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新アダムスキー全集

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中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 世界最大の円盤物語

by グレイ・バーカー   GAPニューズレター No.60 1976より

事物が多大の骨折りによって隠されるとき、それを洩らすことは、それを破壊することである。
−テルトゥリアヌス-

修道士たちは羊を焼き終えたばかりで修道院長が食前の祈りを唱えようとしていたとき、その修道院の信者の一人が走り込んで来た。空中に大いなる兆しが見えると叫んでいる。

院長が太った体を動かして中庭に走り出てみると、空飛ぶ円盤がいた。

「見よ!円盤状の大きな丸い銀色の物が一同の頭上をゆっくりと飛んで、すさまじい恐怖をひき起こした」 

この大昔の話のいいところは、古典的な矛盾のない一貫性である。だれかが円盤を見ると、その解釈を求めて有力な権威者のもとへ行く。この場合、きわめて小さな修道院という世界の知的な権威者はいうまでもなく院長である。

疑問に直面した院長は、ある解釈をもち出した。それはつまらぬ空軍のスポークスマンが恥じ入るような名言であった。

「それを見た院長のヘンリーはすぐ叫んだ。<ウィルフレッドが人妻を寝取ったもんだから、あれを食べるのほよくないんだ……>」

ウィルフレッドというのは羊を提供した男である。彼が実際にそんな罪を犯したかどうかは不明だが、院長の前キンゼー的発言は、彼の名を不滅にしている(または不道徳に!)。(訳注:アルフレッド・チャールズ・キンゼーは1956年に死んだ米国の社会学・生物学者。人間の性行為を研究した)。これは1290年にあった事実であるからだ。

これは未曾有の円盤大事件ではないにしても、最古の記録の一つであることに間違いなく、この古い物語は、円盤の飛来について世界的に関心を呼び起こしたある書物の最初の部分に述べてある。

1952年、ウィンストン・チャーチルの従弟(訳注:正確には甥)にあたる劇作家のデスモンド・レスリーは、珍しい写本類に囲まれて多年の研究を行った後、自分の書いた書物の出版元を探していた。レスリーによると、1947年にケネス・アーノルドが一般化させた空飛ぶ円盤は、今に始まったものではなく、有史以来出現してきたことがわかったという。

数種の出版社が彼の原稿を読んで、ぴしゃりと伏せた。「気違いだ」と言うのもあれば、「科学的すぎる」と評したのもあるし、「こんなものを興味をもって読む人はあるまい」と片づけたのもあった。

しかし1952年の11月に、ロンドンの自宅から数千マイル彼方で発生した劇的な事件によってレスリーの運命が変わった。その月の20日にジョージ・アダムスキーがカリフォルニアの砂漠で、大気圏外から来た人と会ったのである。

ニューヨークとロンドンの出版社は立ち上がって注目した。そしてすぐにアダムスキーの宇宙人来訪の記事を買ったのである。しかしその原稿は一冊の書物にするには短かすぎた。ところがロンドんのT・ワーナー・ローリー社が全く偶然に、冷笑していたレスリーの原稿を思い出したのである。

二人の原稿を組み合わせたこの英国の出版社はFLying Saucer Have Landed(空飛ぶ円盤は着陸した)と題する本を世に出した。最近の集計によると、米国版は12版を重ね、50万部以上売れている!一方、ジョージ・アダムスキーの記事は各国語に翻訳され、世界中で論議の的になったのである。

ビマーナと金星人

ジョージ・アダムスキーの身に発生した事件の概観は、この珍しい書物そのものを実際に読めば、最もよくわかる。

デスモンド・レスリーは前述の修道院の目撃事件に関する古い物語で執筆を始めている。そして1619年に始まる一連の類似事件を説明し、原稿の締め切りまで、数世紀にわたる事件を展開している。

続いて彼は古代にさかのぼって調べているのである!

先史時代からアトランティス時代に及ぶ写本には、現代、空中で見られる物体によく似た人工の円盤について述べられているばかりでなく、それを建造する方法まで伝えているという!

アトランティス人のビマーナ(空艇)は木または金属で出来ており、水銀を利用したエンジンで推進された。ただし正確な推進法は述べられていない。エネルギーはノズルまたは噴射口から噴出されて種々な方向に変えられ、船体を操縦した。このビマーナは時速わずか百マイルで進行できたにすぎないが、進歩した船体ならば別な惑星へ行けるものと考えられている。しかし世界の人類の歴史と伝説を通じて流れている大変動のノアの洪水″が、この古代の円盤建造文明や驚異的な空飛ぶ機械までもー掃してしまったらしい。

太古の円盤の推進法

現代の原爆に似た武器の詰も古代の写本中に見られると、レスリーは言っている。アステロイド帯はかつて一個の惑星だったかもしれず、そこの科学者が自爆させたのだろうと彼は考えている。

太古のこの円盤のすべては今日我々が物理的方法とみなすような手段で推進されたものではない。空中浮揚の能力があったといわれるアビラの聖テレサをとりあげたレスリーは、彼女は驚くべき豊富なパワー、音響のコントロールなどをマスターして、それによりある種の波動を生じ、肉体や建物の石などを浮揚させたと思われると述べている。かりに適当なピッチの楽音が鏡を破壊し得るものとすれは、「もし音響が完全に理解されれば……それは浮揚効果を生じさせる電磁力と一体化するかもしれない、ということが考えられないだろうか」とも言う。先史時代の空飛ぶ円盤は文字どおり歌とともに飛んだ″のであり、現代の円盤も宇宙のエネルギーを取り出すのに同じような秘法を応用しているのではないかとレスリーはほのめかしている。伝説上の魔法使いが用いる神秘的な呪文や開け、ゴマ!″は、山を動かしたり大ピラミッドを建造したりした半分記憶されている音響″なのかもしれないという。

このことは大ピラミッドの15トンにも及ぶ磨かれた石が持ち上げられて、現代に見られるような機械を使用しないで信じられないほど正確に積み重ねた方法を説明しているのかもしれない。現代の機械を使用しても不可能だろう。

宇宙の偉大な自然エネルギー源が太古の人間によって開発できたとすれは、なぜ同じ事が今日やれないのだろう? 超自然と呼ばれる領域が、いつか科学の大いなる未開拓分野になろうという多くのオカルティストの見解をレスリーは取り入れているけれども、障壁にさからった方向へ導いている既成の方法を科学者が捨てるのは困難である。一例としてレスリーほ電気をあげて、その実体が何であるかを指摘し、自分のテレビ受像機を実際に作動させているものは何であるかを説明できた科学者ほまだいないと述べている。しかも彼らは配線を流れる電気を制御する回路作りの専門家なのだ。技術者は方法″については多くを語れるが、理由″の理解はまだ縁遠いと、レスリーは考えるのである。

しかし自己の環境と無限の可能性に対する人間の理解は拡がりつつある。馬を捨てて、すさまじいスピードで進行する汽車に乗れば人体は分解すると信じられた時代があった。その後、音速を超えれば飛行機は分解すると考えられたが、これも突破された。現在、光速は超えられないとみなされているのだが−。

ジョージ・アダムスキーとは

さて、世俗的な限界のある地平線から解放された科学的な空想を身につけて、読者を書物(空飛ぶ円盤は着陸した)の第二部に案内することにしよう。

アダムスキーは、標高3000フィートのパロマー・ガーデンズに住んでいた。ここは200インチ望遠鏡のあるパロマ一山の斜面である。自分を哲学者、学徒、教師、円盤研究家″と述べた彼は、その天文台の職員と関係はないと指摘している(訳注:これは誤りで、彼は職員ではないが、そこの職員の幾人かと親しくしている″と言ったのである)。正規の職業は述べられていないが、アダムスキーはパロマー・ガーデンズのレストランと関係があった。ただしその所有者ではない。また大学卒業者でもないと言っている。

アダムスキーは1946年の10月に初めて円盤に関心を持つようになった。流星雨の際中に彼は巨大な飛行船に似た物体を見たのである。それはまもなく上方に向いて、すさまじい炎を残して急速に上昇した。そのときは、それについてほとんど考えなかったが、1947年にケネス・アーノルドが円盤を見て以来、世に広がった円盤の話により、空を観測するようになった。2台の望遠鏡を使用して、アダムスキーは円盤の写真を数百枚撮影できたというが、ただし、うまく撮れた写真は少数だという。なぜそんなに多くの円盤を見たのかと不思議がる人々の問いに答えて、だれでも空中を観察する習慣を身につければ、円盤を見ることができると述べている。「この宇宙船はそこに存在するのであり、いつでも屋外にいるときに見上げる人に見られるのである」

大気圏外から来た人間

アダムスキーが円盤を近接目撃し、金星から来た長髪の男と話したのは、1952年11月20日、午後12時半頃である。近くの砂漠に円盤(複数)がよく着陸していたと聞いたことがある彼は、-これはたぶん乗員とコンタクトしたと称する人々から聞いたのだろう-、自分の運だめしをやることにした。4名の友人、秘書、レストランの経営者らと共に、彼は早朝出発した。このグループはアリゾナ州ウインスロウのA・C・ベイリー夫妻、パロマー・ガーデンズの所有者でレストランの経営者アリス・K・ウェルズ夫人、アリゾナ州プレスコットのジョージ・H・ウィリアムソン博士夫妻、秘書のルーシー・マクギニス夫人から成っていた。アダムスキーは主として予感によってコンタクトの場所をきめた。そこはデザート・センターからアリゾナ州パーカー寄りの約10マイルの砂漠上である。彼はかねてから予感またはフィーリングに従う習慣を発達させていたのだ。昼食をとるために停車した一行は付近を旋回する飛行機に気づいたが、続いて巨大な葉巻型宇宙船を見た。新たな予感に従ってアダムスキーは、自分がハイウェーから約半マイル離れた地点へ行っているあいだ、待っていてくれと一同に話した。宇宙船はその位置までの距離の一部をアダムスキーが車で行くにつれて、ついて来るように思われたが、車が停まると宇宙船も停止した。

アダムスキーは二つの山のあいだの凸んだ空間に浮かんでいる小型円盤を発見して、急いでその方へ望遠鏡を向けて写真を撮影した。すると円盤は見えなくなった。しかし、そのあとまもなく彼は自分を手招きしている人物に気づいた。近寄って見ると、それは円盤から出て来た人であることがわかった。

その男は長髪で、きれいな顔をし、風変わりな上下続きの服を着ていたが、それには縫い目がないようだった。スキーズボンに似たズボンほだぶだぶで、とめバンドで締めたかのようにくるぶしの所で締まっていた。腕の部分も手首まであり、腰のまわりにはバンドを着けていた。年齢は28歳ぐらいで、体重は135ポンド、5フィート6インチ (約百165センチ)と思われた。

相手は友好的で微笑している。アダムスキーは急いで相手との意志伝達を試みた。相手はやや中国語に似た奇妙な言葉で話し、英語を理解しなかった (訳注:正確にはかつて地球上で話された古代語の一つであったと思われるような言語と中国語との混合のように響いた″)。アダムスキーは手まねとメンタル・テレパシーによって相手に話すことができたと述べている。

相手は金星からやって来た。ただし円盤は太陽系内外の多くの惑星から来るという。相手によれば我々の太陽系のあらゆる惑星には人間が住むということで、相手の任務は原爆によって起こる放射能を調査することにあるらしい。地球に対する核爆発の危険をあらわすため、訪問者は地面を指さして「ボーン!ボーン!」と言った。相手は神を信じていた。ただしこれは、相手の惑星の人々は唯物的な地球上で地球人が信じている神よりも、創造主の法則を重んじているのだということをアダムスキーに信じさせた。肉体的には宇宙のあらゆる人間はみな同じような姿をしているのだと訪問者は言った。

奇妙な足跡

金星人は写真に撮られることを拒否したので、アダムスキーはしつこく要求しなかった。ただし相手は撮影済のネガ乾板の一枚を貸してくれと頼み、あとで返すと約束した。近くにいた円盤に乗せてもらいたいというアダムスキーの願いを拒絶した相手は、インタビューを終えて円盤に乗り込み、飛び去った。23日後に円盤はパロマー・ガーデンズの上空低く飛来し、例のネガホルダーを地上へ投下した。現像してみると、奇妙な筆跡が現れた。これは同書に掲載してある。

また訪問者は砂漠の現場に足跡を残した。これは石膏にとられたが、それにはシンボリックなマーク類が現れている。世男中の専門家がそのメッセージを解読しようと試みて、多数の解読″が書物頬に発表された。

砂漠で撮った写真ほどうやら円盤の放射線でだめになったが、再度パロマー・ガーデンズへ来た円盤の写真類はすばらしいものである。それらには円盤が大きく鮮明に写っており、球型の着陸装置が見えている。これも同書に載せてある。

UFO問題は混乱している

以上、私は文字どおりに同書を要約した。これは同書のその部分を立証したり反証したりする機会がほとんどなかったからである。レスリーの古代円盤に関する諸説は、昔の写本類と関連があり、正当なやり方による解釈を導入している。ここでは古文書の問題に立ち入らないことにしよう。というのは現在のUFO問題は混乱しきっており、関係ある各種の学問について、はなはだしく無知な我々は、お手上げの状態にあるからだ。たとえレスリーの諸説が信用できないものであるにしても、とにかくべらぼうに面白いので、それを攻撃したくはない。

アダムスキーの話を切り離してみてもこれも全く攻撃は不可能であると思う。

たしかにアダムスキーには目撃証人があったが、彼らは半マイル離れていた。その一人はムービーカメラを持っておりアダムスキーは葉巻型母船を撮影しなかったことについて、うまい弁明をしている。母船が停止していたあいだ、そのカメラを持っていた婦人は興奮しすぎて、カメラを調整できなかった。うまくいった頃には母船は移動していたという。

アダムスキーはコンタクトの光景をだれかがムービーに撮ったかどうかについて言及していないが、たぶん遠すぎたのだろう。目撃者の一人は双眼鏡で状況を観察して、訪問者のスケッチを描くことができた。

善良な宇宙人の出現が意味するもの

私が初めてこのスリルに満ちた物語を読んだとき、アダムスキーの叙述には一貫して正直さがあるという印象を得た。そして彼が真実を語っていることをほとんど疑うわけにはゆかなかった。

しかしこの物語はあまりにもファンタスティックなので信じられなかったのである。私は自分を満足させるような解釈を見い出そうとした。おそらく一機の円盤と異星人がいたのだろうが、もし別な目撃者の考え方で見られたとすれば、このような刺激的な光景の解釈は、かなり異なるものとなったことだろう。その体験の宗教的な調子は、アダムスキーの次の言葉で裏付けられている。

「しかしその特権に対する言い知れぬ喜びがあったし、今もあるのだ。私は地球とは別な世男から来た友を一眼見ることが許された。…‥しかもその一人と話し合ったというこの恍惚感」

これは明らかに、宗教的な著述をした人々にしばしば起こったと思われるのと同じ崇拝の体験である。

とにかく、我々が使用するような言語による意志伝達は行われなかった。会話は手まねとテレパシーで行われたが、このいずれにも解釈に誤りが起こる可能性がある。そして我々は、円盤はだれにでも手に入るもの″になりかかったとの考えを強めたのである。

宇宙人は、地球人が「彼らはこのように振る舞うだろうと」考えるような振る舞い方をするだろうか。悪魔のような地球人が小人を見れば、相手はツノを生やしているように見えるだろう。

したがって、この推理によれは、訪問者が態度や話し方において親切で善良であり、キリストのようであったということは、アダムスキーの信用にとって、きわめて有利だった。

事実かフィクションか

もし私の推論がスジの立ったものであれは、砂漠でアダムスキーの見たものが何であれ、また発生した事件をいかに正確に彼が報告したかは別として、彼はたしかに慈悲と優しさに満ちた魂の持ち主であったということになる。なぜなら、彼は円盤から人類に伝えられた善″のみを見たからである。これはおそらく彼自身の願いと理想の反映なのであろう。

以上が、私がいまだに世界最大の円盤物語″と考えている書物を初めて読んだときの印象であった。

事実か? フィクションか? 多数の円盤研究家は、このどちらかをすぐに答えるだろう。だが私にとってはそんなに単純なものではない。もしジョージ・アダムスキーが真実を語ったとすれは、それは空飛ぶ円盤は着陸した″ の中に書かれた体験に関するものであると我々は個人的に考えている。同書に掲載された写真頼も真実のものであると我々は信じている。

もっと事実を知らせよという大衆の要望に鼓舞され、ベストセラーになった同書から得た知名度に刺激されて、アダムスキーは2度目の書物宇宙船の内部″に書いたような事件をでっちあげたのだろうか? 同書でアダムスキーは宇宙船に乗ったと称し、その記述ほ更に作為的になった。この書に掲載されている写真類は、きわめて疑わしいものであった。

人間はフィクションを重ねやすい

我々は宇宙人とコンタクトしたと称する人、霊媒、ポルタガイストなどに等しくあてはまる持論を持っている。気味悪く、ファンタスティックなものであっても、真実な事柄が個人に発生すれば、本人はそれを世間に発表する。人々はその話を聞こうとして遠方から来訪し、更に詳しく聞こうとする。霊媒は途方もない幽霊物質化交霊会を開くが、意のままに霊魂を出現させることはできない。ポルタガイストは家中に物を投げ始め、人々はその噂を聞いて、見にやって来る。

円盤のコンタクティー″は、大衆を失望させないようにと考えて、更に事件をでっちあげるかもしれない。必ずしも幽霊の現象化を生じさせ得るとは限らない霊媒は(トリック用に)締布を買う。いたずら好きな霊魂が花ビンなどを投げたりする家の子供たちは、自分が最初に無意識に起こした現象を繰り返そうと考える。そこで子供は何かを投げて暴露される。「インチキだ!」と大衆は叫ぶ。

アダムスキーは人を魅了した

ジョージ・アダムスキーはNICAP(空中現象調査委員会) の会員資格から除外されている。ドナルド・E・キーホーの率いるこの団体は、明らかにアダムスキーの物語を取り入れることを恐れており、第一書に帯びていた真実の響きを第二書が持たないというのを弁解のたねにしている。

多くの人はジョージ・アダムスキーを信じなくなった。彼らはアダムスキーを狂人と呼び、別な霊媒の所へ走ったり、新たに出現するポルタガイストを見に行ったりする。そしてたぶん宇宙人は-もし実在するならば-満足して笑っているかもしれない。たぶん彼らは地球人に円盤の存在を気付かせようとしたのだろうが、あまり気付かせすぎないようにもしたのだろう。彼らは、発生しようとしている現象に対して、大衆をおだやかに″準備させようとしたのだろう。

一万、多くの客観的″な科学的″円盤研究家は、アダムスキーはインチキをやっていたと声を大にして非難したけれども、動かぬ証拠を突きつけられると個人的にアダムスキーを罵倒できなかった。なぜならジョージはどこへ行っても自分を非難する人を魅了したからである。敵がいかに辛辣であろうとも彼は快活な態度を保ち、それは相手の否定的な言動を制した。おそらくこのことは敵が決して彼に抵抗できなかった一つの理由であろう!

私は多くの機会にアダムスキーと文通したので、彼をかなりよく知っていると思っていた。そして、ぜひとも個人的に会いたいと切望した。そして長く待ったが1965年4月23日の夕方、メリーランド州シルバースプリングズで心臓病のためにジョージは逝ったのである。

アダムスキーが果たした役割

1966年の焼けつくような夏のある日、7月15日に、私は自分が働いている会社の経営者や夫人とともにアーリントン墓地(ワシントン市)ヘドライブした。リー・マンションとケネディ一大統領の墓を見学するために彼女を案内したのである。

そこへ着いてから私ほアダムスキーがそこに埋葬されていることを思い出して墓地の管理事務所へ行って尋ねた。地図をもらったが、それには彼の墓の番号と位置がはっきりと記してあった。同行した社長と夫人はジョージ・アダムスキーがだれであるかを全く知らなかったし、私が説明しようとしたのに、墓を探している理由も知らなかった。私の親類の墓でも探していると思ったのだろう。

アダムスキーの墓を見つけて、私は碑銘を読みながら立っていた。雲が熱い太陽を覆い、一瞬、涼しくなった。急に私は博物館見学や観光の長い一日の緊張から、体がくつろぐのを覚えた。写真を撮ってくれと社長夫人に頼んで、墓石のそばに立った。

そのとき一台の車が、近くのハイウェーにとめてあった私たちの車の後ろに近づいて、若い男女が出て来た。微笑しながら2人はこちらへ近寄った。彼らもジョージの墓を探していたのだ。

彼らは墓参のためにカナダから来たのである。私の墓参はあとからの思いつきだと考えて少々恥ずかしくなってきた。

「私たちはアダムスキーの書物を非常に興味深く読みました。それで彼が眠っている場所を見学したくてしょうがなかったのです」と婦人が言った。彼らは近くのアレキサンドリアの友人の地所から野花をつみ取って、婦人がそれで花輪を作っており、彼女はそれを墓にかけた。

微風が吹いて、美しい花が揺れる。この花も、おそらく数日前に未知の人がジョージの墓に供えた他の花と同様に、まもなくしぼんで枯れるのだろう。

しかし、事実かフィクションかは別として、ジョージ・アダムスキーの物語は永久に滅びないだろう。

それは私と同様に他の人々をも興奮させ、何かを考えさせるだろう。そして最後には疑惑を起こすかもしれないが、一方、人々は宇宙の謎と、この惑星地球における人間の役割について、深く探求するようになるだろう。

彼らが心からジョージ・アダムスキーを信じょうと信じまいと、彼らの探求によって多くの悪魔を一掃したのだ。それは黒衣の三人男が潜む暗黒の場所に光を投げかけたのだ。

恐怖、抑圧、迷信などに満ちた忌まわしい暗黒の世界は、やや押し返された。人々は微笑し、同じ探求の道を歩んできた仲間のと友情を愉しんだ。

人々はもう宇宙人″なるものを全く信じなかった。なぜなら自分月身が宇宙の子であることをついに認識したからである。そして彼らは時折ジョージ・アダムスキーの墓を訪れるだろう。一偉人が彼らに偉大な真理を伝えたことを全然知らないで。

彼らは二千年前に別な人が全く同じようにして真理を伝えたことにも気付かないだろう。 (終)

編集付記<久保田八郎>

筆者グレイ・パーカー氏は「黒衣の三人男」を書いた人として著名である。つまりUFO問題が一般化するのを阻止しようと暗躍する謎のグループの活動を措いたものである。パーカー氏による本記事の内容には納得しがたい部分があるけれども、一応参考のために掲載した。原文はきわめて用心深い、かつ抽象的な記述であり、パーカー氏の真意は汲み取りがたい。

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