているとすれば、もはや彼の内部に真実はないといってよいだろう。スパイは単なる熟練でもってウソを売買することはできない。もしできるとすれば、なぜスパイは世界中で逮捕されたり、大抵15年の判決を受けたりするのか。それは国際的レベルで公正取引の策略行為になったのか。 この陰気な壁紙模様の例を2、3あげれば読者にはもっと明瞭になるだ

l947年6月24日、自家用機で飛んだアイダホ州ボイスの実業家ケネス・アーノルドは、ワシントン州レイエア山地帯で数個の空飛ぶ円盤を見たと初めて報告した。そしてこのあと別な目撃報告が続くようになる。

ところが8月9日に第4航空師団の副官ドナルド・スプリンガー中佐は、このナンセンスな報告類をやめさせることにしたのである。しかし彼の命令にもかかわらずモーリー島に落下したといわれる溶けた金属に関して、どうしようもない不可解なナゾが残っていたし、しかも詳細な調査をするためにその金属を輸送していた2名の軍パイロットが死んだにもかかわらず、「タコマ地域だろうがどこだろうが°飛ぶ円盤を信ずべき根拠はない」と中佐は言明したのである。

各新聞はこれを何かの暗示と解釈して、この問題に関しては沈黙してしまった。その結果はどうなったか?1948年1月までに、すなわちスプリンガー中佐の緘口令から6カ月後、ペンタゴン(注:米国防省)はそれまでに寄せられていた数百の目撃報告を調査するためにプロジェクト・ソーサー(注:円盤調査機関名)″を設立した。フェート誌は第1号のほぼ半分を円盤問題の記事にして、「私は空飛ぶ円盤を見た」と題するケネス・アーノルドの手記を巻頭に飾った。

プロジェクト・ソーサーは予備報告を出すまでの1年半のあいだ、冷静な態度で仕事を進めていった。サンデー・イーヴニング・ポスト誌は、どうやらその報告が否定的な内容になりそうだということを知っていたので、空軍の報告とほとんど同時にシドニー・シャレットに2つの円盤記事を書かせたのである。ところが結局その記事は各種円盤事件の要点のくどくどしいくり返しとなり、それを読んだ一般人は、円盤の存在を信ずる者はバカだという印象を受けたのだ。

シャレットの最初の記事は4月30日号のポスト誌に載り、2度目のは5月7日号に載っている。4月30日号はもちろん同日よりも数日前に店頭に出た。実際は空軍が4月27日に予備報告を出したときに発売されたので点る。空軍の報告はポスト誌を妨害したのだ。これは前述のように同じ問題を扱う執筆者をバカにしてかかるやり方に沿っている。

しかしその公式報告はスプリンガー中佐やポスト誌の言い分には何も触れないで、結局円盤ストーリーには何かがあると判断していた。しかも円盤は別な惑星から来るのかもしれないという考え方すら含んでいた。

そして多くの円盤事件を不可解なままに残した上、後日これらの事件にもっと光をあてようと約束したのである。

こうしてポスト誌を否定的な方向への尖兵≠ノなるようにおびき寄せた空軍は、自分たちこそ肯定的であるかのように目立たせ続けていった。このことは当然のことながら1つの新しい傾向を見たライバル編集者たちにドアーが開かれた。トゥルー誌はポスト誌の面目失墜を金で買えると考えた。同誌の編集陣はフェート誌やポスト誌が持っていた資料を集めて、またその問題をとり上げたのである。ただし空飛ぶ円盤の信者すべてに疑惑を投げかけるかわりに、トゥルー誌は1948年の春フェート誌が確立した古い境界線に従って、1949年12月に「空飛ぶ円盤は実在する」と宣言した。ところがー

トゥルー誌が書店に現われるや否や空軍は同誌の見解を徹頭徹尾否定した。同年12月27日に空軍のスポークスマンはプロジェクト・ソーサーは中止されたと声明し、円盤の信者を狂人か山師ときめつけた。 そしてトゥルー誌や他の者を逃げられないようにしたのである。

円盤に対する空軍の見解に同調した、または反対した人々を、宇頂天にさせたり意気消沈させたりするこの権謀術数的やり方はその後も続き、かりに真実のすべてが現われても、このやり方は変えられそうにもなかった。その常套手段は 「われわれとボール投げをして遊ばないか。そうすれば両眼のあいだに球を打ち込んでやる」にあるらしい。

本書に関して軍部が何をいうか、いわないかは、私にはほとんど関心はないが、読者には私の見解を理解していただきたい。私はまだ全然空飛ぶ円盤を見たことはないし、見たという幻覚を起こしたこともなければ、円盤問題に関する大衆の騒ぎに加わったこともない。また私の知識と信念による限り、円盤に関するインチキ行為に加わったこともない。

しかし円盤を見たのみならずそれを研究しているという科学者たちに話したことはある。そして彼らの話に欠点を見出そうと精一杯の努力をした。だが今日まで空軍のしいた3つのカテゴリーのいずれにも彼らを入れることはできなかった。

科学者はこの問題で軍と闘うつもりはない。彼らは研究用の重要な資料を得なければならないのだ。しかし国防省の一部は、同調しようとしない科学者が重要な資料を見つけるのを困難にさせるかもしれない。科学者たちは自分の主張を他人に理解させることができるだろうか? よって、軍の公式声明なるものを風に吹き飛ばされる新聞紙と同じほどに無視せよと私が読者に忠告してもおかしくはない。

実際のところ面目を失った人々が「問題は新聞である」とか「新聞ではなくて円盤のカケラである」といったところで信じられることにはならないだろう。それは、われわれ大衆が、住所氏名を持ち、信念のこもった勇気を持つわれわれが、円盤のような物体は存在すると発言して初めてそれは真実となるのである。しかも長いあいだそのように発言してきたのだ。

さあ、気楽に本書を読まれたい。そしてこれから先に出されるペンタゴンの否定のすべてを無視″という火の中に投げ込まれたい。

1950年 戦没将兵記念日に  フランク・スカリー


●第−章 デンバー大学のミステリー

20世紀の後半にはいったとき、3つの出来事が異常なニュースとして脚光をあびるようになった。その内の2つはニューヨークタイムズ紙の目を引かなかったが、当時ほとんどだれの関心の的にならなかった3番目が、他のすべての新聞と同様にこの大新聞の数カ月にわたるトップ記事となったのである。

ニューヨークタイムズにとってニュース価値のなかった2つとは、米本土中に空飛ぶ円盤が出現するという多数の報告と、イングリッド・バーグマンの赤ん坊がイタリアで生まれたというニュースである(注:バーグマンはスエーデン生まれの往年のハリウッド大女優。「カサブランカ」「誰がために鐘は鳴る」等で有名)。

3番目の事件というのは、まだ恐るべき魔物として立証されていなかった。実現させるようにと期待されていた科学者の多くは、それが完成しても作動するかどうかに確信がもてなかった。これこそ水素爆弾なのである。だが例外なしに新聞にとっては、この変形爆弾は既成事実だった。

1950年の春に生きていたあらゆる人々にとって、この水爆という怪物がすでに実在していたと信ずることはむつかしいが、一方、大衆にとっては地上のものにせよ別な所から来るものにせよ、空飛ぶ円盤には夢があった。

ヒロシマに投下された原爆の50倍もの人間を殺すと考えられるこの爆弾は、製造中からもちろんニュースだねとなっていた。しかし1950年には、大気中に出現したり、たぶん地上に着陸するとも思われる円盤に関する多くの話ほどには現実味がなくなったのである。

こうした円盤事件の話がもし真実となれば、この世界の創造以来かつてないほどの大事件の1つといってよいだろう。もし選択をする必要があった場合、超過支出または他国に対する武器貸与、または国民の汗で切り抜けている国の政府ならば、この世界に対する人間の知識や理解に何ら新しい貢献をしない爆弾の製造に同じ額の金をついやすよりも、宇宙船の建造に数百万ドルの予算を組むよう決定するだろう。

しかるにこうした選択が与えられた少なくともある一国の政府は、控え目の予算で2年間の調査をやったあげく、プロジェクト・ソーサーを解散させて、その空軍はUFOのほとんどの報告を次の3つのどれかにしてしまったのである。

 1 地上の種々の物体の誤認
 2 群集ヒステリーの弱い形
 3 インチキ

空軍の正体不明″のスポークスマンは、プロジェクトが2年前にオハイオ州デイトンのライトパターンン空軍基地に設立されていたと簡単に説明した。ここは空軍資材司令部である。

「そのとき(1948年1月)以来、375例が報告され調査された」とレポートは結んでいる。「補助特別調査員は大学や政府関係の科学コンサルタント(複数)であった」 この調査員やコンサルタント、大学などの名はあげていない。実際、その短期間での解散と6カ月に及ぶかなり長いレポートとのあいだには375例の内、34例が未解決のままになっていたが、その34例のミステリーは全然何の説明もつけられずに閉店≠ニなったのである。かりに何らかの解決があったとしても、それらは軍部以外のすべての人には極秘にされたことだろう。

しかるにプロジェクト・ソーサーの最後の発表が公開されるや否や、円盤に関する一連の報告が西側世界のあらゆる場所から新聞を目標にし始めた。政府のプロジェクトが中止されたとき、こうした報告の配達人≠ヘ地方の新聞以外に行く所がなかったのである。

新聞社と、2年にわたる空軍の公式調査機関中に円盤事件を無視した国防省のあいだには和親協定があった。しかし空軍が手を引いたとき、水門が開いたのである。新聞社によっては円盤問題をクズカゴの中に投げ込み続けたのもあったし、また読者の報告や関心のしつこい弾幕のもとで屈したのもあった。復活祭の頃までにはあらゆるラジオ解説者、あらゆるコメディアン、あらゆる議員などが、そしてニューヨークタイムズまでがいいたいことをいった。

ウォルター・ウインチェル(注:当時の高名な新聞記者)が最初に口火を切って、UFOはソ連から来ると確言した。ヘンリー・J・テーラー(注:ジャーナリストで駐スイス大使)は2度も発言して、彼の解釈によれば円盤はアメリカのものでソ連のものではないという。彼はラジオに出演して、自分が今やっている円盤の確実性に関する念入りな解説は円盤問題の半分しか述べておらす、あとは空軍から発表されれば今夜のいいニュースになるだろうといった。デービッド・ローレンスは自分が出しているUSニューズ・アンド・ワールド・レポートのあらゆる威信を円盤実在信者のうしろへかくして、「円盤はヘリコプターと急スピードのジェット機の組み合わせによる革命的なタイプの飛行機だ」と述べたのである。大統領でさえも円盤問題を吹き払うためにキーウエストの避暑地から引き上げねばならぬ始末であった。エリノア・ルーズベルト(注:ルーズベルト大統領夫人)はシカゴ・アンド・サザン・エアラインズのべテランパイロット、ジャック・アダムズ機長とG・W・アンダーソン1等操縦士にインタビューしていた。この2人は自分たちがアーカンソー上空で見た円盤のことを報告したのだが、それは他の惑星から来るのではなく、秘密のテスト機で、ジェット推進機でもないと主張した。フルトン・ルイス2世(注:ニュース解説者)も円盤について自分の見解を発表した。ボブ・ホープ、レッド・スケルトン、フィバー・マギー・アンド・モリー、エドガー・バーゲン、チャーリー・マッカーサー、アモス・アンド・アンディー、それにもちろんジャック・ペニーも円盤問題を嘲笑のタネにした。ジミー・ドゥーラントを含むあらゆる人が行動にはいったのである。(注:以上の人名は1940年代に米国で活躍したコメディアンやラジオ・エンタティナーたちである)

しかし真実の内幕は彼らすべてによって失われていたのだ。

謎の講演者

それは1950年3月8日にコロラド州デンバーで発生した。その日の午後12時30分にデンバー大学の350名の学生は、昼食を抜かして或る内密の科学講演を聴いたのである。この講演は後に新聞が「正体不明の中年の講師」と述べた人によって行なわれたのだ。

この男はガリレオが「それは動いている!」といって以来、この地球または他の惑星に関して最もセンセーショナルなと思われる講演をやってのけたのである。彼は話している場所から500マイル以内に着陸したという1機の円盤の真相についてすべてを語り、しかもその宇宙船と乗員についてきわめて詳細に話したため、学生や職員たちは頭をひねりながら教室を出て行った。

しかし人間のゆがめられた好奇心は大きいので、その講演者がだれであるかということが講演の内容よりも大きな関心の的になり始めた。この人間は学生たちによって最初に解決されねばならないミステリーとなってしまった。

数時間後に、この講演者はコロラド州デンバー市に住むジョージ・T・キーラーというロッキー山ラジオ局の1員に付き添われていたことが一同の頭に浮かんできた。その局のコールレターはKMYRである。講清に出席した教職員の話によると、キーラーは講演者の名前をだれにも全然紹介しなかったという。しかし講演者があとで私に説明したところによると、講演者の匿名を守る役目の教授はたしかに本人の氏名を知っていたそうである。

その講演の本顔が始まる前に話し手は説明して、ある氏名、日付、場所などは省略する必要があること、またそれらについて質問してはならないことなどを述べた。これは科学者のなかには治安計画に参加している人があり、そのため個人的に調査が行なわれている円盤問題について話せる自由がないからだという。その言葉とともに教授連もノートブックを取り出した。

講演者は用意周到な言葉を用い、時間のとり工合を心得ている教授みたいな話し方をしたので、なぐり書きしていた学生たちも最初の貢のめくりで落伍するようなことはなかった。彼は意外な事実を一定の間隔をおいて話したので、講演の終わったときは大多数の人が「驚異的なことだ」 「センセーショナルだ」 「ロもきけないほどだ」 「まったく感動した」といい、「バカらしい」 「信じられない」といったのは少数であった。

講演した科学者は誰?

50分ほどかかったその講演については、実数で約40パーセントの聴講者が不思議がっていた。もともとこの講演は世間に公表しないという条件で科学の基礎クラスの学生のために準備されたものである。だが最初は90名だったものが、次第にうわさが広がって教室一杯になってゆき、天文学や工学の教授・学生がつめ込んだため、立すいの余地もなくなったのである。

教職員側と講演者の事前の交渉は数カ月続いている。これは講演者が高く評価されることを望まず、むしろ科学クラスの学生たちが講演を聴くことに100パーセント同意したために、本人が承諾したのである。この学生たちの内80パーセントは講演が終わったあとで「非常に感動した」といっている。手を上げさせることによって、60パーセントはその講演者の話が真実で、まったくありそうなことだが他の惑星から来てこの地球に着陸した宇宙船を調査している科学者の一団−と彼が述べたーの1人であるらしいと答えたのである。しかも学生たちはこの正体不明の科学者が空飛ぶ円盤の推進力の秘密に対して最上の解答をもっており、それは内燃機関でも噴射推進機関でもないと信じたのだ。

更に後に行なわれたアンケートでは、この驚くべき講演の学生信者が60パーセントから50パーセントにへったことを示した。それでもこの数字は円盤に対する全国的な信者の数よりもかなり高いのだ。ユナイテッドプレス社が行なった全国的な調査によれば、4人の内1人は円盤が宇宙船だと信じている(注:ただしこれは11950年の上半期に行なわれた調査である)。たしかに米国民の26パーセットは円盤は宇宙船だと信じていたし、8パーセントはよくわからないと答えていた。それ以外の者は円盤は幻覚、大衆ヒステリー、インチキだという空軍のスポークスマンに同調していた。これら回答者の中には、あの講演者の話は少なくとも非常に立派だったと考えているデンバー大学の教授陣も含まれていようし、また、1大学の名声を利用して行なわれたインチキではないかと考えている人も含まれるだろう。しかしその正体不明の講演者は、アインシュタイン、オッペンハイマー、ブッシュらが同じような懐疑的な聴衆に同じようなセンセーショナルな事実を伝える立場におかれたとすれば、おそらく同じように話したと思われるほどに巧みに、控え目に、科学的に話したのである。

この不思議な科学者が15分問質問攻めにあったあと、ジョージ・キーラーは叫んだ。「偉大なスコット! われわれはもうここから出なくちゃいけない。飛行機に乗るまでにあと20分しかありませんよ!」 この声を聞いた講演者とキーラーの2人は急いで建物から出て馬力のある車に乗り込み、走り去った。

宇宙旅行に関する講演は大変な連鎖反応を起こしたので、1時間以内には教授団、学生、新聞記者、ラジオ解説者たちのあいだで上を下への大騒ぎとなり、2時間以内には今度は彼らが空軍情報部係官から質問されることになった。

この係官たちが最初に知りたがったのは「講演した人の名は何というのか」である。しかしだれも全然知らない。1人の1年生が、講演者とキーラーが去って行く直前に「偉大なスコット」と呼ばれたことを思い出した。1人の教授は講演者が「シアーズさん」と紹介されて本人から訂正されたことを思い出したが、教授は男が自分の名を何といったかは記憶していない。

「あの人は”ニュートン”または”ニュートンの友達”といったと思います」「デンバー市長のことかね?」「いいえ、デンバー市長でないことはみんなが確信していました」「あんたは一体1人の男が名前を全燃知られないでデンバー大学で講演できるというのですかい?」と軍人が尋ねる。

教授はまったくそんなつもりでいったのではない。当然のことながら国家に対する忠誠、反国家主義者狩り、大学の自由をうばおうとしている治安上のタブーなどを前にしてそんなことがいえるわけはなく、むしろあの男がキーラーに護衛されていて、結局男は人類が数百年間考えてきた空想的な問題について人に害を与えることなく話したにすぎないといったのである。

「害を与えることなく?」と軍人はくり返して「そんな問題が害を与えないことをどうして知っているのかね? だれか彼の車のナンバーを覚えているかい? それともどこのホテルへ行くのか立ち聞きした者がいるか?」

すると1人の聴講者が、講演者は20分したら飛行機に乗らねばならないとキーラーがいったことを思い出した。

「彼はどこかへ行くといったのか?」 「いいえ、でもキーラーは知っていたのでしょう」 「おお、キーラー!」と係官は顔をしかめて叫んだ。

なぜ顔をしかめたか? どうやら数カ月間空軍情報部ばかりか編集者までがー大見出しで「空飛ぶ円盤は実在する」と声明したために危険なフチに立つことになったトゥルー誌の発行人ケン・バーディーから、キャンザス・シティータイムズの無名記者に至るまでー円盤に関する詳細な点についてキーラーを質問攻めにしていたからである。ところが実際のところキーラーは直仕入れの情報を何も持っていないと彼らに語ったのだ。バーディーはドナルド・キーホー(注:退役軍人で著名な円盤研究家)をワシントンからデンバーへ急行させて、事の真相をつかませようとした。金は問題ではない。だがキーラーはやはり直仕入れの情報を持たないという。そこで怒った一同は本を彼に投げつけた。それまでキーラーに会ったことのないキャンザス・シティーの記者は彼を「スキの刃」とののしった上、みんなインチキだといった。やはりキーラーに会ったことのないAPの1記者も失敗をくり返した。キーホーもどたばたしながら彼を捕らえたが、やはりだめだった。キーラーはこの場にふさわしくない名前を用いて彼らを呼んだ。これは現代の小説ではないからだ。

だれも彼を信じようとはせず、特に空軍情報部はまったく相手にしなかった。かつては情報部負たちが、キーラーはアメリカの大砂漠のどこかに着陸したといわれる円盤のキャビンにパイプラインを突込んでいる(注:キーラーがコンタクティーであるの意)と信じ切っているかのように行動したし、その円盤たるや土産物探し屋の軍部によって追い払われたともいわれていたのだ。軍部は情報を探していたのか、それとも軍部が持っているのと同じ情報を持っている人のすべてを押さえつけようとしていたのか。軍部自体が行なっていた宇宙船の実験が洩れるのを恐れたのか。それとも円盤はクレムリンの裏面からブーメランのように投げ返されていたのか?

一大学という湯わかしの中のこのアラシが起こる数カ月前に空軍は、1948年1月にオハイオ州デイトンにあるライト基地で設立されたプロジェクト・ソーサーは1949年末までに閉鎖を命じられていたと声明した。しかも、1949年4月に公表された予備報告は、アイダホ州ボイスのl実業家が(注:ケネス・アーノルド)l947年の夏に自家用機で飛んでいたとき9個の円盤型物体が推定できぬほどの速度で空中を飛んでいたと報告して以来、375の目撃例の内、341例をボツにしてしまったことを忘れてはならない。

残る34例についても空軍の係官は満足すべき解答を見出せなかった。表面上彼らはこの34例をインチキ、幻覚、新聞の見出しに自分の名前を出したがっている人の策略などのせいだとはいえなかった。それにもかかわらず、この未解決のミステリーに対して空軍は1949年の12月末にプロジェクトが解散して、調査員たちによれば円盤は神話であり、それを信ずるのは群集ヒステリーの1つであると言明したのである。

このすさまじいスピードで空中を飛ぶ不思議な円盤型物体について空軍はファイルに入れなかったにもかかわらず、見なれない物体を新聞社へ報告した人々は、その後結局軍部のスパイのワナにかかっていたことに気づいた。事情を知っている新聞記者や他の人々はプロジェクト・ソーサーが解散したという説をあざ笑ったのである。なかには公然とその嘲笑ぶりを新聞にのせたのもある。ペンタゴンは円盤調査が地下活動に変わり、別な名称でまだ行なわれていることを否定しなかった。

キーラーという人はある逆スパイ組織と小ぜり合いをしていた多くの一般市民の1人だったのである。しかしラジオの売れ行きを助ける側にはいる以前の彼はシカゴ・ベアーズのプロ・フットボール選手であったことから、逆パンチを与えることなしに引き下がるような人ではない。

円盤関係の資料を集めるために1人の陸軍調査官がKMYR局へやって釆たとき、キーラーは2人の会話をひそかに録音しようときめたのである。

その後に別な調査官がハッシュハッシュ・オペレーション(注:沈黙作戦)≠行なうために訪れたときーこの作戦はプロジェクト・ソーサーに取ってかわったものらしい−ただちに降伏せよと命令されたキーラーは驚いた。「われわれはあんたがこのインタビューをこっそり録音していることを知っているんだ。テープを渡しなさい」ト調査官がいう。

スキをつかれたキーラーは、会社の所有物を他人に渡すにはまず経営者に相談しなければならないと答えた。

「どうしても治安上のー治安とはマジック・ワードだー理由でというのなら」と社長は同意した。

キーラーは相談の席を離れてから、技師にテープを巻きもどさせねばならぬと説明した。政府官吏のでたらめな話をうまく処理する方法を心得ているキーラーは録音室の方へ行き、軍人の方に背を向けて技師にウインクしてから命じた。「この紳士のために録音テープをととのえなさい(Fix Up)。」

技師はととのえた。しかもスプールを巻きもどしながら録音された会話を全部消去したのである。(注:フィックス・アップという言葉には別に計略をたくらむ≠ニいう意味がある。ここではその意味も含ませた) まるで黒板に書かれたチョークの跡をぬれたスポンジでふき消したように消してしまったのだ。こうして大喜びしたスパイ将校があとで再生してみると、何も音は出てこなかった。要するにデンバー大学で講演したあの不思議な科学者を追跡中に空軍情報部員が「おお、キーラー!」と叫んだのは、実際は「あいつの首をしめてやる!」という意味だったのである。

空軍情報部、正体つかめず

さて情報部がやったのは、3月8日1時30分からデンバー市外へ出発した旅客機の乗客名簿をかたっぱしから調べることだった。彼らはこれを実施し、かつてプロジェクト・ソーサーに関係して浮かび上がったことのある科学者で非公式の命令に違反した者はいないかと調査したのである。だがこのマンハントは何の効果もなかった。あの正体不明の科学者はその日デンバーから飛行機で町を出ていなかったのだ。

空軍情報部が見失った容疑者からにがい丸薬を飲まされたとたんに、空飛ぶ円盤はアーク灯の周囲に群がるガの8月の祭典みたいに空中を乱舞し始めた。

その週にはメキシコ市、ロサンゼルス、コロラド州ドゥーランゴ、マザトラン、デイトン、ネブラスカ州ゲーリング、サウスカロライナ州オレンジバーグ、ペルーのリマなどで円盤が出現し、チリー海軍までが空中の円盤型物体について報告した。これらの目撃談のほとんどは1日だけの、1晩だけのニュースとなり、翌日は消えて単なるうわさとなったが、あちこちで物語は驚くほどの持続力を示した。

また驚くべきことは、こうした事件の報告の際に要求されるニ種の証言である。円盤を見たと思う一般人のだれも自分の氏名と目撃場所ばかりか、目撃の前後1週間内に酒を飲んだかどうかについて確かなレポートを持ち込まねばならなかったのである。しかし2年間の調査で空軍はほとんどその実態をつかめなかった。

デンバー大学の講演の場合でも空軍は講演者が匿名を用いるのを許そうとはしなかったのだ。教授団と学生たちは講演内容を公開しないように、そしてそれが科学の学生たる彼らに何の価値があるかを考えるようにと誓わされた。しかし講演者は自分が話すことをすべて忘れてくれと聴講者にいったのであり、そのために彼は名前や肩書などを洩らさなかったのである。

講演者が語った話の1つに次のようなのがある。この地上で最初に発見された円盤は、デンバーから500マイル以内のある地点で彼の同僚たちが見つけた円盤だというのだ。だが学生たちは探しに出かけようとはしなかった。数名が新聞社へ行き、あとの者は芝生に寝ころんで空を見つめながら午後をすごした。翌日までには空を見つめる学生がほぼ1000人近くにふえていた。

この煙の元となったのは空軍の公式な頑固な考え方を押し通そうとする火″ではない。ただし空軍係官たちはスコットランドの肩掛けにとまったカメレオンみたいに非公式に飛びまわっていた。表面的には空軍は1949年のクリスマス・シーズン中超然たる態度をとり、l950年の復活祭中は平静を保っていた。だが科学の電磁気部門の高い地位にある人々から、空中の奇妙な物体は数年聞知られていて、1月、2月、3月にはその数が最大にふえたと警告されたのである。新聞の報道記事の増加から判断して、科学者たちはその推定が正しくて空軍側が間違っていると確信していた。

デンバー大学事件の第2段階は、モスコウから来たスパイかもしれない講演者の名を探り出すか、またはその事件を非難するカモ″を見つけ出すことにあった。ところがこれが行なわれていたあいだに、チリーのサンチャゴから1通の報告がはいってきた。チリー南極基地の隊長アウグスト・パルス・オルレゴの言葉を引用して、彼の指揮下にある数名の隊員が円盤の写真を撮影したというのである。隊長はレンズのゴースト・イメージの可能性を否定した。その写真は目撃された物体を確証したというのである。この連続写真はチリー海軍の上司の意見次第では公開されるかもしれないとユナイテッドプレス社に語ったが、いまだに公開されていない。

この報告が明るみに出るや否や今度は同国の気象台から別な報告が出たが、それによるとダ円体の天体(これは円盤を意味する天文学上の俗語である)″が推定1万8千フィートの高度で目撃されたという。それは空中を東から西へ飛んだらしい。海軍の天文専門家によれば、それは午前10時から午後1時まで空中に停滞し、それから消えたが、数千人の人に見られたという。

チリーは米空軍情報部の管轄圏外にあるので、ペンタゴンからは回答が引き出せない。デンバー事件はといえば、調査員たちはあの不思議な科学者を追跡するのに忙しくて、チリー海軍から出たうわさなどを気にしているひまはなかった。

ところが、論議の否定的な側にいる人にとって工合のわるいことに、同じ日にメキシコのトナンチントラ天文台の台長が1機の円盤を撮影したと報告したのである。この写真はあまり鮮明なものではないが、それでもエクセルシアー紙は掲載した。天文台長ルイス・エンリケ・エルロが3月2日、奇妙な丸い物体がメキシコの上空を飛んだのを写したのだ。

すると3月9日にロサンゼルスのアバグチ製粉会社の営業部長ロイ・L・ディミックーこの人はいかなる陪審員にも好意をもたれるようなタイプの人だがーが決定的な円盤騒ぎをひき起こしてしまった。彼はメキシコ市の近くで円盤の残骸が発見され、その中にパイロットの死体があったと報告したのである。その円盤は径約14メートル、.パイロットの身長は約57センチだったという!

>>Part2へ続く

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