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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 第5章 最初のコンタクト 第1話  宇宙よりの来訪者より
 

多くの人々にとって、頭上を飛び回る謎の物体とそれを操っている知的生物にコンタクトしたという話とは別問題である。 しかし、宇宙よりの来訪者にコンタクトしたと主張する人々は、大まじめに自分の体験を語っている。

▲ベティーとバーニーのヒル夫妻が証言した宇宙人。
▲ベティーとバーニーのヒル夫妻が証言した宇宙人。夫妻は、科学的な検査のために宇宙船内に連れこまれたらしい。後日夫妻は催眠テストを受けてこのときの体験を思い出した。

カリフォルニア州の砂漠におけるジョージ・アダムスキーと、長い金髪の男との会見は、前代未聞の異常な事件の一つとして史書類に入れられる価値がある。アダムスキーが真実を語っているとすれば、1952年のデザートセンター付近でのコンタクトは、我々の歴史上の転換点となる。地球上の一住民が、金星から来た人間と直面した瞬間である。

もしいんちきだとすれば、これまた前代未聞の念入りな、うまくいった事件の一つとなる。 その結果、アマチュア天文家のアダムスキーは、世界を旅行し、大気圏外人とのコンタクトについて講演を行うことができたし、王室からも供応を受けた。

アダムスキーが金星人と会ったのは、現代の円盤時代が始まって5年後のことだった。 そのころまでに、空飛ぶ円盤とは惑星間を飛ぶ宇宙船のことだと信ずる人が増えていたが、地球の住民とコンタクトしようという明確な試みのないことが謎とされてきた。UFOがついらくした現場から、小人が連れ去られた―死んでいるのもあるし、生きているのもあるし、生きていたのもいた―という噂が広まっていた。こうした事件の詳報がないという理由で常に当局は沈黙していた。

▲ケンタッキー州ホプキンズピルのサトン家を包囲したUFOの怪獣。当夜は、悲惨な夜となった。
▲ケンタッキー州ホプキンズピルのサトン家を包囲したUFOの怪獣。当夜は、悲惨な夜となった。

61歳になるポーランド生れのアメリカ人、ジョージ・アダムスキーは、カリフォルニア州にある有名なパロマ山ヘール天文台の近くに住んでいた。 彼は、UFOが実在すると信じたばかりでなく、だれがそれを操作していようとも人間のような生き物だと確信していた。 彼と仲間のグループは、その地域で発生した円盤事件を多く聞かされていた。物体が地面近く降下したり、着陸したりするのを見たという事件である。アダムスキーのグループは、円盤のクローズアッフ写真のいいものを撮ろうとしたばかりでなく、円盤の乗員とコンタクトしようともしていた。

▲1959年、ヨーロッパを講演中のGA。左はオランダのUFOコンタクトグループの幹事。
▲1959年、ヨーロッパを講演中のGA。左はオランダのUFOコンタクトグループの幹事。

1952年11月20日、アダムスキーと6名の人がカリフォルニアの砂漠へ行ったのは、この目的を心に抱いていたからである。 アダムスキーは、何となく宇宙人に導かれていたと感じており、他の人々は方向を彼にまかせていた。彼らはデザートセンターへドライブし、それからアリゾナ州パーカーの方向へさらに16キロメートル進んだ。 昼食をとるために道路際に停車して問もなく、一同は巨大な柴巻型UFOを目撃するという幸運に恵まれたが、これはその地域にいた軍用機の注意をひくことにもなった。

車を運転しないアダムスキーは叫んだ。「だれか、私を道路沿いに連れて行ってくれ!早く!あの宇宙船は、私を捜しに来たんだ。あれを待たせたくない!多分円盤がすでにどこかへ来ているぞ。大勢の人に見られるこの辺に着陸するのを、気づかっているんだ。」

▲アダムスキーが撮影した物体。矢印が離陸瞬間の金星のスカウトシップ。
▲アダムスキーが撮影した物体。矢印が離陸瞬間の金星のスカウトシップ。1952年11月20日に金星人との最初のコンタクトがあった。この光景はUFOの調査に関心を持つ6名の友人も目撃した。

一同のうち2名がすぐにアダムスキーを車に乗せて走り去った。円盤マニアのこのグループは、個人的な観測経験に基づいて、葉巻型UFOは母船だとすでに考えていた。小さい円盤型物体用のべースとして活動する大輸送船だというのである。したがって彼らは、その母船が着陸することを期待していなかった。 それで、アダムスキーがピクニック地点から1.2キロメートルほどの望ましい地点に着いたとき、車中にいた彼と友人は、葉巻型UFOがすぐ近くの山の向うに消えるのを見ても驚かなかった。アダムスキーは2名の友人に向かって、「私はここに15センチ望遠鏡、三脚、撮影装置などを残して一人だけになりたい」と懇望したので、2名は他の仲間のいる所へ引き返した。

▲金星人の足跡のスケッチ。目撃者の1人ベティー・ベイリーが作製したもの。
▲金星人の足跡のスケッチ。目撃者の1人ベティー・ベイリーが作製したもの。

数分たたぬうちに、彼の注意は空中のせん光にひかれた。そして、自分のほうへ滑空して来るように思われる1機の小型円盤を見たのである。だが、それは約0.8キロメートル向うの谷間に着陸した。アダムスキーは、ただちに望遠鏡で円盤をキャッチし、カメラを取り付けて写真を撮影し始めた。

数枚を撮影した後、カメラをはずしてケースの中へ入れた。続いてロング撮影を試みようとして、コダック・ブローニーカメラを取り出した。そのとき2機の飛行機が、ごう音とともに頭上へ飛来した。 円盤は下方へ引っこんで、見えなくなった。彼は、母船へ帰ったのだろうと思ったが、数分後、ずっと向うの峡谷の入り口の所に立っている人間の姿が、突然見えた。 その人はアダムスキーに手招きした。いぶかりながらアダムスキーは、だれかが助けを求めているのだろうと思って、その方向へ歩き出した。

▲金星人の足跡
▲金星人の足跡? 深くはっきりと刻まれた足跡が3組あった。これらは、地球人にメッセージを残すために作られた特殊な靴でつけられたこものだとアダムスキーは信じた。彼と友人たちはこのシンボルを解読しようとばく大な労力と時間を費やした。これは地球人にとって重大な情報を含んでいるのではないかと感じたのである。

近づくにつれてアダムスキーは、その人が自分よりも少し小柄で若く、スキーズボンのようなものをはいていることに気づいた。長い髪が肩まで垂れ下がっている。 これは当時の男性として、きわめて異常であった。

「突然、あたかも私の心からベールが取り除かれたかのように、警戒の感情が完全に消え去った。 そのため、私はもう仲間の友人たちのことや、指図どおりに彼らが私を見守っているかどうかも忘れてしまった。このときまでに、私は相手のすぐそばまで近づいていた。相手が私のほうへ4歩歩み寄ったため、互いの距離は腕の長さ以内になった。そのとたん私は初めて、自分が宇宙から来た人間の面前にいるということに、はっきり気づいたのである―別な世界から来た人間なのだ!」とアダムスキーは後に書いている。 アダムスキーは、相手の年齢を28歳ぐらい、身長釣1.65メートル、体重約60キログラムと推定した。

「丸顔で、極端に広い額があり、大きく穏やかな灰緑色の目を見せているが両横に少し傾いている。ほおが西洋人より少し高いけれども、インディアンや東洋人ほど高くはない。鼻はすてきな形だか特に大きくはない。ふつうの人きさの口の中に美しい白い歯があり、微笑したり話したりするときに輝いた。」

会見の様子。会話は困難だった。というのは、宇宙人は、さほど英語を話すようには見えなかったし、アダムスキーも相手の言語がわからなかったからだ。けれどもアダムスキーは、その男が金星から来たこと、宇宙人たちは核爆弾や地球から放射される放射能などに関心があること、彼らは吸引と反発の法則によって宇宙船を操作することなどを確証した。

この話し合いの問、金星人は自分の円盤を指さした。それは、アダムスキーが気づかなかったうちに地面の上に浮かんでいた。 行かねばならない時間が来て、金星人はアダムスキーと一緒に円盤のほうへ歩いて行った。相手はアダムスキーに、あまり近寄るなと言ったが、アダムスキーは忘れて、浮かんでいる円盤の外縁の下で動いた。

「腕がぐいと引っ張り上げられて、ほとんど同時に投げ落とされた。その力があまりに強かったので、なおも腕を動かすことはできたけれども、機体から離れたとき、腕に感覚はなかった」と彼は言っている。

▲金星人がアダムスキーの写真の1枚と差し換えたという写真。
▲金星人がアダムスキーの写真の1枚と差し換えたという写真。相手は最初の会見の際に、アダムスキーの撮影済みフイルムの1枚を借りて行った。そして12月13日に、彼が望遠鏡をすえていた場所付近で、円盤から投げ返した。最初の被写体は洗い流されていた。アダムスキーによれば、この代替写真は他の惑星の文字であるという。

金星人はアダムスキーに向かって、腕の感覚がもどることを保証したが、数週間後に元どおりになった。アダムスキーをもっと心配させたのは、右ポケットに入れていた7杖の露光済みフイルムが、未知のパワーの影響を受けたかもしれないということだった。彼は片手をポケットに入れて、それらを収り出した。すると金星人が、1枚を借りたいと言った。そして、いつかそれを返すつもりであることをはっきりさせた。

2人の文明人どうしの短い会見が終わる時間が来た。金星人は地球の仲間に別れを告げた。彼は円盤の背後の土手に上がり、そこからフランジに登って円盤内へ入ったが、アダムスキーにはどのようにして入ったのかわからなかった。間もなく重いガラスの鐘のように見える円盤は上昇し、大空に飛び去った。

多くの人にとって、アダムスキーの話がもっともらしく思えるのは、6人の友人が遠くからコンタクトを目撃したという点にある。イギリスの著述家デスモンド・レスリ−との共著『空飛ぶ円盤は着陸した』には、彼らの宣誓書の写真が掲載されている。これは、公証人の面前てサインされたものである。

これらの宣誓書にサインしたのは、アリゾナ州ウインズローのアル・ベイリー夫妻、アリゾナ州プレスコットのジョージ・ハント・ウイリアムソン博士夫妻、パロマ・ガーデンズの所有者でそこの喫茶店の経営者のアリス・ウェルズ夫人、アダムスキーの秘書ルーシー・マックギニス夫人である。

彼らはもちろん会話を聞くことはできなかったが、ドームのついた小型円盤を見たし、アダムスキーが上下続きの服を着た男と話している光景を見た。ウェルズ夫人は、双眼鏡で金星人を見た後、その絵までかいている。

宇宙人は去って行く前に、自分が砂の中に残した足跡に、アダムスキーの注意を呼び起こした。彼は、かかとの裏に文様を飾った靴をはいていたが、これはこの世界にメッセージを残すために作られたと思われる。この不思議な砂漠のコンタクトが終わった後、ウイリアムソンはすぐに、石こうで足跡の型をいくつか取った。彼はそれ以来円盤に関する多数の書物を書いたが、その中には、この文様の意味を詳細に分析した記事もある。

第5章 第2話へ続く

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