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 アルゼンチンの奇怪なUFO着陸事件

UFOと宇宙 No7 1974 より転載

トランカス事件はUFO問題の全歴史中でおそらく最も異常な出来事の一つである。目撃者の数と質ばかりでなく、事件自体の特徴や同様のタイプの他の事件との酷似性などからそのように言えるのである。。
アルゼンチンUFO研究会会長 オスカー・A・ガリンデス

不思議な人影の群れと火焔を噴く円盤型物体……   

これが発生した当時、アルゼンチンの新聞は事件についてきわめて短い、しかも否定的な記事を掲げた。各新聞社もこれに「右へならえ」をしたために、その結果、記事内容が同じような否定的なものになってしまった。

目撃者たちのよく知られている正直さを全然疑うことなく、むしろこのケースはもっと徹底的な調査を行なう価値があると考えたわれわれは、事件発生以来7年を経た現在、その再調査を試みる必要があると感じたのである。 われわれの私的な調査の結果は確信のもてる肯定的なものとなってきた。というのは、親切にも本稿に目を通してチェックしてくれた関係者の一人の口から直接に聞きとった、完全かつ真実なパノラミックな全貌を提供できる喜ばしい立場にわれわれはあるからである。

仕事(飛行機の墜落調査)のためにアルゼンチン各地への旅行の途中、われわれのUFO研究グループのリーダーの一人であるアルベルト・マヒモ・アストルガ氏は、1970年のさなかにトゥクマン市にいた。UFO現象に関心ある人間のこととて、彼はこの驚くべき目撃事件に関して陸軍軍人達のあいだで調査を行なう機会を得た。そして結局モレノ家と縁続きの陸軍将校と会見した。この将校が親切にもトランカスの目撃者の1人で、現在はコルドバに住んでいるヨリエ・デル・バリェ・モレノ夫人宛の紹介状を書いてくれたのである。この状況はトランカス事件の再調査をしようというわれわれにとってこよなく有利になった。というのは私の父も私もコルドバに住んでいるからである。

その紹介状のおかげでわれわれは目撃者と個人的なインタビューを準備することができたうえ、そのインタビューは1970年10月2日に行なわれた。出席者はその婦人とアルベルト・アストルガ氏、私の父のペンハミン・ガリンデス、それに私である。

セニョーラ・ヨリエ・モレノはアルゼンチン軍隊のある有名な軍人にとついでいるが、彼女の夫の要望により、軍にいる手前、トラブルの発生を避けるために、彼女の娘時代の名前を使用することにした。

▲図1

停電後に出現した奇妙な人影

ヨリエ・モレノ夫人は現在28歳で、2人の子供がある。彼女は高等教育を受けた教養の高い人で、家族の他の人たちも同様である。そしてこの事が陳述の重要性を高めるのである。彼女の説明によれば、トランカスで発生した事件の経過は次のとおりである。

1963年10月21日の午後7時、同家の所有地であるサンタテレサ地所の私有発電所で故障があった。この発電所は同家の電気の供給源としてきわめて重要であった。というのは同家の敷地はアルゼンチン、トゥクマン州のトランカスという田舎町から3キロあまりの、半径2.4キロの無人地帯に位置するからである。そこでモレノ家は懐中電灯とローソクを使用しなくてはならなくなった。目撃者のヨリエは、この停電による障害があとで起こる現象と関係があるかどうかはよくわからないと言う。

夕食をとった後、停電のために家族は8時頃には寝なければならなかった。しかしその頃すでに結婚していたヨリエは起きている必要があった。9時半に長男の赤ん坊に食物を与えてやらねばならないからだ。彼女は赤ん坊と姉のヨランダ(30歳で未婚)と共に4号室にいた。(図1を参照)

その時である。女中のドラ・マルティーナ・グスマン(15歳)が室のドアーをノックして「恐ろしい」と言った。しかしヨリエは相手の恐怖の、原因がわからないために、さほど重要なこととは思わず、同家が位置する場所のさびしさのせいだろうくらいに考えたが、田舎娘としてこの女中は当然このような体験には慣れているはずだとみて、「まったく変じゃないの」と言った。

その後まもなくドラ・マルティーナがまたやって来て、裏庭に原因不明の光る物が見えるとしきりに言う。家の外へ出るたびにあたり一帯が突然数秒間照らされるというのだ。雷雨発生の形跡はなく、ただ2、3片の雲が空中に浮かんでいるだけである。

ヨリエとヨランダは起き上がって裏庭へ出た。何も見えない。数分間そこにいたが、やがて4号室へ引き返した。しかし帰ったとたんドラ・マルティーナが呼びかけて、また光(複数)が現われたと言う。そこでふたたび姉妹は外へ出たが、別に奇妙な物は見えない。しかしドラはすっかり恐れおののいていた。ドラは2人にしばらく外にいてくれと言う。光(複数)が一定の間隔をおいてくり返し現われるようだというのだ。おびえきった彼女は、すまさねばならぬ雑用一切を翌日にまわすと言いだした。

そこで3人は中庭の左端(図1のA地点)まで歩いて行った。すると一同は家から135メートル離れたベルグラーノ鉄道の線路の方向に、約90メートルの長さの管状の輝く細長い物体で連結された2個の光体が存在するのを見た (図1の物体bとe)。何人かの人影(約40名)が見えて、光る背景の中に輪郭が浮かび上がっている。 人間たちは行ったり来たりしているので、目撃者たちはたぷん脱線事故かサボタージュの労働者のたぐいかと思った。それらは明らかに人間であって、普通の身長ほどの人影群は両端の方向へ行き来しているように見えたが、ヨリエは管状物の内部で動いていたと考えている (図2を参照)。

周囲の樹木に妨げられてよく見えないので、木の枝の下から見ようとしてひざまずいた。

よく調べるためにもっと線路へ近寄ろうということになった。2人のモレノ姉妹は充分に着込むためにひとまず部屋へ引き返した。大変寒い夜だったのだ。ヨランダは懐中電灯を探しに行き、ドラは拳銃のコルト38を取りに行った。これは彼女が家に一人でいる時のために護身用として所持しているものである。ヨリエは3号室をそっと通りすぎた。ここには両親(アントニオ・モレノ・エパイチ、72歳と、テレサ・カイルス・デ・モレノ63歳)が眠っている。そして2号室へ行った。この室には別な姉のアルヘンティーナ・モレノ・デ・チャベス (28歳で、陸軍軍人と結婚している) とその2人の子供が眠っている。ここへ来た目的は、ヨリエが外へ出たあいだに自分の子供を見てくれるようにアルヘンティーナに頼むことにあった。ヨリエの頼みを聞いたアルヘンティーナは、妹が屋外へ出るのを思いとどまらせようとした。外に見えたあの人影の群れは、もし妹を見つけたら発砲しかねないゲリラかサボタージュの労働者かもしれないというのだ。しかしヨリエは何も起こりはしないだろうと言い張った。

このときアルヘンティーナも好奇心にかられて隣接の廊下へ出て行った。そして2人の妹と女中が見たという光体を見ようとして廊下の端の方へ歩いて行った。突然「窓の近くに沢山の不思議なものがいる!」と驚いて金切り声をあげた。恐怖したアルヘンティーナは気が転倒し、家の裏側の方へ向かって狂気のように走りまわった(図lの点線)。狂乱状態のまま彼女は庭に積んであったレンガの山に走り込んで地面に倒れたが、すぐに立ち上がって4号室に走り込んだ。彼女の様子が変化したために − ふだんはおとなしい内気な性格の人であるー 他の姉妹は驚いた。そんなに狼狽した姿を見たことがないからだ。彼女は泣いていた。そしてあえぎながら、実際に見えたのは飛行体だったとみんなに話した。

この騒ぎのためにモレノ家の両親が目を覚ましたが、子供たちは寝ていた。ヨリエ、ヨランダ、女中の3人は急いで4号室を通過して出て行って、家の右手方向へ向かった(図1の点線を参照)。

ドラ・マルチィーナが先頭に立って3人は線路の方へ断固たる態度で歩いて行った。まず最初に注意を引いたのは同家の正門付近のかすかな緑色の光である。一同は、これは同家の使用人であるウアンカ氏の運転する小型トラックのライトにちがいないと思った。 そこでドラは前方へ走って門を開いてトラックを中へ入れようとした。ところが、まさに走り出そうとしたとき、ヨリエが懐中電灯で緑色の光体を照らしたのである。突然6個の小窓が明るくなって、わずか4メートルむこうの空中に浮かんでいる不思議な円盤型物体がはっきりと見えてきた!(図1の物体f)。

それは直径28ないし30フィートの固形物体で、表面はアルミニウムに似た金属らしい。多くの接合部分があって、リベットのように見える突起部(複数)もある。頂上には金属らしいドームがあるが、黒くて、リベットはない (図3)。

白いモヤと悪臭を放つ円盤  

▲図2

物体の表面にはマーク類はなかった。小窓は約90センチ×60センチの長方形で、強力な白色光を放っている。機体表面の他の部分 は見えなかったが、これは白っぽいモヤが下部から出ていたためである。ドームから窓の下部までの距離は約2.5メートルないし3メートルで、窓の下部から地面までは1.5メートルにすぎない。機体は静かに前後にゆらめいていたが、中心を軸として回転しているのではなかった。地面に着いていないことがはっきりわかった。

ただちに一種の色帯が機体内部で明るくなって回転を始めた。これは窓を通して内部が見えたからである。各窓は今やゆっくりと順次に色を変化させていて、そのためにまるで窓々が周囲を左回りで回転しているように見える。最初このような運動の印象は一つの窓から他の窓へ通過する赤色光によって与えられた。しかししだいにこの運動はスピードを上げて、ついに周囲全体がオレンジ調を呈してきた。柔らかいブーンという音が光の運動に付随する。すると白っぽいモヤが濃厚になり始めて、硫黄のニオイに似た鼻を突き刺すような悪臭を放った。

3人の目撃者はこうした詳細を30秒以内で見とどけた。突然、物体から赤い炎が放射されて − どの部分から出てくるのかは不明だが ― 一同は我に返った。炎がみんなを激しく地面にたたきつけて、からだに襲いかかり、みんなを2メートルも転がしたからである。3名は起き上がって恐れおののきながら廊下の方へ走った。女中のドラ・マルチィーナは先頭にいたために炎の影響を最も強く受けた。姉妹の2人は強烈な熱のショックを感じただけである。(翌日ドラは顔、腕、足の大ヤケドのためにトランカス病院で治療を受けた。ヨリエは病院にこの記録が残っていると考えている)

これと同時に、線路上で3個のもっと明るい光体が輝いて(図1の物体a、d、e)、この不思議な物体群は合計6個となった。最も離れている2個の物体(aとe)問の距離は約360メートルである。家の後部からドラ・マルティーナによって目撃された例の正体不明の光(複数)は、一斉についたり消えたりするこれらの光だったと思われる。庭の中心から線路の築堤を肉眼で見ることは事実上不可能であるが、物体群の光が庭全体を照らすことはもちろん可能である。

▲図3

伸びて途中で停止する光線

飛行体内部の光帯が次第に速く回転するにつれて、物体fは次第にその下部から放射されるモヤの中に包まれ始めた。そして物体の構造上の特徴はついに見えなくなって、そのあとは一片のオレンジ色の雲が残っただけであった。

東の方に面している2号室の窓から、モレノ家の両親は物体fの上部から幅3メートルの"光の管"が出るのを見ることができた。それは非常な正確さをもって同家の各所を探索していた。まるで精密な調査をしているかのようだ。

線路上に着陸したり上に浮かんだりしている他の物体群は、物体fと同じ金属的な外観を呈していたが、fがなり大きいように見えた(ヨリエ・モレノはそれを「ラ・ナーヴエ・マドレ(母船)」 と呼んでいる。サイズの点ばかりでなく、他の5個の物体の行動を指揮しているようにも見えたからだ)。あたり一帯は非常に強く照らされたので、細部を観察するのは比較的簡単だった。

2本の凝集光線が物体から出始めるのをヨリエが見たとき、彼女は4号室の入口を通ってふたたび外へ出て、家の最右端の方へ歩いて行った(図lのB地点)。その光線は家から35メートル離れた小屋にまっすぐに向けられた。この中には一台のトラクターが入れてある (図1)。線路と小屋との間の180メートルの距離を光線がずっと伸びて行くには数分を要した。そして光線はついに小屋の手前約2メートルの所で停止したのである。幅3メートルの光線が空間を伸びて行くのは恐ろしい光景だった。光線全体にわたって全然地面に触れた個所はなく、地上約1メートルの空間にあった。この光線は完全な円筒形で、どこにも影はない。(しかし物体自体の直径から見て、その管状光線の光源のポイントは最先端よりも小であったと思われる)。

光線は蒸気や音を発しなかった(当時の新聞は 「発した」 と誤報している)。光線はトラクター小屋の手前で約40分間とどまっていた(翌日モレ ノ家は、トラクターの各部分についていた油の跡が、まるでていねいに洗われたかのように消えているのを発見した)。

本能的にヨリエは右の前腕の半分を、物体から放射されている管状光線の一つに横から突っ込んでみた。彼女が最初に思ったのは、この光線は何か未知の装置によって放射される集中的な水の噴流ではないかということだった。光線の水晶のような透明さがそう思わせたのである。しかし前腕は濡れなかった。ただ強烈な熱を感じただけだが、皮膚に影響はなかった。何か非物質的な物だった。彼女がそのような事をしても管状光線に変化は起こらなかった (光線が小屋までとどいたとして、それが垣を貫いたとしても、やはり害を与えないことは明白である)。

未知の物を目前にした恐怖でヨリエは屋内へ逃げ込んだ。父親の老モレノ氏は自ら出かけて光線の原因を調べようとしたが、娘が押しとめた。妻のテレサは祈っていた。2、3、4号室から一同は他の物体群からも輝く光線がゆっくりと同家の方へ伸びて来るのを見た。光線は白色で、形状は完全な円筒形である。光は散ることはなく、3メートル幅のパイプに似て、各物体から2本ずつ平行して伸びていたが、物体fだけは光線が一本しかなかった。 光線の先端はとぎれている。(物体b とcを連結した例の管状物はすでに消滅していて、人影群もなかった。そして両物体は凝集した光線を家の方に向けていた)

物体eからも凝集光線が放射されるのを一同は見た。その光線はトラクター小屋の南側にあるニワトリ40羽収容の鶏舎の方へ動いていた (図1)。 そしてその先端は鶏舎からすぐ手前の位置でぴたりと止まっていて、長くそのままであった。

一方、家の内部は温度が40度C以上に上昇し、その温度を上下していた。 これらの異常現象が発生する前は屋内の温度は16度Cを保っているにすぎなかったのである。まだ眠っていた子供たちのベッド着は汗で濡れていた。

屋内はまるで白昼のように明るく照らされていた。どこから光がはいって来たのか、ヨリエには説明できない。 光線が壁を貫通したのかどうかは目撃者のだれにもわからなかったが、ヨリエによればこの光線が内部が明るくなった原因であることに間違いはないという。もっとも彼女は断言するのを控えた。(しかしこの光線がヨリエの前腕や垣を難なく貫いた事実は、これが正しい説明かもしれないという有力な証拠になる)

フランス人ジャン・グピルの集束磁場に関する仮説によれば、これらの"パイプ状光線"は磁場のトロイド (円錐曲線回転面)状の放射ではないかという。木または石は磁場にとって障害にならない。デビルの説によれば、トロイド状に放射されるあの輝く光線は、壁の反対側で再構成されて、固型物を貫通する光となって驚くべき状態を呈するのだという。そこで、少なからぬ量のエネルギーの放射を考慮に入れれば、屋内の温度は当然上昇するだろらう。

 その後まもなく物体fはその光線を南方のトランカスの町の方向へ向けた。それはゆっくりと伸びて、10ないし15分後には町の郊外に達した。 それから上方に伸びて180度のターンを行なってから北側へ向いた。次にゆっくりと縮んで、ついに物体fの中へ引込んでしまった。するとその物体は線路の方へ移動し始めた。その場所で他の物体群と一緒になり、全部が東方へ低く飛び立った。メディーナ山脈の方向である。最初に目撃された時から40ないし45分間が経過していた。その後30分以上もの間、地平線はオレンジ色に染められていた。

(訳注:このUFO群は硫黄に似た臭気や炎や煙等の、きわめて原始的な"公害物"を放つけれども、必ずしもホスタイル(敵対的)ではなかった。ドラ・マルティーナが大ヤケドしたのは物体に接近しすぎたためである) 

(終わり)

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