ホーム ライブラリー レターズ ピクチャーズ ufo 掲示板 お問い合わせ リンク

GA Site -UFO Contactee-

articles

過去更新記事

 ├ 2009年度
 ├ 2008年度
 ├ 2007年度
 ├ 2006年度
 ├ 2005年度
 ├ 2004年度
 ├ 2003年度

最新更新記事

サイト内検索



GA Site内を

新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 大気圏内のUFOの速度

UFOと宇宙 No.09 1974 より転載

筆者のアイリーン・グランチはブラジルの高名なUFO研究家オラボ・フォンテス博士と長く親交のあった円盤研究家

UFOの速度計算 

フライング・ソーサー・レビュー誌1972年12月号(8、9、12頁)掲載のバートルド・E・シュワルツ博士の記事中の写真を見て私は、フェルナンド・クレート・ヌネス・ベレイラ所有の映画から取った写真をすぐに思い出した。実によく似ているのである。写真を見て彼は私に同意して、フライング・ソーサー・レビューに自分の写真のことを報告することにした。

 この映画は、有名なブラジルのテレビ・タレントのヒルトン・ゴメスの目の前で、今は亡くなったがトゥピ・テレビのカメラマンだったオルティス・ルビオが撮影したもので、1957年11月11日の夜臨時ニュースで放送されてわずか3日後にクレートが買い取ったものである。リオデジャネイロのことだった。

 1分30秒にわたって丸い光がふくれたり分裂したり、また1つになったりするだけのこの映画を見て、これが価値あるコレクションだと思う人は、当時は1人もいなかった。1カ所だけ2個の光が4個に分裂するところがある。それだけだ。こんなつまらないみものを、だれがほしがるだろう。

 この映画がほんものであることを示す証拠はたくさんある。ウレア地区の各テレビ局の放送が一時中断したこともあるし、テレビ局の職員2人は、何百人にものぼる目撃者たちから現場に呼び出された。このことは翌日の新開が報じたとおりである。目撃者の1人セルジオ・ラウル・デ・パロス・レジナ教授はインタビューに答えて、最初は1個の光点が水平に空を横ぎり、つづいて2個が、さらにまた2個の光点が超高速でまずスマレ(コルコヴアド・クリストの付近)のほうへ、それからレブロン郊外めざして飛んだと語った。彼がふたたびスマレの付近で巨大な閃光を見たのはもう真夜中に近かった。これらはすべて、リオデジャネイロにあってコルコヴアドのほうに面している彼のアパートの窓から目撃されたものである。

 この短編UFO映画は、意外な新事実を明らかにすることになった。フエルナンド・クレートの研究によれば、この映画は、地球大気中でUFOが達しうる速度を解明するための重要な記録なのである。

 このフィルムを検査したところ、数百人の目撃者同様、カメラマンも明るく輝く物休を常に画面の中心に来るようにカメラを動かしていたことが明らかになった。フィルムをゆっくりまわして個々のコマを調べると、他の光点が画面にはいってくる様子もわかってきた。

 使用カメラはベル・ハウエルだが、製造年代はわからない。オルティス・ルビオが死亡しているので実際のフィルム速度も不明だが、16分の1秒(24分の1秒だったかもしれない)くらいと思われる。したがって、個々のコマに示された物休の運動は、16分の1秒間に行なわれたことになる。

 つまり、1つのコマに新しく出現した光体が次のコマにもその次のコマにも姿を見せていないとすれば、その移動は16分の1秒(か、または24分の1秒)以下というわずかな時間で行なわれたことを示す。

 映画は、夜のメサ・ド・インベラドールを背景に撮影された。メサ・ド・インベラドールは名高いリオデジャネイロのコルコヴァドとべドラ・ダ・ガヴァアの中間にあり、海抜約700メートルの高さである。UFOはさらにその上300メートルの高度を飛行していた。物体とカメラとの距離は約3000メートルで、カメラの望遠レンズの視野は約1200メートルである。1秒間に16コマの写真が撮影されるわけだが、物体が視野を横切るにはただ1コマの写真が撮影される時間しかかかっていない。大きな光点は常に画面中央に来るよう、カメラマンがカメラを操作している。したがって、UFOが1コマのフィルムを横切る速度は最低時速69,120キロメートルということになるが、これは控え目な推定なのである。すべてのコマを同様なやりかたで検査してみても結果は同じだった。作業計画のためカメラからUFOまでの距離を3000メートルと推定したが、実際は4000メートルだったかもしれない。その場合には時速は92,160キロメートルということになる。1957年に地球大気中でこのような高速が出せるとは考えも及ばないではないか。

 

科学的に研究が必要

 フェルナンド・クレート・ヌネス・ぺレイラは最近、このフィルムを焼増ししてブラジル空軍に送付した。彼によるとその研究結果は、科学にとって計りしれぬ価値があるという。そこで彼は何らかの研究成果が公表されることを期待して、今では、世界中どこの科学者でも自由にプリントできるように、このフィルムを公開している。

 1971年11月、タクソンのアリゾナ大学でAPROがUFOシンポジウムを開いたとき、私もこの映画のプリントを持参して参加し、ローレンゼン宅で行なわれたシンポジウムに出席した科学者らに上映してみせた。だがこのプリントはただちにブラジルに持ち帰ってクレートに返すように指示されていたので、現地で焼増しする時間的余裕もなく、それ以上つっこんだ研究を行なうひまもなかったのである。

 以上、この間題に対するアユルナンド・クレートの熱の入れかたも、さらに注意深い研究が必要であることもおわかりいただけたことと思う。

 私個人としては、もっと別の角度からこの映画に関心を寄せている。バートルド・シュワルツ博士の写真とよく似ているので驚いたことは最初にお話ししたとおりである。

 自分の主張を立証するため私は、F・クレート・ヌネスがフライング・ソーサー・レビューに提供した引伸し写真のいくつかに番号をつけてみた。そこで第1番と2番は第2図と、3,4,5番は第4図と6図(すべて同誌1972年1-2月号8ページ)と比較できることになる。2個ならんだ光点は明らかに、第4図と6図の、細胞分裂のように重なりあって今にも割れそうな1個の光点と同種のものだ。それぞれの輪郭と形もそうである。シュワルツ博士の文章を引用しよう。

  「……空は、白っぽいオレンジ色に輝く円盤が1個、つづいて2個と不意に出現したため、あかあかと照らしだされた。怪光は脈をうつように形と色を変化させ、1つにとけあい、やがてまた2つに分かれた……」

 クレートの写真のうち、6番と7番に見られる数個の光点は、シュワルツ博士の記事の第3図、11図、12図と同様である。小さな光点も見えるけれども、もっと重要なのは、第11,12図のほとんど実直な線であり、これはクレートの引伸し写真第4,5,6,7番の直線と対応するものだ。4コマの連続写真(8番)も同様だ。これが飛行中の物体をあらわすものであることはまず間違いない。もう一度シュワルツ博士を引用するが

  「……フィルムを一コマ一コマ検討すると、青色の小円盤や丸い物休が見られる……これに注意していただきた小。というのは、スローモーション映画のように光をチラつかせて遠慮がちに出現するこれらの物休は……」

 しかしながら、もっとも目立った類似点は、2つならんだ光点が2組、数コマにわたって見える4本のネガ・フィルムの中にある。これらのフィルムから40枚のスチール写真を作ってシュワルツ博士やステラ・ランシングのフィルムと比較したところ、いっそう強力な証拠が発見された。だがこれももっと科学的に研究する必要がある。

 だが、私のような素人にとって、もっと重要な意味を持つように見え、また想像力を刺激するのは、撮影された場所も時間も大変に相違したこれら2本の映画がかくもよく似かよっているということである。

 この事実こそはやがて、私たちの周囲にありながら、まだだれからも気づかれていない大きな大きな類似点の発見へと、私たちをみちびくものではないだろうか。

(終わり)

home artcles letters pictures ufo bbs お問い合わせ link