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 アトランティス大陸の謎 久保田 八郎

   

第3章1話 アトランティスに魅せられた男達

■ アトランティスでベストセラーを作ったドネリー

▲ドネリーはその著書の中で古代ギリシャと古代アメリカの建築物の類似性を指摘した。

数多い研究のなかでも、アメリカのイグネーシャス・ドネリーの説は、アトランティス学の土台とされてきた。

イグネーシャス・ドネリ−。彼は、19世紀半ばの政治家で、ミネソタ州の副知事を務めたあと、連邦議会の下院議員に当選した人物である。したがって、歴史や考古学の専門家ではない。だが、高度な知的好奇心をもつ彼は、プラトンの著作を読んで大いに興味をかきたてられ、アトランティスの研究に打ちこむようになった。その研究成果は『アトランティス・大洪水前の世界』と題する書物となって、これは世界的ベストセラーとなった。

彼はアトランティスの探究にあたって13項目にわたる基本路線を打ち出した。

1. アトランティスは、地中海の向こう側にあった大きな島で、大西洋に存在していた大陸の一部である。
2.プラトンの記述によるアトランティスは真実の物語である。
3.アトランティスは、人類が原始状態から文明を持った最初の土地。
4.アトランティスは時代とともに強大な国家となり、国民は海外のあらゆる方面へ植民した。
5.いわゆる"エデンの園"といわれる楽園は、超古代のアトランティスの記憶が伝わったもの。
6.古代ギリシア、フェニキア、インド、北欧の神々は、アトランティスの王や女王の史実が神話化したもの。
7.エジプトとペルーの神話はアトランティスの太陽崇拝思想の名残り。
8.アトランティス人の最古の植民地はエジプト。
9.ヨーロッパの青銅器はアトランティスから伝わった。
10.ヨーロッパの文字のもとであるフェニキアのアルファベットは、アトランティスから伝わった。
11.アトランティス人は、セム族、インド・ヨーロッパ諸族の祖先。
12.アトランティスは、大変動により海中に没した。住民の大部分もそのとき死んだ。
13.このとき脱出した人びとにより、大洪水が諸国に伝えられ、これが先史時代の洪水伝のもとになった。

■エデンの園 ■フェニキア ■太陽崇拝思想
旧約聖書』の「創世記」で、アタムとイブガ住んでいたとされる楽園。彼らは禁断の木の実を食べ、そこから追放された。場所のモデルには諸説があり一定しない。 地中海東岸、シリア西部に栄えた古代国家。早くから海上貿易を行っていたため、工−ゲ海に面したさまざまな民族との混血がすすんだ。アルファヘット発祥の地でもある。 太陽を神として尊い、崇める宗教的観念。古代エジプト、古代ギリシャ、古代マヤなど、古代宗教には必す何らかの形て太陽崇拝思想が含まれている。

■ すべての文明の源はアトランティス

▲ミネソタ州ニニンガーシティーにあるどねりーの図書室。1870年の選挙に敗れた後、ここにこもり研究に没頭するようになった。

ドネリーの考えで特徴的なのは、たとえばエジプトのピラミッド群と、メキシコのユカタン半島にある神殿ピラミッドとの間に共通要素を見つけだし、これらは同一の文明の源に発しているとする考えかたであった。こうした彼の考えかたにしたがえば、すべての文明の源がアトランティスにあるということになる。

これは神話についても同じことがいえる。『旧約聖書』の"エデンの園"、ホメロスの詩に出てくる"エリユシオン"というギリシア神話の楽園、北欧神話の"アスガルド"という神々の天国などは、すべてアトランティスの記憶が伝説化したものだという。

こうしたドネリーの説を素人考えとして無視するわけにはいかない。トロイ伝説を信じて、古代の遺跡の大発見をしたハインリッヒ・シュリーマンは、かつては"学者から笑われた素人"であったからだ。さて次に、ドネリーの説いたアトランティス文化の伝播説について検討してみよう。

■セム族 ■ベルベル族 ■ノアの箱舟
アーリア族、ハム族とともに、欧州3大人種のひとつ。アラビア人、エチオピア人、ユダヤ人がこれに属する。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を生んだ。 北アフリカに住む人種。東はエジプトのシウ、西は大西洋岸、北は地中海岸、南はニジェ−ルにいたる広い地域に分布し、その総教は600万から700万人におよぶという。 『旧約聖書』の「創世記」にある伝説で、人類の堕落を怒って、神が大洪水を起こしたとき、神がノア夫妻に指示してつくらせた船。このために人類は滅亡しないですんだ。

■ ドネリーの論理

今日、ドネリーの説の多くは誤りであったとされている。彼の文化伝播論は、多くの人類学者によって否定され、まったく無視されているというのが実情のようだ。実際、筆者もエジプトへ2度、メキシコのユカタン半島へ3度行き、古代の石造文化の遺跡を仔細に観察したが、両者のピラミッド建設技術は根本的に異質なものだという印象を受けた。むしろユカタン半島の遺跡は、チャーチワードのいうムー大陸の子孫の手になるものだろうと思われる。

もっと端的にいうならば、古代エジプトの巨石文化は高度な科学知識を有していた"白人"の手になるもので、一方ユカタンのピラミッド群は黄褐色の"土着民族"の手になるものであるというのが筆者の見解である。

ドネリーの論理は、後世の宇宙考古学者エーリッヒ・フォン・デニケンのそれと似ている点が多く、いずれにしても自己流の"学説"が顔を出して、読者を煙に巻くという流儀で述べられている。このことは70年後に、アトランティス研究家レ・スプラーグ・ド・カンも述べている。彼は「彼(ドネリー)の著書はマユにツバをして読まねばならない。全体としては無価値なものだ」といっている。

デニケンにしても、メキシコ、ユカタンのバレンケの碑銘の神殿ピラミッドの地下に安置された石棺のふたに彫られた名高い浮き彫りを、"古代のロケット操縦士"ときめこんで書物に書きたてたので、大評判になったことがある。

だが、筆者が地元民の伝承を研究したかぎりでは、あの人物は古代マヤの若い女性が神に祈る図であることが判明した。これを"ロケット操縦士"とする突拍子もない説を出せば、大衆はそちらの方に、より大きな興味をもつだろう。研究家のこうした軽薄さをド・カンはいましめたのである。

■エリユシオン ■アスガルド ■トロイ伝説
ギリシア古代信仰における理想郷。ゼウスの特別なはからいを受けた英雄が、この世の生活ののちに、安楽な不死の生活を送る場所。冥界ハデスとはまったく逆の様相をもつ。 北欧神話に出てくる神々の住居。そこは巨人がつくった12の塀でとりかこまれているという。アスカルドと地上の間にはピフロストという橋がかかっている。 はるか昔に起こったと伝えられるギリシア人とトロイ人の戦争伝説。その中心となる物語は、ホメロスの『イーリアス』と『オデッセイア』に含まれている。

■ ベリコブスキーのすい壁衝突説

プラトンにせよ、ドネリーにせよ、アトランティス大陸は、地震と火山噴火と大洪水によって海中に没し去ったと考えた。多くのアトランティス研究家もこの点については意見が一致している。

▲『衝突する宇宙』の著者、ベリコフスキ−博士。

しかしながら、現代の地球物理学者のいうところによれば、ひとつの大陸を一夜にして沈下させるような自然の災害などは考えられないという。

ところが、もとロシア人でのちにアメリカに移住したイマニュエル・ベリコフスキ−はその著書『衝突する宇宙』において、アトランティス沈没の原因について大胆な仮説を立てている。

彼によれば、大昔に巨大なすい星が地球をかすめて通ったことが、地球上に大異変をもたらす原因となったと述べている。このとき地球上の引力には異常が生じ、そのおかげで大地震や大洪水がひき起こされ、ひいてはこれがアトランティス沈没の伝説を生みだすことになったというのだ。

そのすい星とは、現在の金星のことである!ベリコフスキーがいうには、金星は、キリスト誕生の数千年前に、木星からちぎれて生じた惑星であり、それが巨大なすい星となって太陽系のなかをさまよい歩き、紀元前1500年ごろに地球のそばを通って、大規模な災害をひき起こしたのだという。

ベリコフスキーの独創的な説も、ほとんどの天文学者から相手にされなかった。だいいち紀元前1500年といえば、アトランティスの海中への水没と約1万年近くの差があるのだ。しかし、NASAの宇宙研究所所長ロバート・ジャストロウ博士はこう述べている。

「ベリコフスキー博士は真実を見通していたのかもしれない」と。

ベリコフスキーの天体物理学的な予言は、のちの宇宙開発によっていくつか立証されるようになった。もしかしたらアトランティス海没の真相は、ベリコフスキーの仮説の通りなのかもしれない。いずれにせよ、真実が解明されるのはまだ先のことであろう。

■ 消息をたったフォーセット大佐

1925年ブラジルの密林の奥地で、あるイギリス人探険家が消息を絶った。アメリカに妻を残して、南米のジャングルの中にまぼろしのアトランティス人の遺跡を求めて旅立った彼の名はパーシー・フォーセット大佐であった。

▲ブラジルのジャングルにあるデッドホースキャンプにおけるフォーセット大佐一行。このキャンプを最後に大佐たちの消息は途絶えた。

フォーセットは、アトランティスが滅亡する前に、少なからぬ住民が国外へ移住し、そのなかの一部は南米に逃亡したという話を信じていたのだ。それは、ブラジルのジャングル奥地の人目のない地では、いまだにアトランティス人の子孫が壮大な石造都市を築いて、秘密裏に生活しているという情報があとを絶たなかったからである。

この話につき動かされ、探険に出かけたフォーセットではあったが、消息を絶った原因はその後もまったくつかめていない。インディオに捕えられたのか、巨大な蛇アナコングに呑みこまれたのか、それともいまだ生存するアトランティス人の子孫のもとに迎えられたのか、その足どりは知るすべもない。

その後、フォーセットの行方を探索するための探険隊が何度かくり出されたが、成果はなかなかあがらなかった。第3次探険隊が出発したのは8年後のことだったが、そのなかに大佐の友人のモーリス大尉がいた。彼ものちに行方不明となってしまったのだが、幸いなことに、本人の詳細な探険記が発見されたために、南米のジャングル奥地の驚くべき真相が判明したのである。

■ ジャングルに消えたフォーセット大佐

1925年、ブラジルのマットグロッソ地域で消息を断ったパーシー・フォーセット大佐の探険隊一行がロンドンへ送った最後の電報は、次のような内容だった。

▲謎に包まれた人物、フォーセット大佐。

「われわれの悲運または幸福を見とどけようとして、われわれのあとから探険隊を送るような計画があるときは、どうかお願いだからやめてくれ!」

いったいなぜ、フォーセットは自分たちの行方を捜索されることをこばんだのだろうか。彼らは多くの人に知られてはならない何かを知ってしまったのであろうか。

マットグロッソ地域には、古くから「ジャングルの奥深く、黄金の都市群がある」あるいは「こうした都市はアトランティス文明の遺跡である」という言い伝えが伝わっている。フォーセットも、こうした伝説に魅せられたひとりだった。神秘主義に深い関心を抱いていた大佐は、ブラジルの奥地に白い皮ふをもつ奇妙なインディオがいることを知り、謎を解く鍵は、これらの白いインディオを見つけることだと考えたのである。

事実、フォーセットは、「黄金の都市」が背の低いずんぐりとした人食い人種によって守られていると述べている。フォーセットは、彼らとの接触を図ろうとして、マットグロッソの奥深く出かけたのであろうか。

しかし、現地インディオたちのあいだでは、「死せる都に踏み入ったが最後、出て行くことは許されない」という言い伝えもある。はたしてフォーセットは、死せる都への敷居をまたいでしまったのだろうか。

一説によれば、フォーセット大佐の妻ニ−ナは、夫が死んでから9年後に、夫からテレパシーによる通信をキャッチしたともいわれている。その内容はつまびらかではないが、フォーセットは唯「夫人にだけは失われた都市の秘密をもらしたのかもしれない。

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