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 6000キロの瞬間移動

日本GAPニューズレター 第37号 昭和38年6月10日発行 より

最も奇怪な瞬間移動(テレポテーション)の一例が今年5月に発生して、アルゼンチンの主要日刊紙の大見出しとなった。
オスカール・A・ガリンデス

フライイング・ソーサー・レヴュー誌はすでにこの種の現象に関する記事を掲げたが、今度の重大な新事件はあらためて瞬間移動の問題に我々を注目させるものである。

我々の資料調査によると、1968年5月上旬にヘラルド・ヴィダル博士というブエノスアイレスの著名な弁護士が夫人ラフォ・デ・ヴィダルと一緒に首都ブエノスアイレスの南方120キロ以内のチャスコムスの町へ家族の会合に行ったらしい。

真夜中ちょっと前にそのパー・ティーを辞して、2人はチャスコムスの南方150キロばかりの町マイブへドライヴすることにきめた。そこには親友や親類がいるのだ。

2人は国道2号線を進行したが、前方にはやはリマイブに親類のある別な夫婦が車で先行していた。この別な夫婦の名は不明だが、彼らは異状なくマイブに到着したけれども、ヴィダル夫妻はそうではなかった。夫妻が到着しなかったために憂慮すべき事態が生じたのである。そこで別な夫婦は再びチャスコムスの方へ車で探しに引き返したが、見つからないので、またもマイブへもどって来た。夫妻の車も人間も消えてしまったのである。

■ メキシコ市から電話

ヴィダル夫妻の失踪後48時間ほどたってマイナのラバリーニ家(この名を記憶されたい!)の住宅にメキンコ市のアルゼンチン領事館から電話がかかってきた。6400キロの彼方である。この電話でヴィダル博士が「こちらは2人とも無事だ」と告げて、ブエノスアイレスのエセイサ国際空港に帰って来る時刻を知らせてきた。 そうこうするうちにヴィダル夫妻が予告通りにエセイサ空港に到着して友人縁者一同に迎えられた。ヴィダル夫人は神経疾患の治療を受けるために空港から民間の診療所へそのまま運ばれて行ったが、ヴィダル博士は驚き呆れている家族にむかって、2人の身にふりかかった驚くべき事件について語ったのである。

■ ヴィダル博士の談話

博士の話は次のとおりだ。夫妻が失踪した夜にチャスコムスの郊外を離れていたとき、前方に"濃い霧"が突然現われて、その瞬間からあと48時間というものは全くわけがわからなくなった。2人が正気に返ったときは昼だった。2人を乗せたままの車は見知らぬ小道にとまっている。夫妻は無キズだったが、いずれも首のうしろに痛みがあって、長時間眠ったあとのような感じだった。

驚いて夫妻は外へ出たが、見ると車体の表面は火吹きランプで焼かれたようになっている。しかしエンジンは完全な状態だ。見なれぬ風景のなかの見知らぬ道路ぞいにドライブを続けて行くと人々に出会ったので「ここはどこなのか?」と尋ねると返事はみな同じだった。「メキシコだよ」

夫妻の時計は止まっていたが、カレンダーの助けをかりて、2人が48時間アルゼンチンから離れていたことがわかった。

■ メキシコ市のアルゼンチン領事館で

やがて2人はメキシコ市のアルゼンチン領事館に到着したので、そこで身元を確認してもらい、そこからブエノスアイレス州のマイプのラバリーニ家へ電話をかけたのである。

アルゼンチン領事ラファエル・ロペス・ベレグリーニ氏は官憲が徹底的に調査を行なう時期が来るまでは事件を極秘にするようにと要請した。

ヴィダル博士の車プジョー403は科学的な調査を受けるために米国へ送られ、その代償として同じ車種の別な車を受け取るよう手配された。  

沈黙のカーテン

きわめて重要なのは、この事件については他の多くの事件と同様にイヤな"沈黙のカーテン"がまもなくおろされた事実である。こうして2日後にはマイプの公証人マルティン・ラバリーニが、メキシコ市からかかったといわれる電話などあったおぼえはないし、自分も家族もヴィダル夫妻を全然知らないと新聞記者団に証言した。

しかし彼は三つの明白な誤りをおかした。というのは、実際にはラパリーニ家はヴィダル家と親類になるのである。第一に、へネラルピラン(ブエノスアイレス州の別な町で、マイプから遠くない)に住む彼の妹ラバリー・デ・へレムール夫人はヴィダル博士の妻と親類である。次に、彼の別な妹でマイプに住むアイダ・ラバリーニは電話の件をすでに友人たちにしゃべっている。三番目に、彼の叔母のマリア・エラウラリア・ラバリーニ夫人は、ヴィダル夫妻のメキシコへの瞬間移動の話をすでによく知られている参考人たちに確証している。

最後に、記者団は別な奇妙な、しかも重要な点を見のがさなかった。すなわち公証人の親類縁者の殆どすべてが突然マイプからこっそりと立ち去ったことである。明らかにこれ以上のせんさくを避けるためだ。

 更 に 重 要 な 諸 点

結論として別な点をあげることが必要である。

(a)ヴィダル夫妻がナゾの失踪をとげた同じ夜、1人の男がマイプ病院へ治療を受けにやって来た。この男の話によると、彼は国道2号線上をドライヴしていたところ、奇妙な霧が前方に出現したが、まもなく上昇して去って行った。あとで本人はからだがひどく震えて気分が悪くなったという。

(b)ヴィダル夫妻の事件は1961年9月19日に発生したバ−ニーとべティー・ピル夫妻の体験の説明に出てくる詳細な点に似ている。

(c)ヴィダル博士は車の表面に火吹きランプで焼かれたような奇妙な跡があったが、ヒル夫妻も車の表面に不思議な輝く円い斑点を認めた。

(d)ヴィダル夫妻の時計は止まったが、このことはヒル夫妻にも起こった。

(e)ヴィダル夫妻は正気を失った48時間中に自分たちがどうなったのか知らない。

これは記憶呼びさましの催眠術によって思い出させることができると言いたい。バーニー・ヒル夫妻の場合にこれが施術された。こうしたテストによれば、ヴィダル夫妻から得られる証言はこれまでのなかで最も重大かつ仰天させるようなエピソードをもたらすだろう。

(終わり)

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