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 宇宙・引力・空飛ぶ円盤  by レナード・クランプ

L 空飛ぶ円盤は着陸した!   UFOと宇宙 No.11 1975

この記事を書いているあいだにデスモンド・レスリーとジョージ・アダムスキー共著のFlying Saucers Have Landed(邦訳「空飛ぶ円盤実見記」高文社刊)が刊行された。当然のことながら、UFO問題に関する最も驚くべき書物の一つであるこの書について言及するのはこれが最初である。

レスリー氏は円盤に関する情報の蒐集に多大の時間をかけたらしい。彼による円盤の背後にひそむ真実の究明や、サンスクリット古文書の抜粋などは一つの啓示となっている。過去を追求し模索して、そのままにしてしまう人は多いが、レスリー氏はそれ以上の事をやってのけた。氏は測り知れぬ大昔にこの惑星地球の人々によって応用されていたあるカの存在したことを実際につきとめたのである。しかもそのエネルギーは大昔の人間たちに"ビマーナ(空艇)"と呼ばれる銀色の円形の船で天空を飛ぶことを可能ならしめたという。

これはおそらく空飛ぶ円盤だったのだろう。少なくともこの可能性は信じがたいことに聞こえるだろうが、真実というものはときとして信じがたいものなのである。レスリー氏はメンゼル博士さえも納得させるかもしれないような真実の円盤事件を豊富に引周している(注=メンゼル博士は米国の天文学者。円盤否定論者として名高い)。その書物を読むならば、この太陽系が他の生命体でもって活気を呈していると感じないわけにはゆかない。たしかに知恵の遅れた子供なのは我々地球人である。考えさせられるのは、もし人間がロケットで宇宙空間へ飛び出せるほどのすぐれた燃料を発見するならば、少なからぬ衝撃的な事実が展開するかもしれない。その日が来るならば、人間は自分よりもはるかに進歩した人類の存在を知るようになるだろう。科学的にばかりか神のような精神的進化をとげた人類を―。それはいつの日か我々自身の天性ともなるであろう。

レスリー氏の物体浮揚及び、音響と円盤の動力との関係に関する記事は、筆者がすでに本稿で裏付けした。

▲故ジョージ・アダムスキー氏。

考え深い人でジョージ・アダムスキー氏の体験を羨望しない人はほとんどいないが、この体験を否定する人が多数いるにもかかわらず、ア氏が特権を与えられた人で、単なる偶然によるものではないことを認める人も多くいる。

全星人との会見は偶然ではなかったように思われる。地球の上空から下界を観察しているあの"人々"は、カリフォルニア州パロマー山腹の孤独な忍耐強い男が、いかなる天候をものともせずに夜ごと6インチ望遠鏡を駆使して空を凝視し、円盤と呼ばれる物体を撮影しようと束の間のチャンスをねらっている姿を、観察していたのだ。このような忍耐力とまじめな目的を持つ人は、その信念が報われるべきだと、上空の"人々"は考えたのであろう。そして哲学者で天体観測家であったジョージ・アダムスキーは金星から来た"人間"と会見して語り合ったのである。人間ではあるが我々からみれば神に近い人である。アダムスキー氏はそのときの模様を次のように述べている。

「我々の寸法に従って言えば身長は約5フィート6インチ(約165センチメートル)、体重は約135ポンド(約61キログラム)ほどある。私は相手を28歳ぐらいと推定したが、もっと年をとっているのかもしれない。

▲1952年11月20日、カリフォルニア州モハービ砂漠で劇的なコンタクトの発生する直前のアダムスキー(右)と目撃証人の1人ルーシ・マクギニス(左)。

相手は丸い顔をして、非常に広い額をしている。灰緑色の眼は大きくておだやかで、両方の目尻がわずかに上につり上がっている。西洋人よりも頬骨が少し出ているが、インディアンや東洋人ほどではない。鼻もさほど大きくはないが、見事な形である。普通の大きさの口には美しい白い歯が並び、微笑したり話したりすると輝いて見える……顔を剃る必要はないように見えた。子供の顔のように相手の顔にも毛がないからだ。

相手は握手をするような態度で片手を差し出した。私は我々の習慣に従って手を出したが、相手はにっこり笑って拒絶し、頭を少し振った。我々が地球でやるような握手のかわりに、先方は片手の掌を私の掌にぴったりとくっつけた。ただ触れるだけで、固くくっつけたのではない。これは友情のシルシだなと私は思った。

私の手に触れた先方の手の感触は赤ん坊の手のそれに似ていた。非常にキメがこまやかで、しかもがっちりして温い。両手はすらっとして長い先細の指がついている。優雅な女性の美しい手のようだ。たしかに、違う衣服を着ていれば、この人は並はずれた美女と間違えられるだろう。だが、たしかに男であった」

更にアダムスキー氏は、偉大な知恵と愛とを持つ人の面前で自分が小さな子供であるかのように感じたこと、金星人は友好的で彼らが地球へ来るのは核爆発の結果、放射能を帯びた雲が大気圏外に影響を与えることに関心があるためだということも知った、と述べている。

多くの人は(著者も含めて)、核爆発の放射能こそこの宇宙からの訪問者たちが地球で示す新たな関心の主な理由であると信じている。我々の太陽は微妙にバランスのとれた破壊力の集中体であることはよく知られた事実である。 いつか爆発して太陽系全体を呑み込んでしまいそうなタイプの星である。

わが物理学者たちは核分裂についてよく知っているが、核エネルギーと電磁気的な太陽黒点の活動との関連については知っていない。

今、本稿が印刷に付せられているあいだに、太陽系の崩壊は刻々とせまりつつある。水爆が"わずかに邪道に入る"ことによって憂うつな警告を与えているのだ。原爆製造にたずさわっている物理学者たちは、警告の理由はほとんどないと信じているが、それは空間と物質の構造に関してもっと多くの事が知られるようになったときの話である。

我々がカタストロフィー(大破滅)にいかに近づいたかを知ったとき、心臓がとまる思いをする人が沢山いるだろう。このような意見を述べるに躊躇する必要はない。これは名声ある多くの科学者にも聞かせるべきことだ。核エネルギーへの道を開いたアルバート・アインシュタイン博士ですら、核実験について学者に警告している。しかし例のエーテル的創造放射線の基本的理論を考えてみると、物理学者が「一般人に警告するほどのことはない。地球の質量に比較すれば核爆発などはピンでつついたぐらいのことだ」と言うとき、その学者を疑うのに有利な立場にある。一体、その物理学者は地球と太陽間に連結媒体が全然ないと確信できるのだろうか?

「友好的になろう」とアダムスキー氏はうながす。「他の世界から来る人々を認めて歓迎しよう。彼らは地球人のあいだにいるのだ。我々に多くの事を教えてくれ、我々が受け入れるならば友人になってくれるこの人々から学べるほどに賓明になろうではないか」

会見の終わり頃についてジョージ・アダムスキーは言っている。

▲金星人の足跡。

「私はカメラを取り出して相手の写真を撮ってよいかと尋ねた……相手はことわったので、私はそれ以上言わなかった。別な世界(複数)から来た人々が地球の街路を歩いているということを私は何度も聞いたことがある。これが真実だとすれば、写真に撮られたくないという相手の気持はよくわかる。相手の顔つきには多くの特徴があるからだ……写真に撮ればそれらの特徴は地球へ来る他の兄弟たちを見分けるためのポイントとして役立つだろう。

地球人が宇宙船で大気圏外へ連れて行かれたことがあるかと相手に尋ねてみた。相手は大きく微笑して、はっきりしない態度で肯定するようにうなずいたが、あまりその情報は洩らしたくないようだった」

金星から来た人はそれから円盤に乗り、飛び去って行った。あとにはアダムスキー氏が呆然として残ったが、心から愛する人が去って行って、しかも哀切の念がいつまでも相手のイメージと共に残るような気特に似ていた。

▲金星人の足跡を石膏に」とる一行。しゃがみこんでいるのがジョージ・ウィリアムソン博士。ウィリアムソン夫人、アル・ベリー、ルーシー・マクニギズ、アリス・ウェルズの目撃者。撮影したのはベーリー夫人。

このような証言はたしかに読んだ人に対してさまざまのショックを与えるだろう。多くの考えや既成の学説などが激しく騒ぎ立てるだろう。しかし根本的にはこの休験記は有益である。なぜならそれは多くの狭量な精神の持主を刺激して、生命や宇宙に対するより深い探究心を起こさせるであろうからだ。

もちろんこの途方もない書(アダムスキーの体験記)を数ページひっくり返してナンセンスだと言って放り出す"知識人"もいるだろう。天文学者や宇宙科学ファンのあいだでやかましい議論が起こるだろう。他の惑星の生命の可能性について多くの論議が集中するだろう。そしてこの太陽系内の生命の存在など到底考えられないと言うだろう。地球以外の惑星に人間は存在できないのだと言うだろう。しかし他の惑星やこの太陽系に対する我々の測定法は完全に正確ではないという考え方に慣れる必要がある。

なぜなら我々は200マイルの厚みを持つ大気圏を通じてそれらを観測しているからだ。その厚いガス帯を突き抜けるときこそ正確な読みがなされるだろう。我々自身の小さな衛星を建造したときこそ他の惑星の真相や状態が確かになるだろう。現在、我々は黒ずんだガラスを通して見ているのだ(注:このクランプの原稿は1953年頃に書かれたもの)。

たとえば我々は他の惑星表面の温度を確実に読みとることはできない。せいぜいその転射熱を推定できるにすぎない。そして今や空間と物質の理論を研究したからには、存在するかもしれない干渉とそれによる変調、その結果ひき起こされるこの惑星上の観測記録のゆがみ、などは容易に考えられることである。こうしたことを心に留めるならば、他の惑星に我々の知っているような生命はあり得ないなどと言う前に、考えてみる方が賢明だろう。結局、真相は、我々は実際には確かな事を知っていないということなのだ。

話は元へもどるが、ジョージ・アダムスキーの体験記を認めたくない人は次のような理由でそれを拒否するのである。すなわち、この人々(宇宙人)が存在するとすれば、彼らは大昔に大挙して地球へ来ていることだろう。このような(アダムスキーの場合のような)人目のつかぬ個人的会見を行う理由がないと。しかしこの間題を仔細に調べるとわかるように、それは正しくない。もし超現世的な発達をとげた科学に精通した指導者たちがやって来たとすれば、我々の生活の基盤となっている人間の社会という不細工な巨大な歯車はどうなるだろうか?

彼らはコンタクトの最初の段階においては、きわめて緩慢に地球人に会うように仕向けられているのではないだろうか―現在そうしているのかもしれないように―。これは地球人が彼らの知識を誤用することによって彼らの来訪が地球の社会的経済的な崩壊をもたらさないようにするためであろう。我々が今世紀に与えられているこのファンタスティックな特権が事実であるという証拠が他にもあるだろうか?ある。証拠は沢山あるのだ。こうなると惑星間を飛ぶ空飛ぶ円盤なるものをまだ認め得ない人が存在することを理解することさえむつかしくなってくる

▲第15図 ポター氏とその仲間が目撃した円盤

ここでもう一度ノーリツジ天文協会(イングランド、ノーフォーク県)のポター氏と他の数名の目撃者によって1953年10月6日の夜に目撃された物体のスケッチ(第15図)を調べてみよう(注=このスケッチと解説記事は原書の第2章に出てくるが都合により省略したので、あらためて掲げることにする)

「10月6日の午後7時15分にノーリッジで空を観測中、一個の輝く大きな物体が南西から出現するのに気づいた。大きな黄色の星のようだった。続いて水平飛行をしたが、肉眼で見ると小さな星々のかたまった卵型に見えた。私はチャンスをねらって、自分の3・5インチの屈折望遠鏡の視野内に物体の焦点を合わせた。

焦点を合わせると、星々のかたまりのような外観は大きな平たい円盤の上にくっついているドームであることがわかった。このドームの周囲には一定の間隔をおいて丸窓が並んでいたがその4つが私の視野に入った。この丸窓群から洩れる灯火によって円盤の状態が見えたのである。上部のドームは回転していなかった。私が観測していた場所からは音が聞こえなかったし、物体は一定の高度を保っていた。円盤の下部にはくぼみが見られ、これがにぶい赤色に輝いている。ガスまたは炎のようなものはない。

物体は南西から北東へ進行したが、3分半ほど視界に見えていた。空は一点の雲もない快晴である。あらゆる星座が見えた。この物体は少なくともノーリッジの7名の他の人によって個々に目撃されている。ノーリッジ天文協会と英国天文協会の会員たちである。

ノーリッジにて F・W・ポター」

このポター氏のスケッチとアダムスキー氏の円盤写真とを比較してみよう。すると次の結論に達する。ポター氏の報告が正確であるとすれば大衆をどまかすための陰謀が企てられたか、それともアダムスキー氏の写真類が本物かのいずれかだということになる。両方の物体の形が同じなのだ。

更に言えば、ポター氏は重力場推進方式についてよく知っているのだろうか? なぜなら、円盤が逆さになって"飛ぶ"可能性は、この推進方式で考えられる現象の一面にすぎないからである。このような飛行物体においては中に乗っている乗員に関連して常にただ一つの"上"または"下"が存在するのである。

これだけでも十分な証拠となるが、アダムスキー氏の体験記を疑う人が早急な結論を出す前に考えるべき事件が他にもあるのだ。

1954年2月15日の午前11時に、英国コニストンのオールドマン山の頂上で、医師の息子である13歳のスティーヴン・ダービシャーが8歳の従弟のエイドリアンと共に一機の円盤を撮影した。その様子は次のとおりである。
(注=この詳細は本誌(旧題号「コズモ」)第6号64頁に掲載済なので省略する) 

写真類を比較する前に、右のスティーヴンの説明とアダムスキーの説明を比較すると有益である。

「それは美しい小型機だった。台皿型というよりも重いガラス製の鐘のような形である。だが私は機体の壁をすかして中を見ることはできなかった。これは近頃のビルや家屋で用いられるようになったガラス、ブロックをすかして中を見ることができないのと同様である。それは半透明で、絶妙な色合を帯びていた(ジョージ・アダムスキー著「空飛ぶ円盤.実見記」) 

スティーヴンは実際には"半透明"という言葉を用いなかったが、その説明はまさしくそのことを意味している。これが真実の話であることに疑いはない。

一方、アダムスキーの写真類についても、専門家たちはその写真が直径約9メートルの物体を撮った本物の写真であると確信している。もしアダムスキーがその写真を捏造したとすれば実物大の模型を空中に飛ばす必要があったろうという。そうだとすれば彼はそれに成功したばかりか太西洋を3000マイルも越えた彼方へその模型を飛ばすこともできたということになる!

あるいは、たとえアダムスキーの体験を認めるのが困難だとしても、コニストンの写真には、金星人に関する話がインチキではなく厳然たる事実であるという確証が含まれていると考える方がもっと合理的なのだろうか?

疑っている人がもっと証拠が欲しいと言うのなら、私自身の調査の結果がそのような人を納得させるのに役立つだろうが、その前に、全貌をど存知ない方のために少しばかり説明をする必要がある。

簡単に言うと、一物体の図面からその物体の復元図または模型応用の写真が作れるのと同様に、その手順を逆にすれば写真から正投影図を作ることができる。特に空飛ぶ円盤のような真円形の物体の写真なら容易である。

今アダムスキーの写真とコニストン写真から個々に正投影図を同じスケールで作るとすれば、両方に類似性があることがはっきりわかる。更に両方を重ね合わせると全く同型であることもわかるのである。これが偶然の一致だと言えるだろうか?

もう少し調べてみよう。かりにアダムスキーが模型を作って写真に撮ったとする。その模型は一定の寸法を持ち、ある部分は写真中で遠近法に従うし(垂直の部分がそうである)、従わない部分もある(水平や円形の部分)。

この理由は、眼またはカメラに対して物体がどの角度に傾いても、真円は常に観測者に対して最大限または遠近法に従わない直径を呈するからである。たとえばコーヒー茶碗と台皿はそれぞれ直径5センチメートルと10センチメートルである。これを撮影した写真で見る限りでは2つの物体がどれほどの寸法があるかはわからないが、直径の比が2対1であることはわかる。

まず私はアダムスキー撮影の円盤写真をとりあげて、下方の円盤部と上方のキャビン部の直径を測定した。するとこの比は2.224対1であることがわかった。次にコニストンの円盤の写真(かなり小さい)を調べると上下の比は2.230対1を示した。私が写真から測定したことを考えると、これはかなり重要な数字である。だが直径の比を調べたにしても、まだ高さが不明である。遠近法に従っているのでこれは少しむずかしい。

▲第16a図 アダムスキー円盤(上)とダービシャ一円盤(下)とを比較したクランプによる正投影図

これを調べる方法は図面を研究することによって容易に理解できる。複雑な輪郭を避けるために2点の写真は同じ大きさにしてある。またコニストン写真の構造輪郭はわざと描き込んで修正したように見えるかもしれないが、そういうことはしていない。写真に見える影の部分のディテールはネガの複製の際にとんでしまったのだが、これはアダムスキー円盤の特徴と一致するものである。方法を簡単に説明しよう。

まず16a図を見る。

A―B 遠近法に関係のない直径
C―E 遠近法に関係のある直径

今、紙の端にある距離をおいてA及びBの2点をとって、その紙を折り返し、2点が2本の線分CDとEFの各線上のA1及びB1の所に来るようにすると、これは撮影された角度での円盤をあらわすが、一方から見た長さにすぎない。

すなわち直線として示されるのである。これを2等分して直角になるように線GHを引くと船体の垂直軸となり、これにより真の高さHKが投影される。角度]は容易にきまるが、これは撮影時に船体が傾いた角度である。

▲第16b図

このことから、あとは右の手順の反復できまることがわかる。とにかく、まず写真中に垂直軸と1,2本の水平軸を引くことが必要である。図中で示されるように各位置が確立したら、実物の円盤のかなり正確な投影図ができるのである。作図が終わると各種の興味ある点が明らかになる。

アダムスキーは船体の直径を9メートルないし10.5メートルと推定しているので、第16b図の底部を10.5メートルとした。そうすると次のような重要な部分の測定ができることになる。

円盤の外縁の径 10.50m
全高 4.52m
キャビンの径 4.72m
キャビンの高さ 3.15m
丸窓の径 0.45m
球の径 1.45m
外側リングの径(下部の点線) 8.75m
内側リングの径(下部の点線) 6.95m
底部円錐形物体の径 3.75m

図を見ると円盤の外縁の下に3個の球型の着陸装置があるが、底部中央の円錐型突出物は実際には船体の他の部分より低く出ている。もちろんこの突出部分は船体の中へ引っ込ませることができるのだろうが、別な興味深い方法も考えられる。写真で見ると、この突出部分は黒く見える。これはリンケ氏の説明に似ていないだろうか?(注=本誌前号の81頁を参照)

似ているとすれば、アダムスキー円盤の底部突出部分も、接地のあと再度離陸するときに、中心部を底とした船体から外縁部が持ち上がるならば、地面にくぼみをつけるのではあるまいか。たしかなことはわからないが、アダムスキーの説明を検討すると、疑問の余地のない類似性があるのである。

またアダムスキーは金星人の身長を約5フィート6インチ(約165センチメートル)と言っている。そこで私は丸窓の上部は眼の高さより上にあると考えた。そうすると内部の床面は写真で見える外縁部のすぐ上になる。そこで次のようになる。

もしアダムスキーが模型を撮影したとすれば、前もってスケールをきめておかねばならなかったはずだし、外からしか見えないキャビンの高さを見積もる必要もあったはずである。彼は一体こんな面倒なことをやったのだろうか? もし模型を写真に撮れば、私がやったようにだれかが正投影法による検査をするだろうと彼は考えたはずなのだ。それとももっと感覚を高めて、コニストン写真と全く同じ写真である点が真実の確証であることを認めるべきか?疑う人のすべてが、2人の子供が円盤を見たとウソをつき、アダムスキー撮影の円盤の正確な複写を作ったと考えるだろうか?

アダムスキー写真とコニストン写真に関する最後のポイントは次のとおりである。

船体の構造から言える限りでは、船体のある部分は完全なパラボラになっていると付言しておくのは重要であると思う。このことはアダムスキーが電灯の反射笠を撮影したのだといって非難する人々に有利になるといけないので、このパラボラの焦点は船体からかなりの距離に位置することになるとつけ加えておきたい。

以上の事実からみると、もはや疑いの余地はないように思われる。コニストンの目撃やその他の目撃例などからみると、アダムスキーが他の世界から来た宇宙船を撮影したと言うのを真実とする十分な傍証が存在する、ということを認めざるを得ない。

金星人が彼に語った内容は別として、アダムスキーの体験は円盤の推進法に関するより多くの手がかりを提供するのではあるまいか? たぶん提供するだろう。彼は円盤に接近したときの様子を次のように述べている。

「宇宙から来た友はそれに(円盤に)あまり近寄るなと私に注意した。そして彼自身は機体から30センチメートルほど離れて立っていた。

しかし私は彼よりももっと接近して立っていたにちがいない。というのは、振り向いて彼の方へ話しかけようとしたとき、私の右肩が円盤の外縁の端の下に少し入っていて、ただちに右腕が急に上へ引っ張り上げられ、ほとんど同時に下へおりて体にあたったからである。フォースがあまりに強すぎたため、右腕はまだ使用できる状態にあったが、機体から離れても腕に感覚はなかった。

友はこの事故に全く当惑したが、彼は私に注意していたのだから、悪いのは私である。しかし彼はやがてよくなりますよと言って私を安心させた。3カ月後に彼の言葉が正しかったことがわかった。腕の感覚がよみがえってきたからだ。ただ時々骨にひびが入ったような突き刺すような痛みが起こって、あの事故のことを思い出させた」

このことは静電気の法則によく似ていないだろうか。正電気と負電気は互いに引き合い、正と正、負と負は互いに反発し合うという法則である。

この体験は実際にこのような法則のあらわれだと言うことはできないが、その徴候はある。

また、円盤は実際には地面に接触していたのではなく、空間に浮かんでいたという重要な事実もある。荒地は着陸に適していないというのだろうか? もし着陸していたとすれば、円盤の外縁部が接地して恐ろしい結果になっていたのかもしれない。

再度言うと、円盤の推進法をアダムスキーに教えるとき、金星人は小石をいくつか拾い上げて地面に落とした。これは重力場による運動を意味していないだろうか。

次のようになるだろう。宇宙空間を飛行するにはただ一つのうまい方法があるということ、宇宙船には普遍的なデザインがあること―それは我々が一般に空飛ぶ円盤と呼んでいる乗物であると!

したがってこれは我々が望むならば我々の栄光ある遺産となるのである。現代の科学でもって生命の神秘を探究すればするほど、多くの驚異を解き明かすことになる。我々は空間と物質の構造を理解するフチに立っている。それを理解すれば創造の神秘も解明できるのだ。この間題の探究は究極の結論に向かって進むだろう。

あるいはいつの日か我々は大宇宙というハイウェーを飛んでいるあの輝かしい人々から援助という特権を与えられるであろう

(完)  久保田八郎訳

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