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新アダムスキー全集

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中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 アダムスキーに関するコメンタリー

デスモンド・レスリー   ニューズレター No.56

一体、老漢ジョージ・アダムスキーはイカサマ師だったのか?  それとも彼はー?

彼の存命中、多数の人は彼を山師、ウソつきと考えていた。UFO研究界でこのおかしなカリフォルニア人ほどの喧騒をひき起こした人はいない。今や彼を非難した人々は自分たちの説が全く正しかったと思っているようだ。

▲1954年夏、パロマー・ガーデンズを訪れたデズモンド・レスリーとジョージ・アダムスキー。

それなのに、現在の諸発見にもかかわらずなぜ私はずうずうしくもこの書(空飛ぶ円盤実見記の原書)の再版を試みたか? 調べれば確証できる全くの歴史的事実から成っている、もっと合理的になったと思われる私の論説にアダムスキーの"つぶやき"を加えたことを、なぜ私が素直に「過ちだった」と認めようとしないのか? なぜこの書から彼の体験記をそっと除外して、アダムスキーなどは知らないよ、というような顔をしないのか? なぜ私はみすがら危険な目にあい続けようとするのか?

私は厚かましい。しかも相当に−。

しかも彼を非難する大部分の人々とは違って、かなり骨折って彼自身や、彼が撮影した写真類、そのネガ、撮影用具、同時目撃証人たちや、その他の状況証拠などを調査したのである。そして多くの行き詰りや失望にもかかわらず、1952年11月20日の円盤着陸の話は実際に発生した事件であり、運よくそれを目撃して証言した人たちの報告どおり、ある程度正確な事実だという、人騒がせな確信を持つに至ったのである。

しかし金星の物理的表面には人問が住めないのに、円盤から出て来た人は金星が自分の本当のホーム感星だとほのめかした。そうなると我々はとこへ行けばよいのか?

まず私は1954年にカリフォルニアヘ行き、ジョージ・アダムスキー、アリス・ウェルズ、ルーシー・マクギニスらと数カ月間生活を共にした。そして彼らの生き方、行動や反応、誠実さ、精神的価値などによって彼らが好きになり、尊敬するようになった。彼らは"善良な人々"といえる入たちであった。どちらかというと一般人よりもすぐれているのである。他人が信じてくれるか、くれないかには特に関心を持っていなかった。彼らは或る物事を見たり体験したのであって、忍耐強くそのことを話したり質問に答えたりする余裕があった。

「私たちがコンタクトの現地へ到着したときにジョージはただ砂の中の足跡を指さすだけでした。彼は非常に興奮していましたので、続けて話すことはできなかったのです。興奮した学童のように飛んだり跳ねだりして狂気していました」とルーシー・マクギニスは私に語った。

数週間後にジョージ・ハント・ウィリアムソンに会ったときも、彼は大体に同じことを話してくれたし、アリス・ウェルズは東洋人のような落ち着いた態度でその話を確証した。

アダムスキーが"訪問者"にむかって身振り手まねで話しているのを一同が最初に見たとき−−この訪問者は上下続きの服を着た人であることが双眼鏡で見えたー、その地域は小さな採掘所が調査しているので、一同はアダムスキーが鉱山の調査員に話しかけているのだと思った。何か界常なものだと考えてその姿を長く注意深く見つめたのはアリスのようで、それでスケッチをしたのである。

"訪問者"が去って行く前に一同がアダムスキーの方へ走り寄らなかった理由を私は考えつくことができなかった。540乃至720メートルの距離である。一同の答は淡々たるものだった。アダムスキーは、合図をするまで来るなとみんなに言っておいたのだ。後にわかったことだが、アダムスキーは他人を本能的に自分の要求に従わせる一種の意志力を持っていたのである。

同行者たちは実際に宇宙船を見たのだろうか?見たのだ。全員が大母船を見ているし、軍用機が現場へ来たときにその母船が丘の向こうへ消えて行くのを目撃している。

円盤についてはどうか?

彼らの話によると、キラキラと輝く物体が石ころ丘の背後にいて、ときどぎ上下して見え隠れしたという。これは物体のドームだったと彼らは考えた。茶色の服を着た人が石ころの丘の向こうへ消えた直後、強烈に輝く物体がものすごいスビードで上昇した。数秒間アダムスキーは身動きもせずに立って呆然自失の状態だったが、すぐに仲間のことを思い出して、こちらへ来いと合図をした。彼はほとんど口のきけない状態だった。最初彼は砂の中に鮮明にしるされた足跡を指さすだけだった。彼は息もつかずにぶつぶつつぶやいていた。(後に私は現場を訪れて、自分の足で鮮明な跡をつけることができた)

「彼が芝居を演じていたとすれば、見たことのないほどの名優だ。彼は興奮のあまり呆然としていた」とウィリアムソンは言っている。

▲1953年夏、コンタクト現場を訪れたレスリーが自分の足でつけた足跡。

「しかし彼らが母船を撮影した映画フィルムはどうか?なぜ写っていなかったのか?」と私は尋ねてみた。

するとウィリアムソンは首を振って答えた。「わからない。あれは借りてきたカメラだ。だれもそれを使用した経験はなかったのだ。ベイリー夫妻がどんな失敗をやったのか私は知らない。私には全くわからない。フィルムは空白のままだった」

ジョージが地上で円盤をクロース・アップ撮影したけれども、フォース・フィールドでだめになったというネガ類はどうか?

アダムスキーはそれらを探し出して私に見せた。その大きさや奇妙な形からみて私はすぐにそれが彼の時代遅れのハギー・ドレスデン・グラフレス・カメラ用の正規の乾板であることに気づいた。このカメラにはレンズがついておらず、彼の望遠鏡に装着して使用するのである。最初それらの乾板を調べたとき、まっ黒に見えたが、強い日光にすかして見ると、かすかに石ころのかたまりが見えた。そしてたしかにその前方に浅いベル型の円盤が少し傾いて、観察者よりも数フィーとト高く浮き上がっているのが見える。着陸しようとしているかのように3個の球が突き出ている。私がこの画像を指摘すると、何かが写っていることにジョージはひどく驚いたようだった。なぜ彼がその像に気づかなかったのか、私にはわからない。しかし、ここに奇妙な事があるのだが、もしこの乾板が円盤の放射線で黒くされたとすれば、いかなる驚くべき技術でもってパイロットは感光乳剤を再生させて、あの奇妙な文字を焼き込んでから、12月13日にネガを返したのだろう?

▲アダムスキーが使用したハギー・ドレスデン・グラフレス・カメラ。

この書(空飛ぶ円盤実見記の原書)が出版されて爆発的なベストセラーになったあとの、1954年の夏だった。奇妙な夏である。謎めいた魅力のある、時には怒ったりするアダムスキー氏と共に私はパロマー山腹で2ヵ月をすごした。敬愛すべき、人を怒らせるような、時にはとらえどころのない彼は、また時には全く畏怖すべき深遠さをたたえていた。この内奥の深さを示すときのアダムスキーを発見するには、彼が独りでくつろいでいるときでないとだめである。大勢で押しかけると彼を悩ませ過分に刺激するのだ。公衆の面前では演説がへただった。 演壇上で心がときどき動揺したらしい。話を聞こうと熱心につめかけて行列をなしている多くの人は幻滅を感じ、失望して去って行った。少々精神分裂症だったと言えるだろうか? 

私にはわからない。私は精神病学者ではないが、人はしばしばその勇猛な肉体に2人の人間が存在するという印象を受けた。1人は小さなアダムスキーで、多数の人が集まるとのべつまくなしにしゃべり、曖昧な拙い表現で語られる概念の雲で聴衆をきりきり舞いさせては常に人を押しのけて前進しようとする。

もう1人は巨大なアダムスキーで、それは我々が知って愛するようになった男であり、親しい人たちの前だけに現われたアダムスキーである。ひとたび現われるや、自分たちは一つの偉大な魂を知っているのだということをみんなに確信させるのであった。巨大なアダムスキーは深く美しい声で静かに語り、信じられないほど老熟した賢明な忍耐強い態度を示した。その大きな燃えるような黒い眼をのぞき込むと、このアダムスキーは話すことができた、または話そうとしたことよりも、はるかに多くの事柄を知っており、体験したのだということに人は気づくのだった。

彼の側近の1人は後に私に語った。

「もしジョージが知っていることのすべてを話すことを許されたとしたら、彼の生活はもっと楽になっていたでしょう。自分の体験を証明できたはずですから」

しかし1954年に彼が私に話したある驚くべき事が発生していた。これは、バンアレン帯が発見されるより以前のことである。しかも最初の宇宙飛行士が人工の宇宙船に乗って地球の周囲を回ったときよりもはるか以前のことなのだ。UFOに乗って宇宙飛行をしているあいだに彼が見たり聞かされたりしたことについて、後に出した書物 Inside the Space Ships(空飛ぶ円盤同乗記)に述べているように、彼は次のように説明したのである。

(1) 地球をとり巻く放射能帯がある。(数年後にこれは発見されてバンアレン帯と名づけられた)
(2) (後にグレン中佐が見た)宇宙空間の「ホタル火」
(3) 成層圏の上に奇妙な現象があった。UFOが輝く光の帯の中に突入したとアダムスキーは言った。これが何なのかは彼にはわからない。キャビンの窓から観察したと言うだけで、何なのだろうといぶかっていた。

この不思議な"暗黒中の輝き"現象は後に数度の機会にアメリカの宇宙飛行士たちによって報告されている。ジエミニ6号の飛行中にシーラは「宇宙飛行中の最大の驚きだ」と言っている。クーパーもマーキュリー9号の飛行中に同じような光る帯を観察している。

もっと最近では宇宙飛行士カニンガムもクー・バーの目撃を確かめようとして、この奇妙な光帯を見ている。コソドン報告でフランクリン・ローチがこれらの目撃について概要を説明している。

(4)1969年の終わりまでは、アステロイド帯、すなわち太陽と木星・火星のあいだを回る小物体の輪は、爆発した惑星の残骸だと信じられていた。ところが1954年にアダムスキーは「違う」と主張した。彼の"訪問者たち"が彼に話したところによると、爆発した残骸どころか、これは実際には発達中の1惑星であって、いつかは合体して一天体となり、最後は未来の生命体の住家になるのだという。

▲アダムスキーが撮影した物体。矢印が離陸瞬間の金星のスカウトシップ。1952年11月20日に金星人との最初のコンタクトがあった。この光景はUFOの調査に関心を持つ6名の友人も目撃した。

わずか数週間前に宇宙飛行士たちはこれと同じ結論に達している。かなりの力を伴って惑星が爆発し、粉々に砕け散ったとすれば、その細片は遠方まで飛び敗るはずで、太陽を中心とする薄い輪の形にはならないだろうというのだ。アダムスキーはもっと詳しく説明し、海王星と冥王星とのあいだにも第2のアステロイド帯があることを予言した。彼の"訪問者たち"は冥王星のはるか外側に3個の惑星があって、全部で12個になるのだと話した(これら3個は未発見である)。しかもこの外側にも更に第3のアステロイド帯が存在して、これが我々の太陽系内の空間と隣接する他の太陽系群の空間とを混合させるという二重の役目を果たすというのである。

最初の否定的言明は確証された。だがアステロイド帯として知られている だけだ。たぶん1970年後半に計画されているファンタスティッククな10年間の玉つぎボール式全惑星めぐり宇宙飛行が再度彼の説の正しさを証明するだろうか?

そこで疑問が起こってくる。パロマー山に住む、世をのがれた1カリフォルニア人が、自分の眼で実際に見たこともなく、または宇宙飛行士から進んだ情報を与えられなかったとすれば、一体彼は1953年にどうしてこのような事柄を知ったのか、ということだ。当時の宇宙飛行士といえばおおやけには存在しなかったUFOのパイロットだけである。

運のよい推測だったのか?

アダムスキーは気晴らしに多数の"運のよい推測"をやったというのか。

彼が私に話してくれた事がもう一つある。それは遠隔操縦の観測用小型円盤で(直径は約60センチ乃至90センチ)低空でデータを集めるためにUFOから発射されるのだという。ある夕方、私はリンカーン・スプリングズから彼の家に向かって道路を歩いていたとき、約400メートルむこうのアダムスキー家の屋根から、すごく輝く1個の光球が急速に上昇するのに気がついた。銀黄色のベリー式信号光みたいで、上昇を続けてやがて視界から消えた。飛行しながら加速しているという印象を与えた。しかし翌日の夕方には非常に接近してそれを見ることになったのである。

我々は夕暮れのなかを中庭にすわっていた。ジョージ、アリス・ウェルズ、ルーシー・マクギニスがいて、私は戸口に背を向けていた。すると、何かに見つめられているような奇妙な冷たい感じがし始めた。だれかが、または何かが私のすぐうしろに立っているかのようだ。さっとあたりを見回すと、150メートル向こうのリヴ・オークスと我々とのあいだに1個の小さな黄金色の円盤が見えた。すぐにその円盤はかすかなシューッというう音を立てて背後に淡い航跡を残しながら空中を上昇して消えた。ジョージはおごそかに、にたりと笑って言った。「いつ君があれに気づくかなと思っていたよ!」

私は驚いた。「遠隔操縦物体のーつなのかね?」と尋ねたように思う。彼はうなずいた。「よかったなあ。この30分間我々はワイ談はやらなかったぞ」と私は言って、一同は笑った。ジョージはある素敵な話を楽しそうに話していて、全く平静だったのである。私は寄宿舎で校長がそっと現われたときに運よく1度だけ行儀がよかった学生のガリ勉屋みたいな感じがした。

しかし宇宙人は私を訪ねて来なかったし、私の溢れるばかりの好奇心を満足させるために円盤が滑空して降りて来ることもなかった。当時、私はこのことをかなり不満に思っていた。しかし今はいわゆるコンタクトなるものがコンタクティーの生活や心に及ぼす影響を考えてみれば、それでよかったとも思う。評判や嘲笑で生活を破壊するか、もっと悪くいけば本人に偉大になったようなイメージを与えることにもなるのだ。私はその夏に会った少なくとも2人のコンタクティーを思い出す。2人はそれ以来"救世主"になって、新しい宗教を始めようとしている。ひと皮むけば虚栄というものが大抵の人間の内部に潜在しているのだ。 新しい刺激を求める熱烈な大衆、愚かな追従者、餓えた羊たち。"偉大なる我"になろうとする誘惑−―−。私は稀代の悪党になっていたかもしれない。

別な数度の機会に、我々と向かい側の山のあいだの谷間を強烈に輝く光体(複数)が上昇するのを見た。ジェット機よりも遠く飛び、完全に無音だった。ある夜、我々は一種の野外集会を開催して、3000人以上の人が集まった。そのとき私かスライドを映写して講演を行なっていると、あの輝く光体が数個かすめ飛んだ。谷の反対側の峯の下を飛んだとき、我々は大体の距離と飛行コースを目測できた。居合わせた2名の陸軍将校が自分たちの腕時計型ストップウォッチで時間を計る沈着さを持ち合わせていて、時速2000マイル以上で飛んでいたと推定した。

それは別として、私の実際の体験はきわめて微々たるものである。私はアダムスキーの話の真実性についてはなおも二心をもって彼と別れた。しかし別れる前に我々は金星人の肉体の性質に関して数度話し合った。これは最近の宇宙ロケットにかんがみて一大考慮を要するのである。ジョージはその訪問者たちが固形の肉体と温かい血液を持つ人間だと言い張った。最近の宇宙ロケットは、金星の物理的表面に地球の哺乳動物に似た物は存在し得ないことを示している。だから我々はあとでこの問題をもっと検討しなければならない。

久保田八郎訳

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