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 日本GAPとアダムスキー

  NewsLetter No.74 より  

苦闘20年。世界有数のUFOと宇宙哲学研究集団に発展。  創立活動の経緯とアダムスキー哲学の意義及び実践法を詳述。  この記事は去る6月6日の日本GAP東京月例研究会(1981年)の講演内容を主体にして加筆したもの。 (日本GAPは1999年12月末に解散)

日本GAP創立の経緯

日本GAPが創立されたのは1961年(昭和36年)9月に私(久保田)がガリ版刷りの貧弱な機関誌GAPニューズレター第一号を10数名の知人の方々に無料で発送したときです。

1953年(昭和28年)8月に郷里の書店でたった1冊埋もれていたアダムスキーの 『空飛ぶ円盤実見記』を見つけて飛び上がらんばかりに驚いた私は3日3晩興奮して眠れず、同年の9月6目付でアダムスキー(以下、省略してア氏と記す)宛に最初の手紙を送って以来、私はア氏と文通を続け、1965年(昭和40年)4月24日付でマーサ・ウルリッチさん(現在もビスタのアダムスキー財団で健在)からア氏逝去の連絡を受けるまで膨大な数の書簡や情報文書をア氏から受け取っていましたが、途中、1957年(昭和32年)11月25日付で私宛にア氏から釆た私信の中に、「日本の人々のために私はあなたの協力をお願いします」とあり(高文社刊・久保田八郎編『空飛ぶ円盤とアダムスキー』220頁)更に「各国に1人の連絡員がいて自国の人々に個人的にかまたは郵便によって(ア氏からの情報を)知らせる責任を引き受けることが要請されます」(同書221頁)とあります。これに対して編者はすぐに承諾の回答を出していますから、実質的に私が日本GAPを創立したのは1957年(昭和32年)であったとみて差支えないでしょう。

私がア氏と交わした多数の書簡の内、ア氏から来たものの大半は 『空飛ぶ円盤とアダムスキー(高文社刊』 に掲載されていますが、公開しなかった書簡頬もあります。この書は絶版になって久しいので、新しい会員の方々は内容不明でしょうが、冒頭にア氏の金星旅行記『死と空間を超えて』 (本号に改訳版を掲載)や土星旅行記等の重要な資料が含まれており、これらは『宇宙からの訪問者』 に匹敵するほどの貴重な文献となっています。

特に金星旅行記は数年間公開禁止された情報で、当時、この原文コピーを受け取った各国GAPリーダーの内、現在もこれを所有している人は、私の他にヨーロッパの2名だけと思われるほどに希少なものです。

ただし私はア氏に合ったことはありません。これについては3年前、パリでベルギーGAPリーダー、メイ・フリットクロフト夫人が述べられた次の言葉が胸に焼きついています。

「あなたはア氏に合ったことのない唯一のGAPリーダーですが、それにもかかわらず、遠い東洋でこれほど長くア氏の遺志を継いで活動を続けているからこそ私たちはあなたを尊敬するのです」

この言葉は日本GAP会員の皆さん全員にも贈られるべきものです。

「皆さん方はア氏に会ったことのない人ばかりですが、それにもかかわらずアダムスキー問題や宇宙哲学を研究実践されているからこそ、私は(久保田は)皆さん方を尊敬するのです」

これを更に言い替えましょう。

「皆さん方の中には私(久保田) に会ったことのない人がおられるにもかかわらず、私を支持されるからこそ、私はその方々を尊敬するのです」

以上のとおり、日本GAPはジョージ・アダムスキーが日本人協力者・久保田八郎に要請し、それに応じて久保田八郎が個人活動として奉仕的に開始し、続行してきたもので、幹部の合議別による団体ではありません。月例研究会、総合、その他の企画で集団行動をなす場合もありますが、これらはすべて私が個人で企画立案し、ボランティアーに依頼して遂行します。要するに日本GAPの活動はすべて久保田八郎個人のフィーリング、意志、信念、決断力等にもとづいて行われるのであって、計画や合議を行う幹部団というものは存在しません。したがってGAP内にトラブルが発生した場合は久保田個人の責任において処置をとります。

しかし、ときには会員の方々の意見や要望等を聞いて参考にすることもありますし、良きアイデアが出されれば採用して実行に移すこともあります。また事務関係の仕事で手不足の場合は助手として会員の方に手伝って頂くこともあります。

これは「団体(幹部団の合議制)にせず、個人でやりなさい」 というア氏の忠告にもとづいて個人活動として続行したのです。もし幹部団合議制にしていたら、とっくの昔につぶれていたでしょう。1969年(昭和44年)に東京へ移住してから一時期幹部制を設けたことがありますが、たちまち分裂崩壊の危機にさらされたために、急拠単独活動にもどして命脈を保つことができました。地球の人間のエゴというものは千差万別の主張をするので、容易にまとまらないのです。

また賢明なア氏は1国に1人のGAPリーダーを置いただけで、2人のリーダーを認めようとはしませんでした。対立が生じやすいからです。また現在、ア氏の著書類の翻訳出版権を有する米ジョージ・アダムスキー財団は、1979年2月8日付で、ア氏の著書の一切の日本語への翻訳出版権を久保田八郎に与える旨の正式文書をアリス・ウェルズ理事長とフレッド・ステックリング理事の連名で私に与えています。したがって私以外の他の人が無断で翻訳したり出版したりすることは違法行為となります。

『宇宙からの訪問者』 がユニバース出版社から出ているのは、出版権のみを一時的に同社に譲渡しているからで、本来は日本GAPから出版されるべきものですが、資金がないために同社に肩代わりしてもらっているわけです。ア氏の著書を無断で翻訳して大量にコピーをとり販売していた人が関西方面にいましたが、これは違法行為ですから中止するように申し入れましたが回答がなかったので除名しました。

だいいち、真のカルマを持たぬ人のア氏の著書の血の通わぬ訳を読んでも有益なものにはなりません。ここには訳文の巧拙を越えたカルミックなものがあるのです。ア氏が私を協力者に要請し、私が承諾したのは、アダムスキーという人と久保田八郎という人物とのカルミックな連携によって決定されたはずです。

万物に偶然というものはありません。必ずカルマ (原因と結果の関係)の法則が働いています。今生において非常に親しい間柄にある人は過去世でも親しい関係にあったと考えられます。このカルマと過去世の問題は後述しましょう。

以上の経緯によって日本GAPは運営されてきたのですが、これにたいして、「久保田は新興宗教の教祖のようになりたがっている」 といって脱会した人が最近あります。これは見当違いもはなはだしい批判で、日本GAPの本質に関して全く理解していない妄言ですから、こうした雑音にまどわされぬようご注意下さい。

苦闘の20年

前述のとおり、日本GAPが表面的に活動を開始したのは1961年9月に機関誌第2号を発行した時点です。当時私は郷里の貧弱な私立高校(現在は廃校)の教員として勤務するかたわらアダムスキーと文通を続け、情報を得ながら、町の住民にはひた隠しにしてGAPの活動を続けたのですが、学校がつぶれることを予想して、1969年(昭和44年)の夏、妻子をつれて更めて笈を背負い、東京に安住の地を求めました。しかし40歳なかばでは就職も容易ではなく、半年間は求職でかけずり回り、ついにドン底におちいりました。

私はもともと田舎の貧困家庭に育った金に縁のない人間で、むかしから貧乏暮らしには慣れていますが、このときばかりはへこたれそうになりましたものの、持ち前の強烈な信念を失わず、イメージを描いていたとおりにアメリカのある大会社の日本支社の翻訳部に採用されて助かりました。この入社に際しては一種の奇跡的な現象が発生しています。

一方、GAP活動は着実に展開して、じわじわと活動範囲を拡大してゆきましたが、1970年当時の会員数は200名台でした。

機関誌の製作で苦労したのは印刷方式です。最初は手書きのガリ版でやりましたが、部数がふえるにつれて追いつかなくなりましたので、コスト軽減のために中古の和文タイプライターを購入して自分でタイプを打ちながら謄写原紙に製版し、それを日曜日に勤務先の職員室へ持ち込んで、輪転機を使ってこっそり印刷していました。

東京へ進出した際にこのタイプライターは輸送の関係でガタがきて使用不能におちいり、因っていたところ、ある奇特な会員の方が新品の和文タイプライターを寄贈して下さったので、岡崎活字を使って本格的を版下を自分で製作できるようになり、それで経費を浮かしながらオフセット印刷にして、立派な機関誌が発行できるようになったのです。

いまその頃の機関誌52号を手に取ってみますと、活版印刷にひけをとらぬほど立派に出来ており、自分のタイプ打ち技術を自讃したくなるほどですが、一方、日中の会社勤務を終えて、夜間自宅で深更までガッチャンガッチャンとタイプを打つのは大変に難儀な仕事で、ときには疲労困憊の極に達することもありました。しかし当時皇居裏の三番町にあった勤務先の会社には朝絶対に遅刻しないように細心の注意を払い、大妻女子大学付近まで行って、9時まであと数分しかないという場合は一目散に走ったものです。会社にはタイムレコーダーが設置してあるので1分間遅刻しても赤字でパンチされ、これが何回か重なると部長から説教される仕組になっていたのです。しかし私は絶対に遅刻しない人間として社内で評判になり、そのおかげで5時にはさっさと退社して帰宅できるようになりました。

当時は江戸川区の奥地に住んでおり、朝夕のラッシュ時には片道2時間近くかかるのですから、一刻も早く帰ってタイプ打ちをやらねばGAPの機関誌が出せないのです。

こうした生活が2年近く続いたあと会社をやめてしまい、一年ほど浪人して、次に出版社を設立して本格的なUFOの商業誌を出しましたが、しばらくはニューズレターのタイブ打ちを帰宅後自宅でやっていました。

しかし昼食時間わずか10分間という会社の激務ではさすがに体がもたなくなり、自宅でのタイプ打ちもやめて、折からのUFOブーム (これも私が火付役になったのですが) につれて会員数も増加しましたので、ついに56号より活版印刷に切り替えて本格的な印刷を71号まで続けたのですが、最盛期に約2000名いた会員もUFOブームの低下とともに減少しましたので資金難におちいりましたため、やむを得ず72号からはタイプ印刷所にタイプ打ちオフセット印刷を依頼して73号までで2回ほど続けたのですけれども、印刷の質を落とすと内容まで質が低下したかのごとき印象を会員に与えたようですから、本号からは写植(写真植字)版下よるオフセット印刷に切り替えました。

20年間を回想すれば試行錯誤の連続で、非難・中傷・妨害等もありましたが、よくもここまでやってきたものだと感無量です。卒直に言ってこれは私の(よく言えば)強烈な信念と忍耐力、それに会員の方々の絶大なご援助のたまものであることを痛感します。しかしアダムスキー問題の啓蒙活動をこうまでつらぬいた人間が一億の日本人の中で他にいなかったというのも事実で、人間の持つカルマの意義の重要さをあらためて考えさせられます。つまりここには過去世からの脈絡というものがあるのです。

転生の問題について

ジョージ・アダムスキーによりますと、人間には15〜6回の転生(生まれかわり)の機会が与えられているけれども、 その間に宇宙の法則に気付かず、宇宙の意識的なパワーの流れに乗った生き方をしなければ、本人は15〜6回目の転生を最後として実体は大字宙の意識の中に還元してしまうということです。

この記事が本誌の古い号に発表された当時、会員に少なからぬショックを与えました。だれしも人間は永遠に転生すると思っていたからです。

しかし自然界の淘汰の法則、特に自然選択の法則を考えてみますと、役に立たぬ者はむしろ15〜6回で消滅するという説の方が合理的のように思われます。いつまでたっても進歩しない者をだらだらと無限に転生させていては不公平ですし、だいいち進歩しようという意志のある人にとって迷惑です。神は無限の愛を持つからといって、無用なものを温存させるのではなく、不必要なものは排泄物として体外に排出してしまい、腐敗させて、ついには大地へ帰らせてしまいます。

したがって無用なものは帳消しにされるという法則が厳然と存在することがわかります。人間もこの例に洩れるものではないでしょう。 一方、15〜6回の転生期間中に宇宙の法則に目覚めて法則にそった生き方をする人は、更に転生が許されて、永遠に生命の連続が得られることになるということです。

さて、人間は少なくとも15〜6回の転生の恩恵にあずかっているとすれば、当然のことながらだれしも過去世があるずで、その記憶を有しているにもかかわらず、それが思い出せないのは、真の記憶を保つ実体である人体内部の宇宙的意識に対してマインド(心)を一体化させないからで、一体化させれば過去世の記憶を呼び覚ますことが可能なのだとア氏は説いています。しかしこれは容易ではありません。よほどの自己訓練を行い、修行を積まないことには、自分の過去世を思い出すことはむつかしいでしょう。

そこで人々は、他人の過去世が透視できる超能力の所有者に頼りたがります。こうした透視能力者というものはたしかに存在しますが、テレビの画面を見るように他人の過去世の姿が鮮明に見える人はきわめて少数であり、大抵の自称透視能力者は心中に印象がチラチラ浮かぶという程度のことであるらしく、これでは誤った印象もわいて来るので、必ずしもあてにはなりません。

しかし人間というものは弱い存在で、特に白人コンプレックスの強い日本人は「あなたの前生はどこそこの団の美しい金髪をした白人だったのだ」 とか「偉大な進歩をとげた別な惑星から地球へ転生してきたのだ」 などと言われると有頂天になってしまい、相手の自称超能力者にコロリとまいって相手を権威づけるとともに自分は傲慢不遜になったりしがちです。こうなると、こういう問題を全く信じない一般人よりも具合が悪く、ぞのためにトラブルが発生したことも2、3あり、私自身もひどい目にあったことがあります。

ところが、現在は下火になったものの、一時期、GAP内部で"過去世病"が流行したことがあり、なにがなんでも自分の過去世を知りたいとか、知人や友人同士が過去世で親しかったとか、さまぎまの (真実の透視でなく)印象を交換する程度で騒ぎ合うという風潮が流行したのですが、これはつつしむべきです。

過去は忘却の彼方へ

というのは、それらが真実の透視であったにしても、過去の出来事はすでに存在しないのであって、現在の自分とは何の関係もないのです。仮に私が二千年前に約100名ばかりいたエッセン同胞団の一員としてイエスの弟子であったと透視されたにしても現在の私とは全く無関係です。私たちはそのような"お告げ"で喜ぶような甘い人間であってはならず、むしろ現実主義者であるべきです。地球にいる私たちにとって最重要な問題は、明日の米代を今日いかにして稼ぐかであり、今月の家賃をどのようにして払うかであって、二千年前の境遇などを持ち出しても、現在の住み家を追い出されたのではどうにもなりません。

過去世ばかりではなく、今生の過去でさえも無数のつまらぬ出来事や悲しい思い出に満ちているような半生に執着して何になるでしょう。それよりも重要なのは現在の一瞬一瞬であり、未来に対する計画、決断、実行なのであって、これが自己の将来を決定するのです。

過去に執着することが無意味で、宇宙的進歩のさまたげになることは、本号に掲載したア氏の金星旅行記「死と空間を超えて」 の中で、金星人の少女に転生したかつてのアダムスキー夫人メリーが重要な示唆を与えていますし、写真さえも撮ることを拒否していることでわかります。振影された金星人少女の写真を地球人が見ると、その想念が自分の方へ浴びせられるからだというわけです。

あまりにも高次な、この感動的な対面と対話に匹敵ずる記述を私は他に知りません。この少女の語る簡潔な言葉はいかなる哲学や宗教をも凌駕しています。

カルマとは何か

カルマの問題に返りましょう。過去に執着することは宇宙的進歩の障害になるというのではありません。むしろ私などはだれよりも強く転生の法則と事実を確信しているつもりですが、これは過去にではなく未来のために生かされねばなりません。なぜなら現在の自己の姿や環境などは過去に自分がまいたタネの結果ですから、現在まくタネは未来の自分を決定するに違いないからです。これは原因と結果の法則であって、これを私たちはカルマと呼んでおり、更に「宿命」という意味にも用いています。

カルマというのは古代インドのサンスクリットの「カルマン」 という語がなまったもので、本来は「行為」という意味ですが、人間の行為によって死後の運命が決定するというので、宿命のための原凶というような意味になり、後にウパニシャツドの哲人ヤージユニャヴァルキャが、良い行為によって死後の運命は善きものとなり、悪い行為は悪い運命を作ると規定して以来、それが法則化されました。

しかし私たちがカルマという場合は、原因と結果の法則、因果関係、更に宿命というような幅広い意味に用いており、必ずしもサンスクリットの原義にはこだわりません。たとえば私自身が今生でGAP活動に専念するようになったのは過去世からのカルマによるものである、というふうに表現します。言い替えれば偶然の結果ではないというわけです。

だが私たちは宿命論者ではありません。人間の一生涯における宿命は大体にきまっているようですが、些細な物事まですべて宿命によってがんじがらめに縛られているというように考えますと、身動きできなくなって、未来への希望は消滅してしまいます。

人間の運命は原因次第で結果的にはどのようにもなるのであって、書き因果関係を確立することが明るい未来をもたらしますから、これを書きカルマを作る、というふうに表現します。たとえば私自身は今生で政治家になるカルマは持っておらず、別な道を歩みながら人生を学ぶのですけれども、職業や環境が何であるにせよ、一つの人生を明暗いずれにするかは私自身の作るカルマにかかっています。善き原因を作れば善き結果が生じるのです。

愛はきぴしいもの

世の中には、やたらと愛の精神を説く人があって、言葉の上では立派そうに見えますが、本人の行為を見ると、なァーんだ、何でもありやしないじゃないか、という例が見受けられます。

およそ愛という言葉ほど安直に語られる言葉はありません。「あの人には愛の精神がない」と言ってしまえばたちまち相手は不当化され、自分が正当化されるのですから、他人を非難するのにこれほど便利な言葉はありません。

大体に、やたらと愛の精神について説きたがる人は実際には本人が愛に餓えている場合が多く、案外に破壊的な事をやりますが、これは精紳分析学的に言えば一種のシゾイド人間(分裂人間) です。

(慶大医学部助教授・医博・小此木啓吾著「シゾイド人間」より)

愛という問題は一般の素人が考えるほどに安易なものではないのですが、人間にとってこれほど重要なものもありません。だから古来、多くの哲人によって定義づけられたのですが、ぎつとあげてもプラトン、アリストテレス、スピノザ、カント、フロイトなどの説く愛があり、またキリスト教で説く神の愛もあります。

「そんな屁理屈をこねなくてもただ他人を愛すればよいのだ」 というような非論理的な考え方では愛が生かされません。「一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、そしてあらゆる美しい肉体ヘー」という有名な言葉で始まるプラトンの愛なるものは、究極的には完成された美そのものであるイデアの世界の認識に到達することを意味しています。

これはアダムスキーの宇宙哲学を側面から説いたものにほかなりません。なぜならプラトンの言うイデアはア氏の説く宇宙の意識により完成された四次元的な世界と同一であると思われるからです。

とにかく愛という問題は非常に深遠ですから、軽々しく言及するわけにはゆきません。ただ、真実の愛とは何かを知るには、皆さんはプラトンよりもア氏の宇宙哲学を学ぶほケがよいでしょう。マインド(心)と宇宙の意識の一体性を理解してこそ真の愛の実践が生じると思われるからです。真の愛には英知が伴うはずで、そのときこそ愛が生かされるのです。

集団内部で混乱を発生させる無法者を統制責任者たる老がヘラヘラ笑って見ているのが愛ではありません。毅然たる態度で混乱防止の処置をとり、本人に反省の機会を与えることが本人と多数者に対する愛です。

しかしどんな悪人にも創道主の息はかかっており、体内には宇宙の意識が満ちているのですから、その意味で私たちは本人内部の神性は尊重しなくてはなりませんが、本人のマインドがあまりに低次である場合は、摂理の手によって反省を強いられるときがいずれくるでしょう。

賢明さ、常識、マナー

私たちはア氏の宇宙哲学、宇宙科学という高次な分野を学んでいますが、これはつまり各自の求道精神による自己開発とコズミック・マン(宇宙的人間)への志向が動機となっているからで、人間の生きるための目標として最高といえるでしょう。

しかしそのためには腕架猛進を避けて賢明に行動する必要があります。この場合の賢明さとは学識とは関係ありません。

「自分が何をやろうとしているか」が自分にわかっている人が賢明な人間です。バイブルにはイエスは死の直前に「神よ、なぜ私を見捨て給うのか」と愚痴をこぼしたとありますが、昔ある方面から聞いたところによれば、これは誤りで、実際は「神よ、(自分を殺そうとしている)この人たちを見捨てないようにして下さい。この人たちは、自分が何をやろうとしているのかを知らないのです」と言っ たのが正しいということです。「自分のことは自分がよく知っている」と大抵の人は言うでしょうが、案外知っていない、というよりも結果がどうなるかを考えないのが普通です。

そこで例のデルフォイの神殿の扉に刻まれた有名な言葉「汝自身を知れ」が輝かしく浮かぴ上がってきます。アダムスキーは、賢明さとは自分の内部を通過する想念のすべてに気付くことだと言っていますが、ここまでに至るのは至難の業であるにしても(偉大な進化をとげた異星人はこれが可能であるらしい)、私たちはせめて自分の行為が何を意味するのか、どのような結果をもたらすかを徹底的に考えてから行動に移し、その結果が思わしくなければ卒直に反省して、態度や考えを改めればよいのです。この簡単な事が案外にむつかしく、人は失敗を認めようとはせず、責任をのがれようとします。

私たちは一般人からほとんど相手にされないアダムスキー問題を研究実践しているのですから、大抵、キチガイの集団とみなされがちなので、この際、互いに調和し、激励し合い、自己の非を認めたら卒直に謝って和気あいあいたる雰囲気をかもし出すように努力しようではありませんか。

そのためには、まず常識を豊かにし、洗練されたマナーを身につけることが大切で、これを土台にしないで、いくら宇宙の法則だの愛の精神だのと叫んだところで無意味です。ここで言う常識とは、「地球以外の惑星には人間はいないという説が常識化している」というような常識ではなくて、対他的な言動などにおいて他人に不快感を与えぬようにしようという配慮を意味します。具体的に言えば、日本GAPの会員諸兄姉には本当の意味での紳士淑女の集団になって頂きたいのです。ていねいな言葉使い、礼儀正しさ、にこやかな応待など、個人の改良点はいくらでもありますから、大いに改良し、美しい調和した明るい雰囲気をかもし出すように心がけて下されば幸いです。これも理想論だけではだめですから、その意味で今夏の海外研修旅行参加者に配布した「食事、入浴、その他のマナーについて」と題するパンフレットの余分を安価に頚布しますので実際的なマナーを身につけられることを望みます。

指導者はアダムスキーのみ

日本GAPはある意味で一種のコズミック・スクール(宇宙学園)と言えるでしょうが、唯一の指導者はジョージ・アダムスキーであって、ア氏の偉大な遺産である著書頬をテキストにすれば、あとは一切不要です。私はその橋渡しをしているにすぎません。私自身もまだ学ぶべき事が沢山あり、宇宙の1学徒として前進しなければならぬのです。したがって充分な指導は不可能ですが、常識豊かにして真面目に探求しようとする人にはできる限り援助の手を差し延べますから、何なりとご相談下さい。

『生命の科学』 で起こる奇跡

日本GAPはUFO問題よりも、どちらかというと哲学面に主体をおいていますが、これは未確認飛行物体の調査研究よりも、人間としてのあり方から研究を始めることが重要だという見地にもとづくものです。

そこで重要なテキストになるのはア氏の「生命の科学」「テレパシー」「宇宙哲学」ですが、最重要なのは「生命の科学」 で、これを学習して実践すれば個人の肉体か環境に何らかの奇跡が発生するとア氏は述べていますが、たしかにそのとおりなのです。同書160頁に次のような説明があります。「換言すればrどんなアイデアが浮かぼうともそれは必ず実現する。」という絶対的な確信が各人の中になければならないのです」

更に161頁には「何かを現象化しようと思う場合に、それを生み出す意識の能力は無限であるという確信と共に、その物事の意識的な青写真を持つのです。次にその青写真中のアイデアを捨てないようにし、それを現象化せしめるのに言葉による命令が充分な確信と共に与えられねばなりません」とあります。ポイントはここです。

これは「000は必ず実現する」と反覆思念することを意味するもので、この信念の魔力ともいうべき神秘的な思念カの応用により、奇跡的に難病を治癒せしめたり、望ましい物事を実現させたりできるのです。難病を治すためには「00は治る、治る、治る、治る」と何千回、何方回も言葉を口に出して繰り返し嘩え続けるのです。すると、突然、一大変化が生じて、奇跡的に難病が治り、驚喜することになります。この唱え言葉を私はミラクルワード(奇跡を起こす言葉)と名付けて奨励しています。

これを唱えるときは同時に心中に、すでに実現してしまった強烈なイメージを措くことが必要で、これを「イメージ法」と呼んでいます。たとえば難病を治そうと思えば、すでに治ってしまって完全な健康体になっている自分の姿、書び勇んで飛び跳ねている姿を心中にはっきりと描きながら、同時に「治る、治る!治った、治った」というような言葉を数千回、数万回と繰り返すとよいのです。

ただし骨折などの場合、いくらミラクルワードを唱えても折れた手足が自然につながるわけではありませんので、そのときは急速に病院で治療を受ける必要があります。医学という科学で治癒するものならば大いに科学の恩恵に浴すべきです。ここでミラクルワードを奨励するのは医学で見放された難病を治そうとする場合です。

私はこうした奇跡発生の実例を集めて「奇跡を起こす信念の魔力(仮題)」という書物を出そうと思っていますので、何らかの奇跡的な体験をなさった方はぜひ私宛にレポートを送って下さるようお願いします。

人体コンピューターと 意識プログラム

なぜミラクルワードを唱えイメージを描けば病気が治ったり望ましい物事が実現するのか? この理由は科学的には不可解ですが、人体の細胞は意識的な実体ですから、これに強烈な想念を吹き込めば、送念書のイメージどおりに細胞が一種の鋳型にはめられたように肉体を変化させる働きをするのではないかと考えられます。つまり肉体とは可塑性の物体であって、想念は鋳型です。したがって人間は自分の想念どおりの人物になるのであって、このことは 『宇宙からの訪問者』の第二部で、偉大な異星人マスターも説いています。

この素晴らしい原理を応用しないということはありません。自己の環境や運命まで変化するというのは神秘的ですが、これも言葉(想念) の有する波動と何かが同調して望ましい物事が引き寄せられるのだと言えるのでしょう。

そこで私は人体を超精密なコンピユーターとみたてて、これにプログラムを組み込んでやればその方向に作動するはずだと考え、これを意識プログラムと名付けています。この場合のプログラムは言葉による反覆思念であり、イメージであるわけです。

こうみると一般地球人は意識プログラムなしの単なる形骸として人体コンピューターを維持しているにすぎないということになりそうです。機械としてのコンピューターはプログラムなしではどうにもならぬ代物ですが、ただしプログラム次第では手に負えぬ怪物になることは名画「2001年宇宙の旅」 でも知られているとおりです。あれはフィクションですが、早く言えばすでに人間がコンピューターに振り回されている時代が来ていると言えないでしょうか。

それはともかくとして、意識プログラムを組み込む場合、つまり反覆して言葉を唱える場合は、「治る、治る」という場合の最初の言葉を宇宙全体から轟々と響いてくるようなフィーリングで唱え、次の「治る」 という言葉は、肉体内の全細胞群がそれに呼応していっせいに唱和するというイメージを措きながら唱えます。このときの全細胞群は微小な自分自身の姿とみて、そのようなイメージを描くとなお効果的です。周囲に人がいるような場所では低い声で、人がいない場所では大きな声で唱えるのです。

自己の運命の改善を図る場合は最初に「私の運命は」と前置きして、次に「よくなる、よくなる」 と、やはり宇宙から響く大合唱と自身の全細胞群による反覆柏唱和のつもりで万遍となく繰り返しますと、あるとき突然、奇跡的に運命が好転するはずです。その他、望ましい物事の実現には何にでも応用できますから、ぜひ試してみて下さい。

実践による救いと宇宙的向上

アダムスキー哲学はこうした実践による救いを伴う哲学であって、単なる観念の空転ではありません。別惑星の偉大な発達をとげた人類が、地球式に換算して数百歳も生きながら、見た眼には20歳そこそこにしか見えないというのは、高度な環境もさることながら、私たち地球人の想像を絶した「想念の応用法」を合得して実践しているからだと考えられます。地球人は想念の使い方を知らないということですが、これが地球人の最大の欠陥ということになるのでしょう。

私たちはア氏問題について趣味の段階をはるかに超えて、まず自己改良の原点とし、次に自己の意識を宇宙の彼方に拡張するためのテレスコープたらしめる必要があります。それには真剣さとフィーリングと信念が必要なのであって、遊び半分ではだめなのです。

もちろん人間の理解力や発達度は千差万別ですから、なかには脱落しそうになっで悩む人もあるでしょう。その場合は大勢で激励し、なんとか彼岸へ連れて行くように援助してあげて下さい。こうした美しい実例も日本GAP内にはかなりあります。

安直に愛の精神などを説いて何もしないよりも、思慮深く、黙って親切な行為をなす方がはるかに高貴な態度です。

超能力開発も必要

宇宙人に合った人が必ずしも宇宙的ではないと言う人がありますが、これはアダムスキー的考え方ではありません。偉大な異星人は、宇宙的な人でなければコンタクトをしないでしょう。 これは前述のとおり、深遠なカルミックな問題もありますが、本人に大気圏外に向かおうとする拡張された意識がないとだめなのです。

またテレパシックな感知力、透視力等も必要です。なぜなら異星人と自称する人間から呼びとめられ、誘いかけられたりした場合、相手が本物かニセ物かを見抜く力がコンタクトマンには必要なのです。

したがってコンタクトを望む人にはテレパシックな能力の開発は不可欠ですから、これの真剣な自己訓練をおすすめします。こうした超能力(超能力という言葉を私はあまり好みませんが)の開発にもミラクルワードによる意識プログラムが絶大な効果を発揮します。ある会員の方は 『生命の科学』 の一部分を自分で朗読し、テ−プに録音したものを聴きながら透視カの開発にある程度成功したという報告を寄せています。これも一種の意識プログラムと言えるでしょう。方法はいろいろありますから、自分で工夫してみるとよいでしょう。とにかく事の成否は自分自身にかかっています。

ー終わりー

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