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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 アダムスキー問題の本質 久保田八郎

'80年日本GAP総会での講演 NewsLetter No.72 1981 より

本日は多数ご来場いただきまして有難うございました。平素は多大なご支援にあずかりまして厚く御礼を申し上げる次第でございます。おかげさまで本日、日本GAPの創立二十周年記念の総会をここで盛大に開催できまして、心から嬉しく思いますとともに、厚く感謝する次第でございます。
注:日本GAPは1999年末にて解散。

大国政府の隠蔽策

ご存知のように私はずい分長いあいだアダムスキー問題の研究を行ってまいりまして、その間さまざまな出来事もありましたし、また世界の大勢もだいぶ変わってまいりましたのですが、アダムスキーに関する限り、あまりにも深遠な哲学と、それから、スケールの雄大な宇宙的な記述にますます瞠目するばかりでしてこれでは世人の関心の的にならないのも無理はないわいと、こう思う次第であります。

▲自宅書斎にて。1992年前後。
▲自宅書斎にて。1992年前後。

現在この太陽系の地球以外の惑星には人間はいないという考えが一般ではまだ圧倒的に強いのですけれども、これはニューズレター71号の巻頭言に書きましたように ― あの巻頭言はいつも私が書いているんですが ― 、大国政府は真相を隠したがりますので、実際にはすごい事実が判明しておるにもかかわらず、全く逆な事を公表して大衆を盲目にしておくという一種の欺瞞策が講じられていると考えられるわけです。しかも世界の現状を見渡しますと、かえってそのほうが腎明ではないかという気がいたします。

もしアメリカなりソ連なりが別な惑星の人類の存在説を唱えようものならば、これはもう大騒ぎになるでしょう。なぜなら人間は未知の物事に対して恐怖心を起こしやすいからです。

1937年と申しますと私が小学校のたしか6年生の頃だったと思いますが、アメリカでオーソン・ウェルズという空想科学ドラマの演出家が「宇宙戦争」という題のドラマをラジオで放送したんです。そして蛸のような姿をした火星人が地球へ来襲してきたというような架空の物語を流したのですが、これを聴きました一般市民が本物のニュースと勘違いし、大混乱が発生して避難騒ぎや、ついには発狂者まで出たというようなことがあったんです。

これからみましても人間のマインド(心)というものがいかにいい加減なものであるかということがわかると思います。

あれから43年しか経過していません。43年間のことは大体、私、世の中に何があったかを知っておりますが、地球人の精神の状態は全く進歩していないと思います。ですから別な惑星の人類の存在について米ソあたりが声明を発表した場合、どえらい混乱が発生することは眼に見えてわかっておりますね。したがって米ソとしてはまだ真相を隠蔽しておくほうが良策だといえるでしょう。

これは個人でもプライべートな問題をそうだれしもやたらと話しはしないもんでして、率直に申しますと、私もアダムスキー問題のすべてを皆様方に完全にしゃべってしまったということじゃないんでして、実はまだ隠していることが沢山あるんです。そこで、それなら今夜のパーティーで、久保田にうんと飲ませて酔っぱらわせて、しゃべらせてやろうということになるかもしれませんが、それはだめなんです。私は今夜はビールをコップに三杯しか飲みませんからね(一同笑)。ま、これは冗談です。今日は二十周年記念の盛大なパーティーですから、大いに飲ませていただきまして ― 飲めない酒をですね(一同笑) ― 、そして皆様方と一夜愉快にすごしたいと思いますので、その点はよろしくおつきあいのほどをお願いします。 

極移動(ポール・シフト)が起こっている?

さて、アダムスキーの宇宙的な体験は有名な二種類の書物でむかし公表されました。これは原題を直訳しますと「空飛ぶ円盤は着陸した」というのが一つで、これはいわゆる「実見記」といわれているものです。それから「宇宙船の内部」という題の書物として後に出たのが一つ。これはいわゆる「同乗記」といわれているものです。これらは現在読んでみましても、全く驚異的な内容なんですけれども、そのなかで見逃し得ない重大な情報が、さりげなく洩らされているんです。さりげなく、ですね。

この二つの書物を合わせたものは「宇宙からの訪問者」という題で、まだユニバース出版社から出ていると思いますが、その第二部の「宇宙船の内部」の276頁にオーソン氏の言葉としてこういうことが述べられています。

「地球の傾きがいまでも次第に起こっているということを知れば、あなたの関心をひき起こすかもしれません。これはいつでも起こりうることなのですが、もし地球がそのサイクルを終えようとして、完全に傾くならば、いま海底にある土地の多くは隆起するでしょう」

そこでアダムスキーが大いに驚いたとみえまして、「たしかに激烈な傾きは地球上に大変動をもたらすんでしょうね?」と尋ねましたところ「必ず起こります」と、相手は答えた、とあります。

これは非常に重大な個所なんですが、このことは地軸つまり地球の自転軸の傾きを意味しています。

地球というのはご存知のように球体です。丸いイモの真ん中にクシを一本突き刺して、それを中心にぐるぐるコマのように回っているわけでして、そして自転しながら更に太陽のまわりを公転しているわけですが、この体験記が発表されました昭和30年の初期の頃は、地軸 ― 地球の自転軸を地軸といいますが ― の傾きというような説は一般世間では全く相手にされないで、当時、この問題を科学者(複数)が笑いとばしていたのを私は覚えております。

ところがですね、この地軸の傾きというのはまぎれもない事実であって、確実に、わずかながらも少しずつ発生しておりまして、そのために世界に異常気象が発生しているとか、その他異常現象が発生しているのであるという説を明確に打ち出した研究者(複数)が、すでに現れているんです。

聞くところによりますと、日本のあるトップクラスの大学の学者がひそかにこれを研究しているそうです。アメリカのジョン・ホワイトという人もその一人でして、その研究家の書いた「ポール・シフト」と題する論説が、最近「地球の最期を予測する」という題で日本語訳が出ました。三笠書房という出版社から出たんです。もうすでにご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、Pole Shift(極の移動)ですね。極といいますのは北極南極のあの極、シフトは移動ですから、「極の移動」です。

これによりますと、七名ほどのポール・シフトの大研究家がすでに出ておりまして、その各研究家の論説をその書物に掲げた上で、結論として、遠からずこのポール・シフトが発生して、地球上にカタスーロフィー、つまり大破局をもたらすだろうと、こういうふうに示唆しているんです。いい本が出たもんですね。本当に素晴らしい本です。

この書物は科学的に書かれた、なかなか興味深い内容です。過去にシベリアで冷凍状態で発見されたマンモスですね ― 象をもっと大きくしたような巨大な動物ですが ― そのマンモスの遺体が直立した姿勢で発見されました。

なにかの病気で死んでから冷凍状態になったのなら横倒しになっているはずですが、みなそうじゃないんです。直立して立ち上がったままの状態で発見されているんです。

これはある日突然に、アッというまに大変動が発生して、マンモスが生きたまま氷漬けにされたんじゃないかという推測から、これが極移動によるものではないかという研究が発展してきたらしいんです。

あるいは古代の失われた大陸の例のムーとかアトランティスですね、こういうのも、本当は極移動による沈没ではなかったかというふうなことが述べてありまじて、今世紀末の、1999年の8月か10月でしたか、大変な事が起こるというのは、あれは本当は極移動のことを言っているんじゃないかという推論まで出ております。

そういうようないわゆる予言ですが、予言というものは全然無視できないものもありまして、たとえば先程申しましたように、「宇宙船の内部」でオーソソ氏でしたか、地球の聖書には未来に関する予言が沢山あるのだけれども、地球人はそれに全然眼を向けない、なぜもっとそういうことを調べないのかというようなことを言っております。

だから、聖書中の予言というのはどういうものか私はよく知りませんが、相当に多くの予言が含まれているようですから、これもまあ、無視できないものがあるでしょう。

で、その「地球の最期を予測する」という書物の中には、イマニエル・ヴェリコフスキーという有名な研究者が昔いたんですが、金星が地球に異常接近してきたために、過去に極異動が起こったことがあるという、ちょっと納得しがたいような説ですけれども、そういうことが述べてあります。

とにかく現在、地球全体に頻発しております大地震ですが、昨日もカリフォルニアの北部でマグニチュード6.いくらでしたか大地震があったと今朝の新聞に出ていましたが、そういう地震とかあるいは異常気象は、この極移動の前兆でほないかというふうに言っているんです。 

これは大体にアダムスキーの「宇宙船の内部」でアダムスキーが聞いた話とある程度一致するわけです。その他、ガスベルト説などもあるんですが、そのガスペルトというものがあるとすれば、それはやはり極移動に関連してそれが爆発するとかなんとかが起こるんじゃないかとも考えられます。

科学者のなかには、世界的な異常気象はアメリカのセントヘンレンズ山の大爆発による噴煙が原因じゃないかという学者まであります。そこまでは素人考えでもちょっと考えられないんですが、しかしそういうふうに、異常気象というものが大変な関心の的になっているということは間違いないんです。なぜかといいますと、この異常気象によって、世界的に農作物が大変な被害を受けているわけで、たとえば、ソ連は穀物が不足して深刻な状態になっているということが最近も新聞に出ておりましたね。

しかも世界の人口は増加する一方ですから、こうなれば当然、食糧の奪い合いになりますし、奪い合いということになれば、恐るべき大戦争が発生するであろうし、そして大惨事に至るだろうということは、充分考えられるわけです。

大戦争が発生するか?

このようなカタスト口フィー(大破局)を避けるにはどうすればよいかということなんですが、地球のひっくり返りは逃れられないとしましても、これを事前に観測して、世界中が一致協力して観測網をしいて、早くからそれを知らせ合えばよいというわけですから、世界連邦みたいなものをつくって、各国が仲良く観測網をしけばいいんじゃないかというようなことが、その書物の中に出ていますが、ま、それは、そう簡単にはゆかないでしょう。アダムスキーの

「宇宙船の内部」のアダムスキーとオーソソ氏との極移動に関する会話の部分でも、オーソソ氏が次のように話しておられます。

「もし人間が大変動を起こさないようにしようと思えば、他人を自分自身とみなし、他人を自分の反映と考える必要があります。」

この哲学的な意味は、私にも正直なところ、あまりよくわかりませんが、察するにこれは人間が互いに反目し合うことなく、調和して生きなさいという意味でありましょうから、そうすれば戦争も避けられますし、核爆発による極移動のごとき大変動も起こさずにすむということになるわけです。

ちなみに、突然の極移動は、核爆弾の大爆発などが引き金になるともいわれておりますから、そのような巨大な爆発を起こすような戦争は、まずやらないほうがよいということになります。

ところが、最近の情勢から判断してみますと、どうも第三次大戦が切迫しているんじゃないか、というふうに考えられるんです。これは単なる推測にすぎませんが ― 推測なるがゆえに間違っていればいいんですがね。戦争などはだれもが望みませんから、むしろ、この推測は間違っているほうがいいんですが ― 、どう考えても世界の状況は、戦争から遠ざかるどころか、ますます戦争のほうに接近しているというふうに考えられるんです。

この考えは私の考えですが、これは最近、アメリカの大統領が交替したから、急にそういう考えが起こったということじゃないんです。ずっと以前から私が一種のフィーリングとして感じていたんです。そうしましたら、アメリカのタカ派の大統領になったもんですから、こりゃますます危いわいと思うようになったんです。

ただし恐怖心を植えつけるためにこんな話をするんじゃないのでして、こういうときにどうすればよいかということをこれからお話しするわけですから、ひとつ安心してお聴き頂きたいと思います。

こういう場合に「仕方がないんだ」と言って手をこまぬいて戦争屋の仕業を傍観しているだけだったら、これはもうみんなが地獄の火の中に投げ込まれるだけですから、なんとかしなくちゃいけないですね。 

どうすれば救われるか

どうすれば大災害から逃れられるか、ということですが、ここにアダムスキーの偉大な宇宙哲学の存在価値というものがあるんです。「宇宙からの訪問者」の174頁の最後の所に、プァーコンと名付けられたスぺース・ピープルの1人が、こういうことを言っております。

「人間は生き方を変えようとしない限り救われるものではないのです」と。これは素晴らしい言葉です!

「無限なる者の法則をまじめに追求しようとする地球の少数の人々は、他人を導くように努力する必要があります」

このあとが問題です。

「そうすれば他の世界の私たちもその人々を助けるつもりです」と、こう言っています。

要するに他人を助けようとする人は、ある人々によって助けられるということなんです。もうすでに助けられている人もあると思いますよ。何人かの人は ― 。

じゃ「生き方を変える」とはどういうことかということですが、これはもうアダムスキーの哲学書の「生命の科学」や「テレパシー」などに、イヤというほど書いてありますから、それをごらんになればよろしいわけです。その「テレバレー」の49頁にあります一部分ですが、これがまず最高次の法則ではないかと思うんです。こうなっているんです。

「他の惑星に住む進化した人類は、自分の前に他人が立つ場合、自分が「生ける神」の面前にいるのだというふうに意識しているのです」

これはもう宇宙的な生き方の最高の法則でしようね。こういうふうな意識をもって生きる人は、必ず救われるのであって、披滅することは決してないでしょう。

ここで救われるというのは必ずしも肉体的な救済ばかりではなく、肉体は失っても転生、つまり生まれかわりによって更に高次な惑星へ移動することも意味するわけです。

だから救われるというのは、肉体を持ったままで、どこか安全な場所へ行けるということもあるかもしれませんが、そればかりじゃなくて、安全な場所へ行っても食べる物もない、人間が人間を殺し合うような飢餓地獄の状態になった所で生き延びてもしょうがないですから、その場合はあっさり波に巻かれて肉体は元へ戻して、そして自分の実体だけを、もっと良き惑星に移動させて転生して、素晴らしい家庭に生まれ変わるほうがはるかに良いかもしれません。これもー種の救いだと言えます。

いま「神」という言葉がありましたがこれは宗教的な響きを帯びていますけれども、私たちの哲学は宗教ではありませんのでして、また特定な神とかあるいは守護霊というようなものも全然必要ないんです。

何を私たちは拠り所にすればよいかといいますと、自分自身の内部にある絶対的な。パワー(力)、このことは分子生物学を少しかじってみればわかるんです。そういうものが必ずあるということは ― 。 そのパワーを便宜上「神」という言葉であらわしてありますが、これはだれの内部にもありますから、私たちは、それに"気付いて" 、"それと共に生きる"というふうに決意すればよいだけのことでこれ以外に何も必要ないですね。

それで、マインド(心)は気付かなくても、そのパワーは人体その他の万物を自動的に生かしておりますが、もっとよいことは、マインドがそれに気付いて、その内部の。パワーから、いろいろな印象などをキャッチするようになれば、ここでテレパシックな能力が開発できるということになります。そして本人は安全な方向へ導かれるでしょう。

あるいは第三次大戦が仮に発生して、日本がひどい状態になりまして ― 、攻撃を受けないにしても大戦争が起こればあらゆる食料、燃料などの輸入が止まりますからね、日本は資源の輸入国ですから、直接攻撃を受けないにしても大混乱が発生するでしょう。おそらく全国のスーパーマーケットの食べ物が一日で空っぽになるというようなことが起こるかもしれません。そういうことは絶対にあり得ないとは断言できないんです。終戦直後のあの大混乱を回想してみますとね。

とにかく、そういう状態になったり、 ― あるいは大地震が起こったりしましても、「どこへ行けば安全に生き延びられるか」ということは、自分以外の他の何かが自分に伝えてくれるんじやなくて自分の中に内在する"宇宙の英知"が ― アダムスキーは"宇宙の意識"と言っていますが ― マインドにささやきかけてくれるのでありますから、そのささやきの声を聴き取るように自分の感受力を宇宙的な方向に高めるということが先決問題になってきます。

ところが、大抵の宗教とか哲学とか道徳とかは、自分以外の何かにすがれとか、あるいは祈れとか、こういうふうなことばかり言いまして、人間というものを非常に無力なものとしてしまっているのです。自分の宗教のほうへ来い、これを拝め、お賓銭を出せ、あるいはこれだけの寄付をせよ、そうすれば救われるお札をあげようというようなこともやっているところがあります。

しかし人間というのは、そうまで無力な存在ではありません。個人というのは ― 。その証拠に、全く何も信じない、精神的な、あるいは形而上的な事を全く信じない「オレにとって信じられるのは金の力と自分自身だけなんだ」というよぅなことを言うニヒリスティックな人でも、結構生きています。

これは、その人間のマインドがどの程度であるにしても、とにかく無条件に本人を生かそうとする内部のパワーが存在しているからです。だから悪党でも一応生きることはできるわけです。善人だけが健全に生きられて、悪人は生きられないというようなもんじゃないですね。メシだけ食わしておけばどんな悪人でも健康体を保って生きられるのは、やはり内部に絶対公平な宇宙の英知ともいうべきパワーがあるからでして、これに気が付かないということはないんです。

ですから人間や万物を生かす英知あるパワーは絶対的に公平です。人間を差別しない。この法則に私たちも気付いて他人を差別しないで、だれに対しても公平に援助の手を差し延べる、あるいは親切な態度で尽くすということをすれば、なんらかの方法でそれは報われる、救われる、ということになるのが宇宙の法則であって、この法則はまず絶対だと思います。

ところが人間が勝手に作り出した法則も沢山ありますので注意を要するんですが、そういうのを因習とか、伝統とかいうわけです。私たちはその因習や伝統にがんじがらめに縛られておりまして、なかなか動きがとれないですね。生活上の物事にけじめをつける必要はありますが、無意味な伝統的行事にとらわれますと、自然に即した生活ができなくなってきまして、結局、宇宙的な生き方とは縁遠くなってくるわけです。

こうした因習や伝続というものは、個人のエゴを高めるために生じるわけですから、あまりはまり込むと、結局自分がエゴの強い人間に振り回されるように低い次元に降りてしまうということになるわけです。

こういうことは私がこの前ビスタ(注:米カリフォルニア州南部の町。米GAP本部の所在地)へ研修施行に行きまして、イヤというほど教えられて「もっと自然に即したおおらかな伸びやかな生活をせよ。いったいに日本人はあまりにも格式ばり儀式ばっている」というようなことを言われまして、なるほどそうだなと思ったわけです。

この数年来、私の近親者が次々と死にまして ― 老人ばかりですが ― 、そのために田舎や地方へ行って葬式に出たり法事をやったり、私も葬式を主催したこともありますが、とにかく田舎のことですから、大変に格式ばった儀式ばったことをやるんです。それでないと済まないんです、田舎は ― 。こんなことで明け暮れていたんじゃどうしようもないと思いまして、ほうほうの体で逃げ帰ったんですが、まあ、やはりそういうような因習や伝統が非常に強いわけですね。 

以上「アダムスキー問題の本質」と題して若干述べましたが、これをもっと詳細にお話ししますと、何日あっても足りないほどの長話になりますので、大体要点だけにとどめましたけれども、もう一度繰り返しますと、自然の現象の変化が発生するに伴って食糧事情が次第に悪くなり、そのために戦争が発生するであろうということ。それから友星人がそういうことをひそかに観察しているということ。それに対処して、私たちはどういう生き方をすべきかということを、アダムスキーが声を大にして説こうとしたんだと思います。これがアダムスキー問題の本質だろうと思います。

宇宙的な生き方とは

では宇宙的な生さ方とは何かということを、もうちょっと具体的に申し土げます。

(1)因習や伝統にとらわれない、自然に即した自由な生き方をすること。ただしここで誤解が生じやすいのですが、無責任な野放図な生活ではなくて、家庭や職場において、まず責任を完遂しなくちゃいけないということです。なかなかむずかしいんですがね。

(2)生活を簡素化すること。さきほどの話の中でシンプリシティーという言葉が出ましたが、あれが簡素化です。具体的に言えば、身辺にあまりに多くの生活用品やレジャー用の道具などをごたごたおかないことです。そういうものの中に埋もれていますと、そういう物から発する汲動によって自分が、がんじがらめに縛られてしまって容易に抜け出せなくなります。ですから、いつでもどこへでも移動できるような身軽な環境にしておくことが大切だと思います。これは実際に何か大変動が起こった場合に、すぐよそへ移動できる良さもありますが、ふだんからあまりごたごたしたモノ(物質)にとらわれないというような簡素な生活です(注:これは人間そのものの飾らない簡素化をも意味する)。

(3)他人に対しては公平な親切な態度で接すること。気まぐれな親切にならないということです。ときたま電車の中で老人を見ては、さあどうぞどうぞいって席を譲ったりしますけれども、それ以外の時はあんまりやらないというんじゃ、ちょっと具合が悪いです。あくまでも公平にやるということです。

これらを土台としてアダムスキー哲学を絶えず研究し、実践するということになります。恩い立ったらすぐにやらないとだめです。あとからやろうというようなこととではだめでして、これは外国語の学習で最もはっきり言えるんです。外国語の勉強で参考書を開いて「この部分は明日覚えよう」「この単語はあとからゆっくり覚えようとというふうにやっていたら、これは絶対にだめです。私の経験からしましても、参考書を開いてどんどん出てくる単語なり英文なりを、その場で覚えてゆくというふうにやらないと、外国語は決して上達するもんじゃないんです。

それと同じでして、宇宙哲学も思い立ったらその場でやろう、そして自分自身をある日突然ガラッと変えてしまおうというような大決心、大転換をする必要があると思いますね。

こういうことを口で言うのは大変やさしいんですが、実際に実行するのはなかなかむつかしいことです。ですが、やさしい事や、だれでもやれる事をやっていたんじゃ価値がないですからね。人がやらないような事をやるというところに値打ちがあるわけです。同じ泥棒をやるにしても大泥棒をやる。人がびっくりするような事をやるというのは、それなりの価値があるかもしれません。

結局、人間というのは本質的に旅人です。一ヶ所に永久に定住したものはないのです。転生によって転々と地球上のいろんな国を生まれかわっては旅をして歩く。それから今度は惑星間を旅をして歩く。更に太陽系間を旅をして歩く。あるいは銀河系間を旅をして歩くというふうに、転生によって移動するものが人間であるということですから、結局私たちは一生涯においてある物事を絶対視して、しがみつかなくちゃいけない、執着しなちゃいけないということは何もないんです。

最後には自分の肉体さえも捨てて行かなくちゃならない。生まれたときと同じでして、この世で自分の所有物は何一つありゃしないんだということを考えますと、非常に身軽なスカッとした気分になります。懐中空っぽになり一銭もない状態でも、まずあわてることはないでしょう。私は実際そういう状態になったことが何度かあります。人間は本質的に旅人であるということですね、これが一つの重要な考え方であろうと思います。

それから人間の運命というものはなかなかわからないもんでして ― おおまかにはわかっておりますが ― 、私が20歳代の前半頃は戦後の大混乱期で、何をしてよいかさっばりわからず、索漠たる生括をすごしていたんですが、後年になってこういう活動をするようになるであろうとは、その頃はまだ全然考えなかったんです。こういう括動をするようになったということは、ずっと前から、遠い過去から、決まっていたとしか思えません。

とにかく名もなき私みたいな人間の一生涯でも非常に不恩議なものがあり、汲潤万丈とまではゆかないかもしれませんが、ずいぶんいろんな事がありましたので、一日一日を本当に真剣に生きなくちゃ駄目だなということを痛切に感じます。

戦後35年間、私はほとんど進歩しなかったと思いますが、とにかく年月の経過の早いのには全く驚きます。35年がアッという間に過ぎて、昨日私は軍隊から帰って今日はここへやって来たというような、早く言えば、そういう感じがします。ですから一日一日一刻一刻をゆるがせにできないということが自分の体験からして言えると思います。 

時間がまいりましたので、これで終わらせて頂きます。どうも有難うございました。

(久)

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