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 ルーマニアのUFO出現事件 (1)        >>第2話

UFOと宇宙 No.15 1975年12月 より

ソ連圏のUFO現象 ルーマニアにしばしば出現する気球状UFOは寺院の壁画にも描かれていた! Part1

ブジョレアンカの気球状UFO

UFOの基本的な特色の1つはその多様径である。UFOには実に種々の形、スピード、大きさ、光などがあるが、信じない人にとっては1機のUFOが2つに分裂したり、逆に2機が合体して1機になったり、形を変化させたり、レーダーのスクリーンから消えたりするような奇妙な活動をするからといって、UFOの存在を信じたりはしないものである。確固たるデータがなければ人はUFOの存在を考えたがらないのだ。

しかしこれは性急な結論である。UFOはあくまでもUFOなのだ。なぜならUFOは人間が知っているいかなる自然的なスジの通った現象を超えているからである! UFOの非論理的な"行動を認めてこそ、この間選に科学的に接近するための方法論を磋立する第1段階となるのである。見たところ多大の混乱があるにもかかわらず、1つのパターンが洩らされた。 無学な人々の報告であるにしても、碇実なデータによって”本物”のUFOの存在は明らかとなっている。まじめに研究Lている我々が不合理≠セと言っているUFOの行動のパターンは、東ヨーロッパ諸国のUFOの目撃事件で見られるのである。ここでふたたびルーマニアのUFO目撃のいくつかをあげて、UFOの典型的な性質を強調し、実例によって何度もその代表的な要素を示すことにしよう。

第2次大戦後に近代ユーフォロジー(UFO学)が始まったが、我々のささやかな寛大さによって、UFOと分類し得る物体の多数の目撃事件を歴史が記録していることはだれも知っている。ここではルーマニアの歴史から2つの実例をあげることにする。

▲ブジョレアンカの目撃者D.S.イオアネスクが書いたレポート

17世記 ライニキ修道院

前号では修道院の壁画に宇宙船が描かれたのではないかという問題を扱った。ピソキ・デカニ修道院のフレスコ画は、あらゆるルーマニアの修道院で見られる宇宙船らしき絵画よりももっと納得のゆく壁画であった。あらゆる壁画は大作であり、それらは内壁と外壁の両方で見られるが、そこには無数の円盤形と球体の物体が描かれている。もちろんこれらを宇宙船だと解釈する必要はなく、むしろ聖人を天に送るかまたは天使を地上に降ろすものとみてもよいだろう。しかしこうした絵画によっては、太揚・月・星などをあらわしていると考えられるのもある。

ルーマニアの著述家ビクトル・ケルンバッハは、1970年にブカレストで発行された空中の物体の謎"と題する著書で、異なる意見を述べている。彼はロシアのツァゴールの教会、ルーマニアのビセリカ・ドムネアスカ、有名なアトス山のカライ・ブロタトンなどの壁画にいちじるしい類似性を見い出しているのみならず、これらの絵画は宇宙船を描いたものだというのである。しかもその肖像や壁画類に関連したある不可能"な要素を示すことによって自己の主張を裏付けているのである。

▲ボロネ寺院の壁画中に描かれた奇妙な『乗り物』。

それはともかくとして、ここで取り上げねばならぬ1つの絵画がある。それはライニキ修道院の外壁の壁画である。17世紀の初頭、この修道院の礼拝堂の壁は、神を信ずる文盲の人々を教育するためにあらゆる種類の宗教画でおおわれていた。これらの壁画はルーマニアの北方の、たとえばボロネの礼拝堂のごとき有名な寺院などの壁画よりも、バンダル人や天候などによってひどい損害を受けた。しかしボロネ寺院のポーチにある壁画天使ガブリエルがマリアにうれしい便りをもちだす図"は全く無傷のままに残っている。しかもこれは2人の主要人物の頭上に奇妙な乗物″が描いてあるという独特な絵なのだ。問題の物体は-雲ではない-空中に停止しているモントゴルフィエーレ2重気球にひどく似ているのである。

そして気球から一種のパイプ状の物が伸びて、その端に穴があり、そこから赤い点状のものが出て、赤い雲のような帯に吸収されているのである。筆者は17世紀の道具類を研究しているある歴史学者に尋ねてみたが、正休は不明だとのことだった。これが気まぐれに描かれた抽象絵画だとは考えられない。このようなものが修道院の壁に描かれるわけがないからだ。しかもモントゴルフィエ-レ気球は、この絵が措かれてから150年後になって初めて打ち上げられたのである。この絵を1914〜15年にプジョレアンカで見られた物体と比較すれば、いちじるしく類似していることがわかる。

注:1914年か15年の秋にプジョレアンカの自宅の庭で夕暮れ時に家族と食事をしていた68歳の教師は、赤い色を帯びた1個の物体に気づいた。排気パイプのような物が突き出たフットボール大の物体で、20〜25メートル上空を東方へ飛び、そのあおりでアカシアとカシの木が曲がるほどであった。この物体は8〜10メートルの火花の航跡を残し、6〜7日間も出現したのを村人すべてが目撃した。ヒユーツという音をたてて、目撃者の住居から800メートルばかりのある特殊な家の上空で青色になって現れ、別な家の上空でフッと消えた。あるときはまた別な家の上空で静止したが、そこで焼死した女の死体が発見された。

▲コリビータのUFO連続写真

写真、レーダー、映画に写った例

 全く不可解なUFOがルーマニア国内でレーダー・スクリーンに点状で写ったことがあるがこの内容の公表は禁止されている。

 最上のUFO映画は1968年9月19目にクルジで撮影されたものである。これはルーマニア・テレビジョンが写して、翌日には全国に放映された。

1969年1月4日19時35分から20時20分までにコリビータで撮影された別なUFO写真のシリーズがある。筆者はこの写真を本記事の最も重要な証拠写真と考えている。鮮明な他のUFO写真に比べれば一見して頼りないように見えるけれども、周囲の光景からみればまぎれもない本物だということがわかる。樹木や星などがネガに現れていることから、次のような結論に達するのである。

(1) 物体は星、惑星、人工的光源よりもはるかに強烈な光を放っている。

(2) UFOの光跡は直線ではない。したがって流星やスイ星でもない。撮影者はヘリコプ ター、その他の飛行機、気球などを目撃しなかったし、音響や地上からの強烈な光も 見なかった。そこでこれはUFOであるという結論だけが残る。次の報告は数名の目撃者の話を綜合したものである。

▲コリビータのUFO航跡図

山中で休暇をすごしていた大学講師、科学者その他の人から成る1グループは、19時35分から20時20分までのあいだに、クマゴ型の黄赤色の物体がゆっくりと西北西に動き、空の6分の1を移動したが、やがて地平線上に消えたのを目撃した。その直径は月の4分の1ないし5分の1と推定され、その異常に強力な光は200メートルの距離にある500ワットの電球の光に匹敵するものであった。高度と速度はしばしば急速に変化するように思われたが、方向は変わらなかった。ときどきバックして、地平線上に消えたあと、また数秒間見えてからついに消滅した。

信用にあたいする有能なこのグループは、飛行機、惑星、その他の光現象を見たのではないと主張している。太陽の光で反射した気球でもない。太陽は16時48分に沈んでいるのだ。

目撃者の1人であるアマチュアカメラマンは400ミリ望遠レンズを使用して、6枚の写真を撮影した。最初の4枚はカメラを3脚にすえて動かさなかったが、5枚目と6枚目でレンズを調整した。露出時間は次のとおりである。第1枚目=5秒、2枚目=10秒、3枚目=110秒、4枚目=15秒、5枚目5分間(20時03分〜20時08分)、6枚日=不明。平均露出時間は2分。

▲コリビータのUFO.1969年1月4日、ドンカ・セフェルが撮影。

物体の動きと光輝は付近の星、及び森林中のホテルの明りと思われる電灯光とで比較され、 20時03分と20時08分のあいだに移動した物休の距離は、惑星の可能性を排除するものであった。

ところが別な興味深いUFO写真が、山中の族行者センターであるブステニで1971年6月12日に撮影された。撮影者は15歳のダニエル・マテースタで、スメナ8型カメラを使用し、絞り4で、露出はバルブであった。目撃者は長時間露出を応用したのではなく、自分が動いたのだという。このことはこの写真が、やや伸びた球体の物体を正確に再現Lたものでないことを意味する。そのときは明るい夕方で、北東のそよ風が吹いていた。すると火球"が西から降下して10秒後に消えたのである。物体が非物質化"したのか、それともただ山のむこう側へ消えたのかは目撃者にはわからない。

▲ダニエル・マテースクが撮影したUFO。上段の写真の下方に見えるのは町の灯火群。

まもなく21時11分に同じ物体がまた西に突然現れた。今度はかなり近いようで、月の4分の1程度の直径である。すると目撃者から30度の角度で空中に静止した。このとき撮影したのだが、そのあと物体は急に消えた。色は赤で自体が輝いていたが、日光に輝く気象観測気球ではない。6月12日には太陽は20時に沈んでいるからだ。コリビータのUFOほど強く輝いてはいないようである。

ルーマニアでは大学教授連もUFOを目撃している。これは世界中でもそうだ。この種の人は一般人よりも著作が多いという事実のためだろうか。1968年6月8日にはカバタネニの大学教授、クナベ・リカルダ夫人がカウボーイ・ハット型"物体を見て、次のように報告している。

私はゲオルグ・ゲオルギウ・デジの水力発電所付近に住んでいる。自宅の前には樹木の密集した山の斜面がある。私はその日16時30分から17時まで晴れた空のもとでベランダにすわっていた。そのときカウボーイ・ハット型の物体が谷の上空を無音で北から西へ飛んでいるのに気づいた。物体の右側は輝いていたが左側は暗かった。相当な高空を飛んでいるらしい。

となりにすわっていた隣人のコリーナ・ドゥミトレスタは飛び上がって、うしろの一階にいた私の夫を呼んできたが、来たときにはすでに物体は地平線上で消えていた。だから惜しいことに写真は撮れなかった。

UFO問題に関する研究において、我々は気象関係者による目撃にかなりの注意を払ってきた。彼らは気象観測気球、特殊な経緯儀を用い、それでUFOの角度を測定したりする。彼らは航空力学や天文学にくわしい、あらゆる種類の天文現象や光効果を見ているので、こうした専門家の物体目撃報告は特に正確で信頼にあたいする。ジュネナル・ミルの気象関係者を調査したルッベルト(注:元米空軍UFO調査機関″ブルーブック″のリーダーで未確認飛行体に関する報告″と遺する著書を1956年に出した)は、気象調査官たちはあまりに多くのUFOを見ているのでUFOに対する関心を失ってしまったと述べている。ルーマニアでもこの傾向はある。

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