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 アルゼンチンの驚くべき瞬間遠隔移動

第1話 UFOと宇宙 No4 1974 より転載

目もくらむ閃光と不気味な黒い物体の出現!
1瞬のうちに距離と時間が短縮された不思議な現実・・・
アルゼンチンUFO研究会会長 オスカー・A・ガリンデス

瞬間遠隔移動

 瞬間遠隔移動(テレポーテーション)とは、人間または車などが不可思議な原因により、数百キロ、数千キロ離れた地点ヘアッというまに移動してしまう現象をいう。UFOと関係があるらしいが、このような実例は南米あたりでときどき発生した。これは1972年にアルゼンチンで起こった驚くべき事実である。

コルドバの考古学展覧会

1972年の8月のさなか、かなり科学的レベルの高い立派な考古学展覧会がアルゼンチンのコルドバで開かれた。これには多数の人が押しかけたが好奇心の対象となったのは南米のプレコロンビア文明の文字や古文書と大気圏外の知的生命との関連を展覧会がはっきりさせようとした点にあった。特に焦点の的となったのはティアウアナコ文明から出土した六千年前のかんらん石とトルコ石で作られた小さな像で、口から2本のチューブが出て背中の方へまわっている格好は現代の潜水夫のスタイルに似ている。この出土品によって人類の祖先が太古に宇宙からやってきた人々とコンタクトしていたのではないかという話題がもちあがり、しかもUFO問題までが出てくる有様であった。

▲図1

体験者が現われる

 さて、この会場へ筆者は父と一緒に行ったのだが、そのとき大勢の人のなかに旧知の人を父は見かけたような気がしたという。しかし他の一団の人々と話しあっている様子からみて、人違いだということがわかったが、顔つきはそっくりだったのである。しかし偶然にもこの思いがけない出会いは長びいてくつろいだ話合いとなり、その展覧会に関連した2、3の問題や主催者がもくろんだ大気圏外の知的生命などの話題におよんだ。

 我々の会話が更に奥深い問題に発展していったとき、この偶然知り合いになった人は次のようなことを確信しているといい出した。つまり彼の最近のある個人的体験によってUFO現象に関する考えが根本的に変わってしまったため、このUFO現象なるものは肉体をもつ実体の活動をあらわしているというのである。彼はそのときまでさほど関心のなかったある問題について、もっと深く知りたいという欲求がたかまるにつれて好奇心が増大し、そのために展覧会へやってきた。自分の体験については、それを公にした場合、自分を難儀な立場にするという恐れから新聞社には話さなかった。それで少数の人にしか洩らさなかったのである。

 そこで我々はその事件の詳細を知るために、その人とインタビューする手筈をととのえた。相手はこちらの意向をよろこんでくみ入れたが、事件の内容については他言しないようにしてくれという。(この記事は2人の関係者の同意を得て書いたもので、その目的は海外へ知らせることにある)

インタビュー

 最初のインタビューは1972年8月26日に行なわれて、これは4時間続いた。2回目のインタビューは1972年9月18日で、これは2時間続いている。最初のインタビューに出席したのはアルゼンチンUFO研究会の代表として筆者の父ベンハミン・ガリンデス、アルベルト、マヒモ・アストルガ氏、それに筆者である。2回目のインタビューは事件の1、2の詳細を明確にする目的であったから、筆者の父だけが出席した。また我々は電話で数度にわたって2人の目撃者と連絡しあった。

関 係 者

 この事件の関係者は2人の名の知れたコルドバの紳士である。その1人は―この人と我々は考古学展覧会場で話しあったのだが―昔楽の教授で作曲家であるアティリオ・ブルネリ(52才)、他の1人はセベリノ・ポルチェット氏(58才)、これは隠退した元実業家である。インタビューは2回ともブルネリ氏の家で行なわれた。

 この目撃証人たちとの個人的会見によって、2人とも高い教育を受けたらしいこと、体験の話し工合が真面目であること、2人の確信が相当に強いことなどがわかったのである。

2人は仲間から尊敬されていた

 2人の目撃者は以前はパルネアリアの住人であった。(パルネアリアはコルドバ市から185キロの距離がある)ブルネリ氏はパルネアリアに24年間住んでいたが、1954年にコルドバへ移住した。一方、ポルチェソト氏は30年間パルネアリアに家をもっていたが、やはり後にコルドバへ移住したのである。

 こうした経歴は我々の調査にとって特に重要な意義を帯びている。ここでとりあげている2人の人はパルネアリアの住民との家族関係合友人関係などで1年に4、5回コルドバからパルネアリアへ行く習慣があるのであって、そのことは2人ともその道筋を熟知していることを意味しているのである

 ずっと以前、2人はパルネアリアのある音楽グループに所属していた。彼らが1972年7月15日の土曜日にいっしょに昔話をするために再会ディナーに賓客として参加するように招待されたのは、このためであった。

 その招待に応じた2人はポルチェソト氏の所有する1968年型フォードファルコンに乗ってパルネアリアへ飛ばした。ディナーはクルブ・アトレティコ・インデペンディエンテ・ウニオン・タルトウラル・デ・パルネアリアで行なわれ、約5百人の人々が出席したが、これは2人の当事者が高く尊敬されていることを物語っている。彼らはディナーの席上でパルネアリアの友人たちから友情のシルシとして2人に贈られた小さな黄金の楯をすでに見せてくれた。

本人たちは酔っていなかった

 さて7月16日の土曜日、午前2時30分に、2人はコルドバへ帰るためにディナーを辞した。時間のことは確信がある。というのはすでに午前2時に2人はまもなく出発する必要があることや、まだコルドバへ2時間もかかってドライブしなければならないことなどを主催者に話しているからである。しかし友人たちがひきとめるので、2人はもう少しとどまることにした。20分ないし30分程度だったと2人はみている。そのあと2人は挨拶をしてパーティーを離れた。2人とも酒類は飲んでいない。コルドバにむかって出発する前に事のタンクへ40リットルのガソリンをつめた。

事件は発生した

 ドライブは異常なく、2人は道路の状態にしたがって時速80から100キロのあいだのスピードを保っていた。ポルチェット氏が運転していたが、アロイートという場所を通過してから3、4分後に、2人はすさまじい白色の閃光が発生したのを見て仰天した。それはあたり一面をまるで白昼のように照らしたのだ。

 ブルネリ氏はフロントガラスの上端近くを透して空中に黒い物を見たが、事の屋根がじゃまをしたために正確な形はわからなかった。彼はその物を重要だとは思わなかった (最初は雲だと考えたのだ。実際、閃光を見たときにロに出した言葉は「アラシだ!」であった)。そこで彼はポルチェット氏にもっとスピードをあげる方がよいといったのである。時刻はちょうど3時10分で、パルネアリアから76キロの所だった。

▲図2。2人が目撃した"列車"状の奇妙な物体。

 数秒後、2人は道路の左手の50メートルばかり離れた距離に、しかも地面上に、長方形の光が一列になっているのを見て、彼らはそれを停止している列車の車内灯と思った。(図1に見られるように鉄道線路が道路に平行して走っている)この灯火群はやわらかいオレンジ色で、長さ約50メートルの構造物に付属しているように思われた(図2)。しかし暗いために正確な輪郭はわからない。

 ポルチェット氏はスピードをあげる必要にうながされて、その"列車"らしきものにあまり注意を払わなかったという。ただしその灯火類の特徴は完全におぼえている。一方ブルネリ氏は車が灯火類のそばを通ったときに首をまわして見た。ただしくつろいだ無頓着な態度でそうしたといっている。目撃時間は約10秒間だった。

 この"列車"が見えなくなると、ブルネリ氏の注意は空をたえず見つめる方に移った。アラシのあった位置をつきとめようとしたのである。しかし、このような予感を裏書きするような雲は見えない。空は澄んで、星々はものすどくきれいに輝いている。(彼の話によると空がそんなに澄みきって星がすごく輝いているような夜空をめったに見たことがないという) このとき彼はカミナリのような閃光と停止している"列車"らしきもののことを思い出し始めた。彼はポルチェソトにあの"列車"の奇妙な外観に気づいていたかどうかと尋ねた。というのはその窓(複数)が正方形でなくむしろ長方形であったからだ―玄関のドアーみたいに。(目撃者たちは各"窓"の高さは約3メートルで、窓と窓との間隔は70センチぐらいとみている)しかもその物体の両端にはライト類はなかった。更に最も不思議なのは、鉄道線路は道路から10メートルしか離れていないのに、"列車"らしきものは大体に50メートルむこうにあったということである。

 ブルネリ氏は話を続ける。彼らは全然列車を見たのではなく、何かの構造物、またはたぶんよく話題になる未確認飛行体の1つを見たのではないかと考え始めていた。このあとの方の可能性は明らかにポルチェソト氏を不安にした。というのは、そのとき以来、彼の相棒はドライブ中にはっきりとイライラした状態を発見し始めたからである。(ポルチェット氏はそのときからたしかにややイライラを感じていたといっている)

驚くべき時間の短縮

 2人がこんなふうに意見を交換しているうちに灯火から判断してリオブリメロらしき町に着いた。そこで2人はひどく驚いたのである。なぜならまだトランシート、サンチャゴテンプルというような他のおもな町を通過していないからだ。すると突然彼らは道路の左カーブのある所に着いた。これは全然その場所にふさわしくないものである。道順を完全に知っている2人は互いに驚きあった。道路のそんな所にカーブがあるとは思いもかけなかったからだ。

 彼らはドライブを続けた。そして実際はその場所がリオプリメロから25キロも離れたモンテクリストであることがわかった。しかしちょっとのあいだ驚いたあと、2人はこのことに気をかけなかった。なにせ夜中のドライブのことだから、何があったにせよ、旅がうんと短くてすんだという錯覚が起こったのだろうと思ったのである。2人はコルドバに近づいたのをよろこんだ。

 コルドバへの残る28キロには15分ないし20分かかった。ポルチェット氏は相棒を家の所でおろしてから自宅へむかった。

 自分の家にはいったブルネリ氏は壁の時計が午前3時30分を示しているのに気づいた。そこでハッとしたのである。わずか1時間で185キロの道のりを走ることはできないからだ。しかし腕時計を見ると壁時計が間違いないことを証明している。(ポルチェット氏があとで語ったところによると、彼は3時45分に帰宅しており、ブルネリ氏をおろしたときはおそらく3時30分頃であったろうという。いずれにしても彼もやはりドライブのスピードについてはわけがわからなかった)

事件後の異様な現象

 事件の全ぼうの分析を容易にするために、関係者2人がコルドバに到着後自分たちで確証できた興味ある点をいくらか再検討する方がよいと思い、次にそれを掲げることにする。

(a)2人がコルドバに到着したとき、異常な幸福感につつまれていた。彼らはお祝いパーティーや帰路のドライブの疲れが全然なかった。ブルネリ氏は妻と2人の娘をすぐ起こして、パルネアリアでの楽しい体験を話してやる必要を感じたが ― これが奇妙なことだが ― ドライブ中の出来事、"閃光、列車、ドライブ時間のわけのわからぬ短縮などについて全然話さなかったのである。一方、ポルチェット氏は午前8時にまた起き上がったが、やはり疲れをまったく感じなかった。しかしブルネリ氏とちがって、数時間後には旅行中の体験すべてを家族全員に話した。

(b)次の朝、ポルチェット氏の息子がリオクワルトの町へ行くために車を使う準備をしていた。彼が燃料タンクを調べてみると(容量は60リットル)半分からっぽになっていた。そこで父親にパルネアリアから帰ったのちにふたたび燃料を入れたのかと聞くと、父親の答は「入れない」だった。息子の言葉に驚いた彼は自分で調べてみると、まさしく半分も残っていることがわかった。実際には車は12・2リットルしか消費していなかったのである。その距離ならば普通は25リットルを要するのだ。(もと40リットル入れたのだから、タンクにはまだ27・8リットル残っていた)

(c)その朝以来、異常な幸福感と平静さに加えて、ブルネリ氏は右の腰の背中あたりにかゆい感じがし始めた。これは直径1・5センチの丸い部分である。この部分はまったくマヒしたまま残った。この状態が2分ぐらい続いてからまたかゆくなり、その後正常になった。これは4日間、4、5度くり返されたが、別段皮膚に異常はなかった。

(d)ブルネリ氏はいつも血圧が高くて、そのためにめまいを起こすくせがあった。医師からすすめられた療法を無視していたにもかかわらず、あの異常な体験の日以来血圧が下がってきた。

(e)特に異常なのは、ポルチェット氏の意見によると、彼らが物体を見てまもなく、車が道路上を数センチ浮き上がったような奇怪な感じがしたという。ブルネリ氏はこの感じがしなかったが、車が走っていた道路がなめらかな気がしてハッとした。そのため道路のでこぼこがまったく感じられなかったという。        

久保田八郎訳

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