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 ファティマの大円盤出現事件 

第2話 UFO contactee No.113 より

先にも述べたようにファティマというのは内陸部の山間地で、1916〜7年当時は人口約2500人程度の貧村。山地に民家が点在する過疎地だった。現在でも3人の生家が残っているアルジュストレル地区へ行くと、ろくに家は立ち並んでいない。全くの山中の部落なのだ。

強大なカトリック信仰を利用?

◆1917年10月13日、コーヴァ・ダ・イリアに密集する7万人の大群衆。
◆1917年10月13日、コーヴァ・ダ・イリアに密集する7万人の大群衆。

ヒイラギやオリーブの茂る平野や谷に囲まれた人けのない山間に円盤が着陸するのは容易である。その円盤から出てきたスペースピープルが特殊なスペース服を着て出現すれば、幼い子供達には[天使]のように見えたことだろう。その前年には空中で透明人間の投影像をビームで見せて、不可思議な現象の発生を予告し、これがあたかも宗教の奇跡であるかのごとく思い込ませることによって子供達に安心感と期待感とを起こさせようとしたのだろう。

いったいにポルトガルは隣国のスペインやフランスと同様、強大なカトリック信仰を基盤とする国で、キリストと聖母マリア崇拝は生活に根強く密着していた。子供達は幼児期より両親からカトリックの教義を教え込まれ、7歳になると初聖体拝領のための暗唱テストを教会で受けて、合格すれば聖杯をかたどつた容器が与えられる。これで一人前の信徒として大人の仲間入りをする。しかも都会地よりも田舎のほうがこうした宗教的風習や雰囲気が濃厚であり、ファティマ村も例外ではなかった。

だからルシア、フランシスコ、ジャシンタの三人だけが篤信だったというわけではない。一般の子供もロザリオ(数珠)を手にしては祈りの言葉をとなえるのが日常の習慣であった。

想像を絶する科学技術

だがスペースピープルはこの幼児3人にコンタクトした。なぜか?理由は不明なるも、考えられるのは、3名の比類なき純粋さ、正直、子供ながらも至上なるものに対する強い崇敬の念などによるのだろう。根本的には子供達の過去世からのカルマに起因していたのかもしれない。

また、スペースピープルがイエスとマリア崇拝を勧めたのは、一般人のイエス信仰を助長する意図があったからであると思われる。大体にイエスの教えは万物一体と愛の哲学を説いた宇宙的な法則であり、真の平和な社会を建設するための不可欠なティーチングである。だが、これは宗教化され、イエスは偶像崇拝の対象となった。スペースピープルは牧童を通じてこの教義の真意を伝えようとしたのかもしれない。

こうした場合、恐怖を起こさせぬようにコンタクトするには、彼らの信仰心に合わせた方法を応用するのが最良である。最初は空中に透明な美しい人体像を出現させて天使のごとくに見せかける。次に付近に円盤で着陸し、そこから特殊なスペース服のままで3人に接近する。しかも手には誰もが見慣れている聖餐杯を持ち、キリストの御使いのごとくに思わせる。この聖杯を引力を遮断する方法によって空間に浮かばせ、奇跡のように見せて、"天使"であることを証明する。赤色の果実酒がその中に流れ込む。"天使"は地面にひれ伏して祈りの言葉をとなえ、イエスとマリアの名を口にする。子供達は大いなる畏怖の念に打たれて祈りの言葉を3度となえる。この祈りの言葉は平和確立の法則を示唆したもので、少しも不自然ではない。

空中に立体像を見せることもスペースピープルにとっては簡単なことだ。地球にもホログラフィーという立体写真法が開発されている。彼らの技術はこの程度をはるかに超えた凄いものなのだろう。

美しい貴婦人が連続出現

さて、ファティマでは翌1917年に劇的な事件が連続発生した。

最初は5月13日。例の3人が家から2.5キロ離れたコーヴァ・ダ・イリアの牧草地に着いて弁当をすませたあと、ロザリオをとなえ、石ころで家建て遊びを始めた。

昼過ぎ、突如、上空に閃光がきらめいた。見ると3人の眼前の高さ1メートルのヒイラギの木の上に、凄い美人が立っている! 純白の長いドレス、首から垂れた金色のネックレス、両肩にはおった金色のふちのついた長いマント。右手にロザリオを下げて、胸に両手を組み合わせている高貴な顔付きの人は18歳ぐらいの絶世の美女! 落ち着きをとりもどしたルシアが、どこから来たのかと尋ねると、美女は天国から来たと答え、これから毎月13日にここへ来てくれ、10月には私の正体や、あなた方にたいするお願いなどをお話ししようと言う。その他、少し説教して、世界が平和になるように祈れと告げた。

語り終わった貴婦人は足を動かさずに直立したまま空中へ上昇して消えた。 ただしこのとき美女の姿を見たのはルシアとジャシンタだけで、フランシスコには像も音声も感知できなかった。

これもUFOがよくやる手である。数名が一緒にいながら、見える人と見えない人がいる例がある。これは何かの理由でUFO側から特定な人に行く光束やビームを遮断しているらしい。名高いフランス・ルールドのベルナデットの場合と同様である。

この事件はたちまち村人に流布して子供達にはトラブルがつきまとうことになる。これもベルナデットと同じだ。6月13日にも貴婦人が出現して、約15分でコンタクトは終了。相手は来月13日にも来るようにと言い、読み書きが出来るように勉強せよと告げた。このときには約50名の村人が見守った。彼らには貴婦人のビジョンは見えなかったけれども、ヒイラギの木が貴婦人の服の裾で引っ張られるようになびくのを目撃して、子供達の支持者になった。

3回日のコンタクトは7月13日に行なわれた。この頃ルシアはトラブルの過中に投げ込まれて苦しんでいる。信じない者達と支持者達とにはさまれてもみくちゃにされるのだ。

この13日には噂を聞いた数千人の群集が押し寄せた。

人々には見えない一美女の映像が空中に現れて、今度は秘密を厳守せよとルシアに命じた上で重要な予言を伝えた。これが世に名高いファティマの予言と言われるもので、解釈をめぐってさまざまな憶測が流れている。

第三次大戦の予言か

それを要約するとー

「戦争(第一次大戦) は終結に近づいた。しかし人間が神に逆らうことをやめなければ、次の法王(ピオ11世)のときにまた大きな不幸が発生するだろう(これは第二次大戦となって的中した)。

◆1971年8月19日に貴婦人が出現したヴァリーニョスのコンタクト地点。現在は小さな堂の中にマリア像が立っている。
◆1971年8月19日に貴婦人が出現したヴァリーニョスのコンタクト地点。現在は小さな堂の中にマリア像が立っている。

いつか夜間に不思議な光が発生するが、これは戦争、飢餓、法王と教会に対する迫害の姑まりで、世界に対する神の第二の天罰。私(貴婦人) の願いを聞き入れるならば、ロシア (ソ連)は改宗し、世界は平和になる。さもなければロシアはその誤りを世界にまき散らして戦争をあおりたて、教会を迫害し、多くの国が滅亡する (これに続く部分は極秘にされている)。その結果ロシアは改宗し、世界に平和が来る」

右の極秘の部分は第三次大戦の予言だとか、全面核戦争を意味するものだとか、さまざまの憶測が流れているけれども真相は不明である。

郡長のひどい迫害

8月のコンタクトはコーヴァ・ダ・イリアではなく、自宅から約1キロ離れたヴァリーニョスという林間の平地で19日に発生した。13日に一応3人はコーヴァヘ行ったけれども、子供達が虚言を弄しているとみた悪名高いアルトウール・デ・オリペイラ・サントス郡長が妨害し、3人を3日間、牢に入れて拷問にかけたが、一同は絶対に偽証をせずに真実性を強調したので、郡長はついにネをあげて釈放した。だから8月のコンタクトは19日になったのだ。この頃3人を支持する群衆は「やかましいブリキ屋」というあだ名の郡長をやっつけろと騒ぎ出したので、郡長も身の危険を感じていた。

ヴァリーニョスでは三人とジャシンタの兄のジョンが放牧に行った。このとき出現した貴婦人は、反対者をけっして憎んではいけないと諭した。 ジョンには貴婦人の姿が見えなかったけれども、相手が上昇するときに爆発音が聞こえたという。

銀白色の輝くUFO

9月13日。この日のコーヴァは推定2万5千ないし3万の群衆で埋まった。自動車のない時代にこんな僻地へよくも集まったものだ。空中現象よりこのほうが不思議なくらい。

正午頃、3人がひざまずいて祈りを始めると、大群衆もいっせいにひざまずいた。

まもなく大歓声がとどろく。太陽が急に光を失ってコーヴァ一帯が黄金色に輝くと、上空に銀白色に輝くタマゴ型の物体が出現し、ゆっくり東から西へ飛行して3人の頭上で消えた!

すぐに貴婦人のビジョンが現れてルシアは何事かをつぶやきながら会話を続ける。やがて語り終わって「聖母様がお帰りです」とルシアが叫ぶと、またも歓声がどよめいた。銀白色のタマゴ型物体が再度出現してゆっくり上昇する。

これは聖母マリアの乗り物とされて『聖母の輝く空艇』と呼ばれている。

7万人が目撃した大円盤

コンタクトの最後の日である10月13日。この日、一大奇跡発生を期待してコーヴァに密集した群衆はなんと7万人!記録によれば海外から来たジャーナリストや学者、教会関係者も多数いる。

あいにくこの日は土砂降りの雨となり、平野はぬかるみと化した。しかし人々は天空を凝視しながら奇跡を待つ。

「あ、あそこに聖母様が!」

叫ぶルシアの立つ地面から小さな白雲のようなものが湧き出て、3人の足もとを包み、上昇した。これは多数の人にも目撃されて驚きの声があがった。

例の貴婦人が出現してルシアに語り始める。なぜか今日はフランシスコにもよく見える。説教を終えた貴婦人が上昇したあと、今度は突然、黒雲が割れて、青空をバックに銀白色の巨大な円盤状物体が出現し、無数の色の光を放射しながら急速に自転を始めるではないか! 7万人の大歓声がコーヴァの平野にこだまする。

群集の驚異と畏怖の念は頂点に達した。

「ファティマの聖女、マリア様!」「我らに憐みと祝福を!」人々は興奮と熱狂で我を忘れ、讃美歌や絶叫の坩堝と化す。 約10分間見えた不思議な物体は消え去ったが、大群衆はいつまでも空中を凝視していた。

典型的なUFO現象

これを太陽の誤認だとかマス・ヒステリーの産物という人もある。しかし当日はインテリ層もかなり混じって目撃している。その人達の証言によると、絶対に太陽ではなく、説明のつかない不思議な物体だったという。

たとえば現地にいたコインプラ大学教授アルメイダ・ガルレッテ博士も、物体の外観は良質の真珠のような透明な物で、それ自体の色も影もなく、銀色の貝殻を削り取って磨きあげた車輪のように見えたと証言している。これはUFOの典型的な外観を示すものだ。

突然、この円盤型物体は揺れ動いて、唐突な運動を行ない、次に火の車のように急速に回転し、巨大なランプに似た燦然たる色光を放射した。しかもこの色光は次々に緑、赤、紫等に変化したという。

これでよいのだ

◆コーヴァ・ダ・イリアに建つ大聖堂。前方左寄りの建物が貴婦人の出現場所。
◆コーヴァ・ダ・イリアに建つ大聖堂。前方左寄りの建物が貴婦人の出現場所。

しかし7万人を驚愕させた大事件は宗教の靄の中に包まれてしまい、巨大なUFOは聖母マリアの空艇とされて、神秘と奇跡の神殿の中に閉じ込められてしまった。

大草原地帯であったコーヴァ・ダ・イリアには大聖堂が建立され、広大な敷地は舗装されて、昔の面影はない。 大聖堂に向かって左方の貴婦人とのコンタクト地点はガラス張りの建物で覆われており、ここにも聖母マリア像が安置されている。いまやルールドと同様に一大宗教センターと化したコーヴァには、毎年5月から10月にかけて毎月13日に信者が殺到するが、特に5月13日には国内外から巡礼者が50万から100万人も訪れる。奇跡的治癒を祈願して来る難病患者も多数おり、なかには実際に治る人もある。

 これでいいのだろう。彼らが魂の平安と人生の希望をこの地に託して心の安らぎを得ることができれば、マリアと思わせた異星人の意図は成功したと言えるからだ。物欲に満ちた人間が生活との闘争で苦悩するよりも、信仰を基盤にして平和に暮らせるほうがはるかによい。

ジャシンタの最後の言葉

フランシスコは事件から2年後に猛威をふるったスペイン風邪にやられて、19年の4月4日、気管支肺炎で他界した。死の瞬間まで苦しいとは言わず、周囲の人々に心から感謝の言葉を述べてわずか10年の短い生涯を終えた。

◆大聖堂内に安置されているフランシスコの遺体(花束のある床下)。この反対側にはジャシンタの遺体が安置してある。
◆大聖堂内に安置されているフランシスコの遺体(花束のある床下)。この反対側にはジャシンタの遺体が安置してある。

妹のジャシンタも風邪が悪化してひどい化膿性肋膜炎をわずらい、リスボンのドナ・ステファニア病院で大手術を受けたが、治療の甲斐なく、20年2月20日、金曜日の午後10時、静かに別れの言葉を告げて、11歳足らずで地上を去った。

 臨終近い頃、見舞いに来た婦人達の派手な服装を見て次のようにつぶやいたと記録されている。

「あんな格好をして −。あの人達が永遠とは何かを理解していたら − 」   この二人の遺体はコーヴァ・ダ・イリア大聖堂内の正面祭壇の横に眠っている。2人の早世は2回目の貴婦人とのコンタクトでルシアに予言されていた。

ルシアは高齢ながらいまもコインプラ市の修道院で健在である。

−終わりー

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