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 ノアの箱舟とアブラハム

UFO Contactee No.89 より

人類にとって永遠の書といわれる旧・新約聖書は、あまりにも荒唐無稽な記述に満ちておりフィクショナルな描写多く、事実と虚構の交錯した混沌たる文章が渦巻いている。

歴史学者をこれほどに悩ませる書もないが、一方、ユダヤ民族の雄大な叙事詩として、これ以上に深遠な文学作品はなく、読むはどに妖しい魅力がヤコブの井戸の清水のごとく湧き出てくる。

正義と邪悪、愛と憎悪、肉体と霊魂、人間と神、そして男と女ー。人間のもつあらゆる属性と思想が怒涛のごとく去来し、真理を求めて雄叫びをあげながらパレスティナの大地に悠久の歴史が展開する。

圧巻は創世記である。モーセ五書の筆頭にあがるこの大作は到底卑小な人間の頭脳から出たものではなく、何らかの宇宙的背後関係がひそんでいたとしか思えない。

ここでは創世記の中で謎の乗物となっているノアの箱(方)舟と、それに関連するアブラハム一族をとり上げてみた。

■ 箱舟は驚くべき巨船だった

山なす怒涛にロケットのごとく押し上げられた平舟が、こんどは逆さになって波間の奈落の底に落ち込むと、巨大をしぶきが猛然と襲いかかり、半分沈んだ船体の木材のきしみが悲鳴のように鳴り響く。果てしもなく続く強風と大雨。この世の終わりかと思われる地獄のような暗黒の大海原を、原始的な木造の船はあてもなく漂流する。

こうして船は5カ月もさすらいの旅を続けたあと、ついにアララテ山に漂着して停止した。これが 『旧約聖書』中の名高いノアの箱舟である。

『旧約聖書』 によるとノアという人はアダムから十代目にあたる子孫で、正しい完(まった)き人物であった。この頃、神が創造した地には人間の悪がはびこり、世は乱れて暴虐が横行したので、神は一大決心をして、地上からあらゆる人間を抹殺することにした。そして、ノア一族だけを助けることにきめて、次のように言った。

「あなたは糸杉の木で箱舟を造り、その中に部屋(複数)を設け、ピッチでその内外を塗りなさい。その造り方は次のとおりである。

箱舟の長さは300キューピット、幅は50キューピット、高さは30キューピットとし、箱舟に屋根を造り、上へ1キューピットにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、1階と2階と3階のある箱舟を造りなさい」

1キューピットは約50センチだから、上の数字をメートル法に換算すると長さ約150メートル、幅25メートル、高さ15メートルという大昔にしては途方もなく巨大を船になる。しかも3層のデッキがあり、各層は5メートルの高さとをる。近代でこんな大きを船が造られたのは1885年に進水した英キュナードライン社のエトルリア号が最初である。

この箱舟は1万5千トン級の船に匹敵し、569台分の貨車に相当する収容能力をもつ。いまにもバラバラになりそうを小さを筏というようをものではない。

■ どのようにして建造したのか

神はさらに言った。

「わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものをみな天の下から滅ぼし去る。地にあるものはみな死に絶えるだろう。ただしわたしはあなたと契約を結ぼう。あをたは子らと妻と、子らの妻たちと共に箱舟に入りをさい。またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ2つずつを箱舟に入れて、あをたと共にその命を保たせをさい。またすべての食物となるものを取ってあなたの所に貯え、あなたとこれらのものとの食物としなさい。7日の後、わたしは40日40夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります」

忠実をノアは箱舟の建造にかかった。 といっても鉄器時代よりはるか以前のことだから、おそらく石器かせいぜい青銅の道具を用いたのだろう。推定9千枚ないし1万3千枚の杉板をいったい石器で製材できたのだろうか。

だいいち彼の家族構成は妻と、セム、ハム、ヤペテという3人の息子とその妹たちの計8名である。神はノアの家族以外のあらゆる人間を見捨てたのだから、数百名の人が船の建造を手伝うはずはない。わずか8名でこれだけの巨船が造れたのか。

それに積み荷が大変なものだ。多種類の動物を番で集めて乗せよというのだから大仕事となる。陸生動物の約2万5千番(つがい)を乗船させたと聖書学者は見積もっているが、これを養うエサもぼう大な量となる。これをどこからどうして集めたのか。

 一説によると、ノアはネコを乗船させることを忘れたので、ネズミが繁殖して手に負えなくをった。そこでライオンがくしゃみをしたところ、その鼻孔から2匹のネコが飛び出てネズミの始末をしたという。

■ 大洪水後アララテ山に漂着

神の予言どおり7日後に大洪水が発生した。それはノアが600歳の2月17日のことで、以来天の窓が開けて40日40夜、大雨が降り続いた。こうして地上はすべて水で覆われたけれども、箱舟だけは水上に浮かんで漂流を続けた。

▲ノアの箱舟(リューベック版聖書の木版画)
▲ノアの箱舟(リューベック版聖書の木版画)

神はやがて水をひかせて、地面が表出してきたので、7月17日に箱舟はアララテ山にとどまった。だが慎重なノアはすぐに舟から出ることはせず、40日たってから舟の窓を開いてカラスを放ったりハトを飛ばしたりして周囲の状況を観察した。

やがて、ノア601歳の1月1日に地上の水は涸れて、2月27日に土が完全に乾燥したのを見た。彼は一族と共に舟を出て、動物たちをすべて野原に放してやり、祭壇を作って神に感謝した。

そこで、神はノアとその子らを祝福して有名を言葉を述べた。

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あをたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあをたがたの食物となるであろう」

ノアは洪水の後も550年生きて、950歳のときに死んだが、その子セム、ハム、ヤペテの子孫は大いに広がり、特にセムの血統のアブラハム一族がエジプトを経てカナンの地に腰をおろし、神がこの土地を永久におまえとおまえの子孫にやると約束したために、ユダヤ人の選民思想が生じたことはよく知られている。

■ バビロニア神話の流れ?

以上のとおり、『旧約聖書』 で見る限り、出てくる人物はいずれも数百歳という年齢で、しかもノア一家族が7日間で巨大を船を建造したり、ぼう大を動物を船内で飼いながら1年間も船ですごすという話が展潤するので、読む者は戸惑ってしまう。いったいこんな大洪水があったのだろうか。

古代の洪水伝説は大別して、人類が堕落したのを怒った神が罰として大雨を降らせるという説と、物理的に自然に発生した洪水が伝説化したという説などがある。ノアの時代の大洪水はティグリス・ユーフラテス両河流域のいわゆるメソポタミア(アッシリアともいう)地方で栄えたバビロニアの神話の流れをくむという説がしだいに確立してきた。

この両大河はしばしば氾濫し、住民を苦しめたので、その口碑がついには一人の義人とその家族の話に集約したらしい。大昔、世界は広大な海をただよう平皿のようをものだと信じられていた。ところが大洪水によってこの平皿がひっくり返されたのである。これは太古の世界的を大変動を意味するものではあるまいか。

■ 原型はギルガメッシュ叙事詩

1929年にイギリスの考古学者レナード・ウーレイが、カルデアのウルに残るシュメール文明の遺跡を発掘中、約2メートルの厚さの粘土層を発見した。この層の上部はシュメール文明を、下部はそれ以前の原始的を文明の跡を残しており、これによって『旧約聖書』 に出てくる大洪水が実際に発生したらしいことが判明したのである。単なる神話ではなかったようだ。

一方、オーストリアの地質学者エドゥアルド・スエスは今世紀初めに次のような意見を述べている。この大洪水は毎年発生するティグリス・ユーフラテスの洪水と、ベルシア湾の大地震によって起こった津波のダブルパンチだったと。

この大洪水から伝説がシュメール、バビロニア、ヘブライ、ギリシアの各神話へと発展していった。このことは、古代シュメール人の都市遺跡で発掘された楔形文字粘土板が初期の伝説を伝えていることで確証されており、これは紀元前2000年頃のギルガメッシュ叙事詩の中で改編されている。この12枚の大きな粘土板は、ニネーベのアッシリア王アシユールバニパルの王宮図書館の遺跡から発見された。その第11粘土版には次のように記されている。

若い統治者ギルガメッシュはバビロニアのノアともいうべきウトナピシュティムから大洪水の話を聞いた。この男は海の神イアから警告される。

「おまえの家をこわして船を造れ! 持ち物をすべて捨てて助かれ。あらゆる生き物のタネを積み込め」

ウトナピシュティムは王に語り続ける。

「わたしは5日目に船の骨組みを作りました。床のスペースは1エーカーです。 壁の高さは120キューピット、デッキの各辺も120キューピットあります。 外形も設計しました。床の下にはさらに6つのデッキを設け、7層に分けました。

銀製の物、金製の物、あらゆる生き物の番などを積み込みました。家族や親類をすべて船に乗せてから、野の鳥や獣、それに職人などのすべてを乗せました。

朝の最初の光がさしてまもをく、黒雲がやってきて、夕方までには破壊的を雨が降りました。見るも恐ろしいほどの天候です。アダド(嵐と雨の神)の猛威が天に達して、あらゆる光を暗黒に変えたのです。彼は徹底的に大地を裂きました。終日大嵐が吹きまくり、戦争のように人びとを一掃しました。6日6夜風が吹き、雨は滝のように降りそそぎ、大洪水が土地をなめつくしました。

7日目に嵐と大洪水はおさまり、海はなぎになって、洪水もとまりました。わたしが窓をあけますと光が顔を照らしました。海を見ますと全く静かで、人間たちは土に帰っていました。陸地は平たい屋根のようになっています。わたしは座り込んで泣きました。海の境目を求めて四方を見まわしますと、はるか彼方に一片の土地が出現しました。船はニシール山に漂着しており、2日間そこにとどまりました。

7日目にわたしは一羽のハトを放ちました。ハトは飛んで行って、また帰ってきましたが、羽を休めるような場所はないようでした。次にツバメを放ちましたが、同じことでした。次に大ガラスを放ちましたところ、水がひいたことを発見し、カラスは飛びまわって鳴き、帰ってきませんでした。そこでわたしはすべての生き物を四方八方に放って、いけにえを捧げ、山の頂上にお神酒をそそぎました」

■ ある事実を伝えてはいる

以上は前550年頃、バビロン捕囚の頃に書かれた「創世記」の記述と、それより1世紀昔にさかのぼる第11粘土板の物語が酷似していることを示している。 つまり『旧約聖書』 の大洪水はバビロニアの叙事詩から出たものをのだ。

ウトナピシュティムの四角な箱舟はノアの長方形の箱舟よりも2倍の大きさがあり、実にクィーンメリー号の容積に匹敵するものであった。だが、こんを途方もないサイズや形は別として、いずれの場合も当時のある事実を伝えている。両船ともピッチを塗ったと記してある点だ。これは古代の編み技細工の舟を防水壁にするために用いた物質で、実際の船はたしかに防水されていたと思われるのである。

両船の船長は鳥を放ったが、これも昔は長い航海で近くの陸地の位置を知るためによく用いられた方法である。そして両船長は上陸してから神にいけにえを捧げた。

■ アララト山をめぐる悲喜劇

『旧約聖書』 でノアの箱舟はアララテ山に漂着したとあるが、これはトルコに実在するアララト山を意味する。高さ5千メートルのこの山は昔からノアの箱舟の漂着地点とされていた。だから聖なる山とみをされて、人間がここに登るのを神は望まないと信じられていた。

原始キリスト教時代に 『ユダヤ戦記』を書いた有名を歴史家ヨセフスは、別を大著『ユダヤ古代詰』 の中で、アララト山のことを3度述べている。

「アルメニア人はその場所を漂着地と呼んでいる。箱舟が安全に着いたのはそこであるからだ。彼らは今日までその遣物を見せている」 

十字軍遠征時代に箱舟の遺物ブームがヨーロッパに広がったとき、抜け目のないアルメニア人は箱舟の木片と称するものを活発に売りつけた。

1356年にアララト山に登ったジョン・マンドビル卿は『旅行記』 に書いている。

「箱舟を見てさわったという人たちがいて、ノアが祝福の言葉を述べたときに悪魔が逃げて行った場所に指をふれていた」

その他、この山には箱舟にまつわる伝説や物語が多く残っている。最初にこの山の登頂ををしとげたのはドイツ人医師のフリードリッヒ・フォン・バロットで、1829年に成功して下山する途中、2つの僧院へ立ち寄ったところ、箱舟のかけらを見せられたが、山では箱舟らしい跡を見なかったという。 しかし、これがきっかけとなってまたも箱舟ブームが起こり、登山者が激増し、なかには箱舟を見ただの、元のままの動物の部屋や鳥カゴが残っていたとか好き勝手なことを言う者が続出したし、ベルシア人のイカサマ師までも出現した。

これより前に、箱舟にとりつかれたジェームズ・プライス卿はアララト山に探険隊を率いて登り、3900メートルの地点で一個の凍った木片をひろい、これぞノアの箱舟の一部分と信じたが、実際は巡礼者が建てた十字架の木片だったらしい。

第二次大戦後にはフランス人のフェルナン・ナバラがアララト山を3度探険し、1955年に氷づけになっていた箱舟から切り取ったという木片を持ち帰ったあと2冊の本を出して大儲けをやった。しかし、この山に6回も登ったというアメリカ人はナバラを非難し、あの木片はひそかにフランスから持ってきて山上に埋めておいたのだと攻撃した。

この山にはずいぶん多くの探険隊が繰り出されたけれども、まだこれという成果はないようだ。登頂して死んだ人も少なくない。

■ ノアの箱舟は宇宙大母船?

このノアの箱舟なるものを別を惑星から来た惑星間航行大輸送船とみる考え方もある。

ノアの時代の大洪水というのは一万数千年周期で発生する地軸の傾きによる世界的な大変動であり、これにより人類や動物の大半が絶滅したために、地球以外の別な惑星から巨大な母船に地球開拓のパイオニアと動物を乗せて地球へ飛来し、新たな文明を開いたのだというのである。たしかに北極と南極の位置の大きなずれが太古にあったことを学者は確認しているし、また世界の動物の分布もきわめてアンバランスで、首をかしげる動物学者もいる。

たとえば、象はアフリカ象とインド象の2種しかなく、中南米には存在しないし、カンガルーはオーストラリア、タスマニア、ニューギニアなどに分布するだけで、これ以外の熱帯地方には生存しない。とすると、動物の分布に何らかの人為的な手が加えられていたのではないだろうか。自然発生にしてはあまりに不自然なのである。

遠い過去の全地球的規模の大変動と別な惑星から来た大母船の記憶が人類に伝わって、これが各地の洪水伝説となり、それを鮮明に文書化したものが『旧約聖書』 の物語であると考えるのは少々批判の的になるかもしれをいが、全くあり得ないことでもないだろう。

■ アブラハムは実在した?

さて前述のノアには3人の子があり、そのうちのセムがいわゆるセム族の祖となった人物とされる。この種族から名高いアブラハムが出た。

『旧約聖書』によると彼はイスラエル民族の父といわれる偉大な族長で、神のすすめによりカルデアのウルを出て、後にパレスティナと呼ばれるようになったカナンの地へ進出したが、飢饉のためにいったんエジプトへ移動し、その後再度カナンに定住した。

アブラハムの妻はもとサライといったが、神の命によってサラと改名した。ところが子供ができなかったために、彼女に仕えていたエジプト人のメイドのハガルを代理妻としてみずから推せんし、これにアブラハムの子を生ませた。おそろしく寛大な女房がいたものだが、この子をアブラハムはイシマエルと名付けた。

このときアブラハムは86歳だった。サラは生まず女のまま90歳となり、アブラハムが100歳となったとき、またも神のみこころにより子供が与えられた。これが夫婦の本当の一人息子イサクである。

その後サラは嫉妬心を起こしてハガルとその子を追放してしまった。

アブラハムは神の命により、モリア山で息子イサクを燔祭(はんさい)として捧げることにし、岩の上にイサクを横にさせて刃物でまさにわが子を殺そうとしたとき、神の許しがあって殺さずにすみ、その熱烈な信仰心のゆえに神から賞揚された。この伝説の岩は今もエルサレムの岩のドームの中に残っている。

(終わり)

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