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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
  アダムスキーの写真は本物である  第2話

GAP NewsletterNo.61 より転載

 ティモシー・グリーン・ベクレー記

■ アダムスキー撮影のUFO写真について

1枚の写真には千語ほどの価値があ るといわれている。だがたしかにアダムスキーの場合、彼の写真類は一万語ほどの価値がある。彼の三著書に光彩を添えているこれらの写真は、長年月の試練に耐えたし、たしかに科学的にも反論できないものであった。

▲ロドファー夫人が撮影した8ミリフィルムの1コマ。
▲ロドファー夫人が撮影した8ミリフィルムの1コマ。

しかしまだ広く公開されていないアダムスキー氏撮影のカラー実写映画は、もっとセンセーショナルなものだろう。アダムスキーの親しい知人であったワシントン市のマデリン・ロドファー夫人は、自宅の裏庭で撮った8〜9分間のフィルムを所有しているが、この映画は2本の木の間に停止している円盤の着陸装置をはっきりと示している。この球型装置は円盤が一方へ少し傾くときに見える。ロドファー夫人の家でこの映画を見たキャンザス州トピーカのハリー・M・フリーノーという人は2本の木の間へ出て、円盤の直径が少なくとも22メートルはあったらしいことを発見した。また彼がその映画を見たとき、"この世の物ではないような"不気味な感じがしたと言っている。

■ 味方が一人はいる

アダムスキーの写真類はヒナ囲いとピンポン球を接着剤でくっつけたのだと言うのは最も容易なことである。しかしこうした写真が容易に偽造できるとしても、これはアダムスキーの写真にはあてはまらない。実際、彼のいわゆる土星その他の天体へ行ったという話は無視できるとしても、そして少し想像力を働かせて彼の最初の砂漠のコンタクトすら無視できるとしても、彼のスチル写真や映画に対するすぐれた釈明を見い出せるのである。たしかに小さな模型を写した写真というものは、素人でも容易に見破ることは可能である。

おそらくアダムスキーは自分の体験のすべてを洩らしたのではないだろうし、あるいは体験にかなりのフィクションをつけ加えて話をポカしたのかもしれないが、それでも彼の体験記のどこかに光り輝く一条の"真実"がひそんでいると私は確信する。

彼が自分の主張する出来事のすべてを実際に体験したか(または政府やサイレンス・グループの手先であったか)の充分な解明は不可能だろう。しかし彼の写真類はおそらく今日までに撮られたUFO写真のなかで最高のものだろう。少なくとも私の心の中には、この事件の完全な再調査結果が整理されている。そして我々が彼の写真の秘密を発見し得るまでは、ジョージ・アダムスキーに"対抗する" のではなく、"味方をして"いる人間がここに一人は存在するのである。

■ ジェロルド・E・ベーカーの証言

アダムスキーはパロマー・ガーデンズで円盤を撮影したばかりではなく、若い助手であったジュロルドーE・ベーカーも、少なくとも1枚の写真を撮った。

1952年12月13日付の次の証言は、アダムスキーが撮影した円盤がたしかにパロマー上空に出現したという直接の傍証である。 (訳注=これは退役軍曹ベーカー氏による未公開の貴重な文献である)


関係者各位

私は米空軍で教官として勤務しておりましたあいだ、ジョージ・アダムスキー教授及び、UFOの実在を証明する方向にむかって教授が達成していた仕事について知ったことはまことに幸運でした。

1952年10月29日に空軍を除隊した後、私はカリフォルニアへ来て、教授の仕事の援助を始めました。

先週はきわめて注目すべき遇でした。 というのは、円盤の出現が確実に増加したからです。先週の中頃、我々2人(ベーカー氏とアダムスキー)で朝、円盤を観測しようではないかと提案し、2個所でそれぞれ待機しようと話しました。教授は望遠鏡とカメラを用意し、私はブローニーカメラを準備しようというわけです。私が軍務に服していたことから、写真を撮るのはきわめて重大なことであるのを知っていましたし、また木曜日と金曜日は軍用機が低空で飛び回って、UFOを探索するかのようにその地域を旋回することにも注意していました。

土曜日の朝、暖炉にくべる薪を切っていたとき、教授が私を呼んで、沿岸の方からやって来る1機の円盤らしい物を見たと言うのです。私は丘の水ポンプの所まで駆け登り、大きな木のそはに立ちました。そこからは沿岸一帯をよく見渡せるのですが、円盤は見えません。私は特にほぼ真北にあたる山上高く立っているマイクロウエーブ塔の方を見ました。その前夜、私と一緒にいた少年に、その方向に滞空している円盤を指摘してやったからです。約10分間、見つめて待機しましたが、何も起こりません。

突然、視野の片隅に、教授がいた場所の方向から円形の物体が樹木の頂上すれすれに飛ぶのが見えました。たしかに円盤です。あまりに低く飛ぶので、その狭い開拓地に着陸するのではないかと思ったほどです。私は一瞬待ちました。

こちらへ次第に接近するにつれてショックを感じたからです。すると円盤は私が立っていた所から約7.5メートルの位置で高さはせいぜい3.6メートルぐらいの空中に停止しました。私が写真を撮ろうとしてそこで待ち構えているのを知っていたかのように停止したのです。

急いで写真を1枚振りましたら、円盤は少し傾いて、想像を絶するスピードで上方へ急上昇しました。もう1枚撮ろうと思って樹木のかげから走り出たのですが、パロマ一山の方へ飛んで行く小さな物体が見えただけで、やがて完全に視界から消え去りました。

振り返って見ると、教授が広場の反対側のヤプの中から出て来るところで、私は自分の幸運に非常に興奮して、こおどりしました。円盤が超低空だったので、教授が望遠鏡を用いて写真が撮れたとは夢想もしなかったのですが、4枚撮ることに成功したと私に話してくれたので、我々はすぐにカールズバッドへ行くべきだとしきりにすすめたところ、教授は同意し、私はフィルムの残りを撮影済の側へ巻き込みました。 (訳注=カールズバッドはパロマー・ガーデンズから60キロ離れた町で、ここに住む営業写真家D・J・デトワイラー氏がアダムスキーUFO写真類の現像焼付を一手に引き受けていた)。

物事があまりに急速に発生したので、私はまさに円盤に接近していたのですが、写真を撮ったという興奮のあまり、円盤に接近する機会があったら、あの部分を見てやろう、この部分を知ってやろう、というような考えは吹き飛んでしまいました。円盤が私の視界に2分間以上も存在していたとは信じられないはどです。

ただし次の事実を私は確実に知っています。

l、円盤は音を出さなかった。
2、それはすぐれた知性に操られていた。
3、円盤が上方へ加速したとき、かすかなニオイがした。
4、丸窓(複数)と、着陸装置と思われる3個の大きな球が付属していた。

ジェロルド・E・ベーカー

(終わり)

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